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沖縄県知事「選挙後」の風景はどうなっていくのだろう 後編

藤井誠二ノンフィクションライター

事実上、沖縄の「保守」が分裂し、「保革」の壁が溶けたようなかたちで繰り広げられた沖縄知事選挙が元沖縄市長の翁長雄志氏の勝利で終わった。大方の予想通りである。これは一昨年末の仲井真知事が辺野古基地容認へと「転んだ」ことの反動であることは間違いないが、今後はどのようにして公約とした移設を止めていくのかが問われることになる。

公示後の他候補との議論で、あらゆる手段を講じて移設承認取り消しを求めることを公言したが、茨の道はまちがいない。人々の無関心が政治の変節を生むこともあるし、今後、政府からのすさまじいプレッシャーがかけられる中で、翁長新知事も仲井真のように公約を変えるのではないかと思っている人は少なくないと思う。一方で普天間基地の固定化とも闘わねばならない。その茨の道をどれぐらいの人々が関心を持って共に歩んでいくか。

一〇万票上回ったことは圧倒的な翁長氏の勝利なのはまちがいないが、すくなくとも、宜野湾市や浦添市など人口が多い自治体の長が仲井真の応援団として態度を表明したことは事実上、「建白書」=オール沖縄は崩れてしまっている。今回の仲井真陣営のとったネガティブキャンペーンはそうとうひどいものだったので、禍根を残したことはまちがいない。「建白書」が元の鞘におさまることはないだろう。

仲井真昨年末に辺野古沿岸部の埋め立てを承認し、工事はすでにはじまっていて、国は年度内にも埋め立てを始めたいと考えている。翁長氏は就任後すぐに仲井真氏の承認の経緯を検証するだろう。そして瑕疵があれば撤回や取り消しに動く。しかし瑕疵がない場合は、行政法の専門家たちの間ではひっくり返すのは極めて難しいという意見が強い。おそらくは国相手の裁判闘争になっていく可能性が高いだろうが、瑕疵がないとすればとうぜん不利な条件となってくる。

防衛省は今年の九月、辺野古の埋め立て工事の一部の作業工程を変更したいと県に申請している。稲嶺進名護市長の協力が得られないので、行政手続き市が関わることなしに工事を進めたいためだが、これが仲井真氏であればすんなりと通ったのだろうが、これを翁長氏は承認しないだろうから、とうぜん工事は停滞することになる。あとは日本政府やアメリカに直談判を繰り返すことになるのだろうか。

【目次】─────────────────────────────────

■沖縄と日本=ヤマトにはレイプ被害者と加害者の関係に似ている

■知事選の本質は「ヤマト」への怒りだ

■百花繚乱の議論ができる時空をつくってほしい

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■沖縄と日本=ヤマトにはレイプ被害者と加害者の関係に似ている■

私は市民運動や警察の集中的な摘発で消え去ってしまった、沖縄で戦後から続いてきた売買春街についての取材をこの数年続け、現在、ノンフィクション作品にまとめあげる作業をおこなっている。沖縄の売買春街の歴史的背景には米兵から受け続けた夥しい数の性犯罪がある。なおかつそれらの多くは日米地位協定等により、加害者の特定すらされず、とうぜん裁きも受けてこなかったケースで、そういった異常事態が戦後しばらく続いたのだった。そういった歴史や背景を取材してきたせいもあり、事程左様に沖縄と「日本」(国家)との関係においては、常に歪な「性犯罪」のにおいがつきまとっているように私には感じられてならないのだ。

二〇一一年十一月末、沖縄防衛施設局長が普天間基地の移設問題に記者懇で、防衛相が辺野古移設への環境影響評価書の提出時期を明言していないことについて女性をレイプすることに例え、「犯す前に(これから)『やらせろ』とは言わない」などと発言して問題となったことを覚えているだろうか。記者懇はオフレコが前提とされるが、発言のあまりの下劣さを考えれば、すっぱ抜いた地元紙記者の判断は正しかった。

局長はただちに更迭されたが、一川保夫防衛相(当時)は参院東日本大震災復興特別委員会の、この一件に関する答弁の中で一九九五年の米海兵隊員らによる少女暴行事件について、「正確な中身を詳細には知ってはいない」と答えたのである。防衛相は、日本を二分するほどの米軍普天間飛行場返還運動の端緒となった事件に対してまともな知識を持たないまま、問題発言をした局長を更迭したことになる。

政府高官にしてこの品性のなさと知識レベルが、そのまま「内地」と沖縄の「距離」なのだと私は思う。私たちが沖縄の「一大事」をどこか遠く感じてしまう感覚とそれはおそらくつながっている。沖縄が半世紀以上にわたって煮え湯を飲まされるような現実を経験してきたのに、どこか遠い国の出来事を眺めるような感覚が私たちにはある。

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■知事選の本質は「ヤマト」への怒りだ■

歪な「性」のにおいと私は書いたが、普天間基地返還交渉のきっかけとなった一九九五年の米兵による中学生レイプ事件しかり、防衛庁幹部の発言しかり、言い換えるならば、沖縄はアメリカと「日本」にレイプをされ続けてきた、という言い方もできるということだ。辺野古基地の事実上の新設も、オスプレイ配備も、発生件数こそ減少したが未だに止むことがない米兵の犯罪も、沖縄には常に犯される側だった。

