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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第44回 控訴棄却の前後

藤井誠二ノンフィクションライター

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控訴棄却の前後

福岡高裁でひらかれた一九九六年五月二十八日の初回公判では、宮本への被告人質問があっただけで、即日結審となった。

宮本は、弁護人の質問に答えるかたちで「捜査段階で警察官には『本人を反省させるために突きました』と何度も言ったが聞いてもらえなかった。怒りの感情で突いたと調書にあるが、私は言っていない。ものが言えない状態の中で反論ができなかった」と、一審とは態度を一変させた。

被告人質問の途中、宮本はこぶしで強く証言台を噂いた。ドンという鈍い音か法廷内に響き、「私は体罰をするとき、こうやって机を叩いて『先生の手も痛いんだ』と生徒に示し、平手で叩いていた」と言い、二回、三回と連続してこぶしで証言台を叩いた。また、ピアス、ポケベルなど知美の「校則違反」を列挙、「(被害者が)転倒したのは、私が突いたことも一つの原因だが、当時ソックスにスリッパを履いていたので滑ってしまったのだと思う」と、一審の事実認定に反論を始めた。

また、裁判宮に「現場を見た一○人程の目撃証言が食い違っているが」と問われると、「私は知りうる限りのことを言っている」と言い切った。一審での記憶の曖昧さを、「確信」に「進化」させたのである。この態度では、知美の遺族のしつけに問題があったのだとする、逆立ちした論理をいれた控訴趣意書に同意したのもうなずける。自己批判できない、愚かしい姿だと私は思った。

一方、宮本の妻も証言に立ち、同じく弁護人の質問に答えるかたちで、ある「被害」について供述した。実は、妻は事件後の一九九五年八月から十月にかけて、被害弁償のために用立てていた九五○万円を「福岡県教育委員会のナカニシ」と名乗る男に騙し取られていたのだった。

元春の答弁書でも明らかになったのは、被害弁償のために用意した三○○万円を被害者側は拒否したことだ。その後、宮本側は保険の解約や借金などで一千万円を用立て、慰謝料を払う準備をしていた。

そこへ、八月二十七日午後、「福岡県教育委員会の課長のナカニシ」と名乗る男が宮本宅を訪れ、「見舞金を払えば刑が軽くなる」と持ちかけ、二日後に電話で「見舞金は三○○万だが、県教委から五○万が出る。残りのカネを用意してほしい」などと言い、実際に同月三十日に五○万円を持参した。妻が残りの二五○万円を手渡すと、「いっしょに被害者の家に行こう」とタクシーに乗せた。しかし、途中で「やっぱり行かないほうがいい。ここで待っていて」と言い、妻をタクシーから降ろし、十五分後に戻ってきたという。続いて、九月二十三日に五○○万円、十月十四日には二○○万円を見舞金名目で男に手渡した。

男はさらに同年十二月中旬に、「和解金一八○○万円で話がついた。県教育委が三○○万円、私が二○○万円補助をするので残りを出してほしい」と言ってきた。不審に思った妻は県教育委に問い合わせてみたところ、該当する「課長」は存在せず、飯塚署に届けたのだった――。

宮本がこぶしで証言台を叩く鈍い音は、遺族の耳にはどう聞こえたのか、察するに余りある。まさにその手で、娘を殴り殺されたのである。

約一ヵ月後の一九九六年六月二十五日、控訴は棄却される。

判決はこう控訴趣意書に的確に反論した(要約)。

《被害者は、簿記の再々テスト開始時、テストの対象者でないのに教室内に残り、自分の席に座って頭髪をといていたところ、これを見つけた被告人は被害者に早く帰るように言ったが、すぐに被害者が立ち上がらなかったことから被害者の席に近寄り重ねて同様のことを言った、これに対し、被害者は『わかっちょうちゃ』と答え、カバンを肩にかけて教室の後ろの出口に向かって歩いていったが、出口近くの教室の壁に設置されていた鏡の前で立ち止まり、再びそこで両手で髪を整えるような仕草をしたこと、その際被害者のスカートのウエスト部分が外側に折り返されているのが見え、このような方法でスカート丈を短くすることは校則で禁止されているところから、被告人は『お前スカートを曲げちょろうが、下ろせ。早く下ろさんか』などと言い、教室から出ようとしていた被害者の背中を押したため、被害者は教室の出入口付近で四つん這いの形で倒れ、肩にかけていたカバンが床に落ち、中のエチケットブラシ等が廊下に飛び出したこと、倒れた被害者はすぐに立ち上がり被告人に対し、『そんなんしたら、直されんやん』などといいながら教室から廊下に出ると、被告人は『何ちゃ』といいながら被害者を押すようにして続いて廊下に出たこと、廊下で被告人は被害者と向かい合って立った状態で、肩より上まで腕を振り上げて被害者の頬付近を平手で数回殴打し、叩かれて後ずさりする同女の肩付近を突いたところ、同女は窓に設置された鉄製の手すりに後頭部を打ちつけ、同女が被告人の更なる暴行を避けようとして被告人の身体を押し返すようにすると、更に同女の右側頭部付近を下から上に突き上げたため、同女はコンクリー卜の柱に頭頂部辺りをぶつけた上、廊下の床上に倒れ顔面蒼臼となって失神し、翌実の午後、収容先の病院で急性脳腫脹のため死亡したこと、以上の各事実が認められる。

