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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第47回 生徒たちの生の声

藤井誠二ノンフィクションライター

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生徒たちの生の声

「本当」の生徒たちの追悼文と読み比べていただきたい。

《ちょうどいまから一年前、私たちのクラスメイトの陣内知美さんが亡くなった。知美が死んだなんていまでも信じられないことだ。ふとした瞬間に、クラスの中に知美がいるように思えるときもある。だけど、本当はいないと思うと急にさみしくなる。

あの日はいまでも、しっかり覚えている。

いまから夏休み……ちょうどその前日のことでした。

私は簿記のテストで居残っていた。まさか、そのとき、トモミがそうなることを思ってもみなかった。あの先生は暴力教師だ。宮本がトモミを殺した。まだ十七歳になる前の小さな命を奪った。なぜ先生の指示に従わなかっただけで、殺されなければならないのか。私はくやしくてしょうがない。なぜ、体罰なんてあるのか》

《あれから一年……いまだに信じられません。ともみちゃんのいないクラスはなんか静かというか暗い感じがします。いつまでもくよ×2してたら、ともみちゃんに笑われるので、ともみちやんのためにも、私たちクラスはがんばろうと思います。体罰を加えた宮本先生がいまでも憎いです。多分、これからずっと宮本先生をうらむだろうと思います。最初から「体罰」なんてものがなければ、ともみちゃんの人生だってあるのに……。宮本先生の人生だってメチャ×2になるのに……。いまごろ宮本先生は後悔しても、もう後戻りはできない。これからも「体罰」を先生たちに加えないようにしてほしい。ともみちゃんのために……》

《去年の事件から一年がたったいま、私はまだ信じられません。このクラスのどこかにいるんじゃないかと思うくらい。いま思えば、ともみちゃんともう少し話しがしたかったです。去年の七月十八日のことは忘れられないと思う。私にとって同級であって、しかも同じクラスの人が亡くなったことがすごいショックで、二~三日眠れないときもありました。私は「体罰」という言葉がなくなればいいと思った。あの先生がいまでも憎いです。殺したいぐらいです。学校の方針も少しは変わったけど、先生たちは本当に分かっているのかとたまに思ったりもします。彼女の人生を終わらしてしまった先生に本当に罪を償ってほしいです。一年前の先生達の表情を見ていると、すごく腹が立ちました。なにごともなかったかのような、へいぜんな顔です。これからはこんなことがないよう、先生たちが気をつけてほしい》

《昨年、ニュースではじめて知ってびっくりした。葬式に出席しても信じられず、いまでもあまり実感がないくらいです。体育祭、修学旅行と一番楽しみにしていることを前に悔しい思いでいっぱいです。学校も少しは変わったけど、いまの状態に慣れてきて、ともみちゃんのことを忘れてきていると思う。体罰がなくてあたりまえと思う人か増えていると思う。ともみちゃんの命とひきかえに体罰がなくなったことを忘れないでほしい。この先、また体罰が再発するようなことだけにはならないでほしい》

《知美ちゃんはとてもいい人だった。性格は明るい人だった。宮本先生は絶対に許せない。どこの学校でも、体罰は絶対にあってはいけないと思う》

《もうあれから一年がたつけど、この一年はこの学校にしてもうちのクラスのみんなにしても、どことなく暗かったような気がする。学校の外では、ともみさんのことをなんにも知らないくせに悪く言う人をたくさん見てきた。そのたびに腹が立った。いまもまだその「悪いウワサ」なんか信じている人がいるかもしれない。そんな「悪いウワサ」なんか信じないでほしい。そして、あの事件のこと、ともみChanのことずっと×2忘れないでほしい》