そういった沖縄の戦後に対する日本=ヤマトの態度が無数の「分断」と「沈黙」を生んだという状況認識は、ごく一部のネトウヨ的発想をする人々をのぞいて、沖縄の「保守」も「革新」も関係なく持っていると私は思う。「沖縄差別」という言い方を沖縄で聞くようになって久しいが、そういった憤怒が今回の「保守」も「革新」の壁も取っ払った県知事選に発展しているのだと思う。ほんらいであるならば国レベルで解決しなければならない「米軍基地」が争点になってしまっていることはナンセンスなのだが、その根底にはヤマト=日本へと向けられている怒りが横たわっているということを私たちは気付かねばならないと思う。

私たちは従来的な「保守」対「革新」という二極対立的な構図で、今回の知事選を見るべきではない。「経済」や「基地」をめぐっては、沖縄では戦後、さまざまな大小の内部対立が続いてきた。

私が取材してきた沖縄の「売買春」街と沖縄の「戦後」との関係を見るだけでも、米軍基地の返還は誰しもが望んでいても、目の前の生きる糧を得るために、ときにはアメリカの機嫌を取る人々もいたし、徹底的に猛反発した人達もいた。

米軍が性病の蔓延を理由に飲食店や飲食店街への米兵の立ち入りを禁じるオフリミッツを頻繁に発令してきたが、ときに反米闘争が起きたときに、米兵と住民との衝突等を避けるためにそれを発令することもあった。そうすると、米兵の落とすカネで生計を立ててきた飲食店に関わってきた人々は、オフリミッツが長引くとだんだんと「反米闘争」を担う人々を逆恨みするようになっていき、沖縄で「分断」が起きる。アメリカとはときには喧嘩をして、ときには伺いを立てるというのが、沖縄のとらざるをえなかった処世術だった。

それがときに「保守」対「革新」というふうに呼ばれて対立をし合ったが、その内実は政党名だけで分けられるほど単純ではない。

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■百花繚乱の議論ができる時空をつくってほしい■

今回の知事選で大切なのは「選挙後」だと思う。辺野古問題は重大なイシューだが、「分断」の中で押し黙ってきた人達から、白黒をはっきりつけられないような複雑な意見が自由に吹き出してくる状況をつくりだしてほしい。とりわけ押し黙っている人達は若い世代も多い。大学や予備校でこの数年で多くの二〇代の意見を聞いてきたが、何をやっても沖縄の声は届かないという諦めが先にたつのと同時に、社会運動の敷居が高いと感じてしまっている傾向が顕著だった。これは沖縄の社会運動の継承がうまくなされなかったということでもあるし、言論空間が狭まってしまっていることでもある。これにはマスコミの果たす役割と責任も大きいが、まずは自由闊達な議論の空間を作り出していくことに、「保革」の壁を取り払った知事選がつながってほしいと切に私は思っている。

よく沖縄の反米軍基地運動は「内地」からの「プロ市民」と官公労組の人々しかないと言われることがある。もちろん沖縄は人口の流動性が高いことからもわかるように、「内地」へ働きにでる人も多いし、移住者も多い。反基地運動などの「沖縄の声」と言われるものはそういった人々の声で、元来の地元の人々の声ではないというものだ。もちろん移住者もいるが、そうした見方は間違っていることは、現場に行けばわかる。しかし、そういった「情報」を鵜呑みにしている沖縄の若者も少なくなく、それぐらい彼らにとっては「運動」が遠いということだ。また米軍基地関連経済は全体の数パーセントにすぎないが、大きく依存してしまっていて、基地がないと経済が立ち行かなくなるというガセ情報を信じてしまっている若い世代も少なくない。政治への関心が薄れ、そこに言葉を発する動機付けがなくなると、根拠のない虚構的な情報を鵜呑みにするようになってしまう。今後は若い人達をどう「政治」の場へ呼んでくるかも大切なテーマだ。将来の沖縄を担うのは彼らなのだから。

むろん知事選後は基地問題だけが待ち構えているわけではない。例えば県内の経済格差が日本一であるという問題は、若者を政治への関心を向けるためには早急に取り組む必要があるだろう。地元紙では大きく報道されていたが、県民の雇用が条件の補助金目当てに「内地」からブラック企業が参入して、全国の最低ランクの賃金しか支払われないことケースも後を絶たない。補助金や交付金が沖縄を潤すことなく、「内地」へと吸い取られていく構造は完全に倒錯している。若い世代はこうした問題にこそ直面していて、基地はどうでもいいという気持ちになってしまうのだろう。「反基地」=沖縄アイデンディティという言い方だけでは若い世代を巻き込んでいくことはできないだろう。

私は沖縄に仕事場を持っているが、沖縄からすれば「お客さん」にすぎない。しかし、沖縄のすばらしさや奥深さ、そしてつよさを再発見していく役割は担っていきたいと思っている。沖縄の「外」側からだからこそ見えることだって、たくさんあるのだ。

(この文章はインターネットサイト「ポリタス」(2014.11.16)に書いた原稿に加筆をしたものです)

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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