多数目撃者の供述をもってしても被告人が被害者の背中を押したり頬を叩いた際に被害者が被告人に対して反撃に出たような事実は認められず、被害者が積極的に被告人に立ち向かう形でその襟首を掴んできたとの被告人の供述部分はにわかに措信しがたく、被告人が一方的に被害者に対し暴行を加えたものと認めるほかない。

被告人が被害者に対し教室から出るように指導したのに、被害者がこれに即座に従わなかった事情があることは認められるものの、このとき被告人は二年一組での再々テストをしていて右テストの妨げになるとの理由から被害者を退席させようとしたのであるから、被害者が教室を出たところで指導の目的を一応達成したものと考えられるのに、そこで終わることなく、廊下に出る直前に被害者がスカートのウエスト部分を折り返し裾を短くしているのを発見すると、テストの監督をしなければならないという自己の立場を忘れ被害者のスカートをおろさせることにのみ執心し、被害者を突き転ばすといういかなる教育的意味があるか理解に苦しむような行動に出た上、被害者から『そんなんしたら直されん』と抗議されると廊下に更に押し出し『なめられてたまるか』という気持ちから前記のような激しい暴行に及んでいるのであって、このような状況からみれば、被告人が冷静に校則違反是正のための指導をして被害者にこれに従う余裕を与えたものとは到底認められず、明らかに被告人の態度は冷静さを失ったもので、被告人の被害者に対する暴行は教師の生徒に対する指導とはかけはなれた違法な体罰であり、被告人が感情的に『激怒し』て被害者にこれを加えた事実を優に認定することができるものである。

そして原判決が「量刑事情」の中で「腹立たしくなり」「カツとなって咄嗟に犯行に及んだ」と認定判示しているところとは、「犯罪事実」の中で「激怒し」と、また「量刑事情」の中で、「怒りの余り我を忘れて」「短絡的に激怒して」「憤激のあまり暴行を加え」と認定判示しているところとは、いずれも被告人の本件犯行時の心理状態を説示するものとして、用語の違いこそあれ、それが実体を反映している点で違いがあるとは考えられないから、これが理由齟齬にあたらないことは明らかである》

控訴趣意書にあった「教育的立場」から引き起こしたというロジックを一蹴している。そして、さらに控訴審判決は、「量刑不当」と主張した控訴趣意書にこう反論を続ける。

《高校教諭であった被告人か同校の生徒であった被害者がスカートのウエスト部分を折り返して丈を短くしていたという校則違反をしていたことを理由に同女の頭部をコンクリート柱等に激突させるなどの暴行を加えて死亡させたという傷害致死の事案であって、十六歳の若さで突如として一命を奪われた被害者本人の無念さはいうに及ばず、両親らが受けた悲しみの深さにも察するに余るものがある。同高校では服装等について細かな校則が定められ、しつけ教育重視の方針により日頃から比較的厳しい指導がなされ、教師の間では口で注意してもきかない場合には体罰を用いて生徒の指導にあたることが必ずしも珍しいことではなく、これが許されるという風潮が一部に瀰漫していて、本件前に他教師による体罰事件が起こった際には校長から全教師に対して生徒への教育のあり方や体罰を加えてはならないことの指導がなされていたのに、被告人は、平成七年六月十四日にも、他の生徒に対し暴行を加えるという事件を起こし、また再び今回の事件を起こしたものである。生徒に対する懲戒権について定めた学校教育法十一条但書が体罰を禁止しているのは、体罰がそれを加えられる者の人格の尊厳を著しく傷つけ相互の信頼と尊敬を基調とする教育の根本理念と背馳し、その自己否定につながるおそれがあるからであって、問題生徒の数が増え問題性もより深化して教師の指導がますます困難の度を加えている現状を前提としても、その趣旨は学校教育の現場においてなによりも尊重、遵守されなければならない。ましてや、生徒に対し教師が感情的になって暴行を振るうことは厳に戒められるべきことである。被告人の本件における暴行は、被害者が被告人の指導に直ちに従わなかった事情があるにしても、それ以上に教師に対して実力をもって反抗したような事情は認められず、せいぜい被告人に突き転ばされた被害者が「そんなんしたら、直されんやん」と抗議し、更に加えられた暴行を避けようとして被告人を押し返すようにした事情が窺われるだけであるのに、被告人はこれを反抗的態度と受け取り、「なめられてたまるか」という気持ちから被害者に対し一方的に暴行を加えたものであって、当初の目的は正当であったとしても、その手段方法において明らかに正当性の範囲を逸脱しているうえ、被害者との対応の過程でその当初の目的すら忘れ去り、遂には教育の名に値しない私憤に由来する暴行に終わったもので、まさしく違法な体罰であったといわなければならない》

こう断じたあと、判決文は宮本か大学卒業後一貫して近大附属に勤務し続け、卓球の指導に熱心であったこと、ゆえに慕う生徒も大勢いたこと、そしてすでに近大附属から懲戒免職処分を受けていること、マスコミ報道などで相応以上の社会的制裁を受けていること、妻と子どもにも影響が及ぶことなどを考慮しているが、二年の実刑に相当する刑事責任があるとした。

その後、宮本は上告せず、未決勾留期間の一一○日間を差し引いた服役が始まった。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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