Yahoo!ニュース

【連載】暴力の学校 倒錯の街 第48回 生死を分けた四○分

藤井誠二ノンフィクションライター

目次へ

生死を分けた四○分

元春がいまだに疑念を捨てきれないでいるのは、知美か倒れた直後の学校側の対応だ。

「倒れてから、病院に運ばれるまで一時間近くもかかったのは、どうしても腑に落ちんのです」

事件後に学校長が作成(一九九五年七月二○日)し、監督官庁である福岡県私学学事振興肋長あてに提出した事件の概要報告を再度見てみると、事件発生が、午後三時四五分ごろ。保健室に運ばれた知美の脈をとるか手にふれず、呼吸も停止していることからK養護教諭が一一九番に電話したのが三時五五分ごろ。救急車が来たのが四時一分ごろ。そして、四時二九分すぎ、救急車で飯塚病院救命救急センターに搬送。四時三三分ごろ飯塚病院に到着。

確かに事件発生から、病院に運び込まれるまで、この報告書から計算すると約五○分かかっている。救急車が学校に到着してから、救急隊員や看護科の医師らで二八分間、応急治療がおこなわれている。救急車は通報から約五分で学校に到着し、学校から病院までも五分とかかっていないのだから、学校内に四○分ほど、とどめ置かれたことになる。

あくまで仮定だが、すぐに一一九番通報し、倒れた現場から保健室に動かすことなく救急車に乗せ、病院に移送されていれば、知美は倒れてから十数分後に治療が受けられたかもしれないのだ。元春が、「もっと迅速な処置さえしてもらっていたら」という思いを拭い去ることができないのも無理はない。

1章で記した、T教諭やK養護教諭らの供述を反芻してみてほしい。

事態に立ち会った教師たちが半ばパニック状態だったことがわかる。なにが起きたのかを把握し、迅速かつ的確な判断をとることはできなかったに違いなく、従って彼らを責めることは筋違いかもしれない。しかし、遺族の「もっと早く病院にかつぎこまれていれば」という悔恨と疑念は消えない。

教師の暴行を受け、意識を失っている生徒を四○分近くも校内にとどめ置いたことを、福岡県内の公立・私立学校で働く十数人の養護教諭に聞いてみると、だいたい三種類の意見に集約できた。それは、1、当事者になったら、おそらく自分も同様の反応をしてしまうだろう、2、O-157の影響もあるが、生徒が異常をきたしたらすぐに救急車を呼び、医療行為を施すことのできる専門家に一刻も早く見せるというのがいまの学校の常識。明らかに教師の判断ミス、3、他人事ではない。体罰が校内で日常化していれば、体罰が子どもの命を奪うこともありえるという危機感を教師が持てないのは当然、というものである。

三番目の意見を主張した、ある中学校の養護教員は言う。

「近大附属では、体罰が日常化・慢性化していたと聞いていますから、体罰で生徒が倒れたということに対して、殴った当の教師、そして同僚の教師たちも、もしかしたら体罰が生徒を殺してしまうことになるかもしれないという危機感が薄かったのではないでしょうか。私の勤めている中学校でも、教師の体罰は日常茶飯事です。この間、お腹を教師に蹴られて苦しくてうずくまっている男子生徒を、さらに蹴り続けていた男性教員がいた。私はとっさに止めにはいったのですが、無抵抗の子どもをあのまま蹴り続けていたら、陣内さん事件の二の舞になる可能性があったと思う。そんな日常風景が、体罰教師の感覚はもちろん、それを黙認している教員たちをも鈍感にさせているのです」

目次へ

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

藤井誠二の最近の記事