《知美はめちゃいい奴で、私たちの中から宮本が知美の命をうばったこと、ムカツク。たとえそれがわざとじゃなかったにしても他に方法がなかったのかと思う。人を暴力でどうにかしようという、おとなの考え方にはついてゆけない。そんなことでは私たちは一つもおとなの言いなりにはならないし、反対に反抗すると思う。あのとき、せめて知美の命が助かっていれば、いまも前の学校のようなものだったのかなと時々考える。学校はどうなっていたかなと思う。とにかく私たちの中から一人の人間の命をうばったことが私は腹が立つし、その状況や環境をつくった人すべてに腹が立つ》

クラスの大半の生徒たちの文章に「体罰」についての激しい怒りや、それを生み出してきた学校の体質そのものへの憤りが記されている。教師たちが「作文」したもののような「ぬるさ」はない。「ともみちゃんの命とひきかえに体罰がなくなったことを忘れないでほしい」と書きつける、友人を奪われた者の心の襞を、おそらく教師たちは理解できないだろう。

元春も言う。

「私が校長に言っていたんです。生徒が弔辞を言えるような機会をつくってほしいと。クラス全員は無理だから、たとえば十人ぐらいとか。結局、もっと(知美と)仲のよい子が読みたいという話もあったらしいのですが、クラスの副委員長が読んだのです。追悼文は国語の先生がアレンジして、まとめたんです。ゆっくり読むところ、力を入れて読むところとか印がしてある。生徒の生の声にくらべて、アレンジしてあるほうは、学校を非難するところが一つもないです。学校が身を切るような表現がない。

そんなことを言い出したらたくさんある。第一、追悼式が祥月命日の十八日にできなかったのも、学校のスケジュールを優先しただけでしょう。私の都合は聞かれずに、学校のスケジュールに沿っただけ。一日はやく夏休みをはじめて、一日早く終わればいいんです。本当に知美の死を重く受け止めてくれるのなら、そのぐらい簡単なことのはずです。本当はそういう声が職員の中から盛り上がってくるべきでしょう。声になるべきでしょう。ならないのは、反対の声が多いということでしょう。

PTAからも、なに一つそういう声がおきていない。ネットワークの佐田さんがPTA会長宅に電話をかけ、父母会としてもそういうことをやってもらえませんかという要望を言ったら、『それは学校に言ってください、PTAとしては与かり知りません。父母会からも誰一人としてそういう声は上がっていませんから』とそっけない返事がかえってきたんです。佐田さんは、『陣内さんもPTAの会員なんですけど』、と言ったら、『娘さんが亡くなられているから、たぶん会員じゃないと思います』という答えだったそうです。ひどいです」

――近大附属は少しは変わったのでしょうか。

「(生徒を)以前ほどは叩かんけれども、変わっとらん。なにより、事件後も部活で三件も体罰があったことが報道されています。それに、校則違反のチェックが厳しくなったようです。制服の襟がきちんとなっていないとか、ネクタイを短くしているとか、すごく細かいことまで注意されるんです。目をつけた子を集中的にやって、あと一回したら退学ぞ、と言うらしい。

今年『一九九六年)の九月、こんなことがありました。

知美とすごく仲の良かった生徒が、運動会に知美の遺影をもってはいろうとして、運動会の前日に、学校の帰りに取りに来ると言っていたんですが、来れなくなって『おいちゃん学校へ持ってきてくれんやろか』という電話があった。それで学校へ届けたことがあったんです。何でこれんのかと思っていたんですが、その子は遅くまで校則違反で指導を受けていたんですね。だから体罰を生んだ体質は変わっていません。何も変わっていない。宮本のほかに叩いていた教師を処分していないでしょうが。裁判で裁けるのは殺した宮本だけなんです。事件後に部活でおきた体罰事件の教師を処分したとは聞いていない。体罰はしたらいかん、と言うだけ。国会で、体罰をしたら教職を解くという法律をつくるべきです。そうせんと、体罰はなおらん」

遺族は学校への不信感をぬぐい去ることができない。それは、近大附属の教員たちが、体罰を生んだ自らの体質を見抜くことができていないからである。だから、抜本的な改革ができない。

学校は、学ばない。教員は、省みない。なぜなのか。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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