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日本の空疎なる「戦争抑止論」を沖縄から考える 屋良朝博氏(元沖縄タイムス論説委員)×藤井誠二 第一回

藤井誠二ノンフィクションライター

沖縄の辺野古で米軍の新基地建設をめぐり、反対行動を繰り広げている人々と、工事を押し進めようとする国が一触即発の対立を続けている。今年5月16日には3万5千人を集めた反辺野古基地建設県民集会が那覇市内のスタジアムを満員にして開催された。翁長新知事体制になってから膠着状態は続いている。

そもそも沖縄になぜ他国の軍隊が駐留しているのか。在日米軍の75パーセントが沖縄に集中し、沖縄本島の面積に占める米軍基地(日米共用含む)の割合は18パーセントという、独立国家とは思えないありさまが何十年もほとんど変わらずに続いている。

「内地」の若い世代と話すと、沖縄は米軍基地をすすんで受け入れていると勘違いしているというより、ブルドーザーと銃剣で無理やり奪われた土地であることを知らない。基地を受け入れて、その見返りとしてそれなりに沖縄は潤っているのではないか。そういう見方も少なくないことに私は驚く。元沖縄タイムス論説委員で、沖縄の米軍基地問題のスペシャリストである屋良朝博氏にインタビューした。

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■日本と沖縄の歴史的な「隙間」を米軍は調べ上げていた

■目眩がするぐらいの沖縄と本土の「意識」ギャップ

■海兵隊は岐阜や山梨から沖縄に移ってきた

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■日本と沖縄の歴史的な「隙間」を米軍は調べ上げていた■

藤井:

翁長知事と菅官房長官が会って話をしました。この本質について屋良さんは、〔翁長・菅会談を読み解く-「海兵隊=抑止力」は真実か?・沖縄タイムス+プラス〕( http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=235 )で書かれています。ここで屋良さんは、〔沖縄基地の真相は、在沖米軍の中で最大兵力、最大の基地面積を占める海兵隊は沖縄でなくても機能するが、日本国内では米軍の駐留を拒否する-ということが沖縄基地問題の深層に隠されている。真実を見えなくするマジックワードが「抑止力」である。〕は主張されてますね。この「抑止力」という言葉の前に冷静な分析や思考が停止してしまう。

そもそも論なのですが、辺野古問題の話を二十歳前後の若い人たちとすると、「米軍の基地なのにどうして日本が場所を決められるのか」というものが多い。「軍事的に必要だ」と言うのであれば、米軍が優先的に決める事であって、むろん、日本が使う訳でもない。日本が「徳之島が良い」、「九州が良い」、「受け入れてくれる自治体は無いのか」、「最低でも県外」と言うのはどういうことなのか。もちろん米軍にはお伺いを立てる訳だけれども、そこは一体どういう仕組みになっているのか、ということをお聞きします。

屋良:

外国軍の基地が、独立国の中にあるスペースを確保して、そこに居ついてしまうというのは、実に不自然な状態であるという事を理解しないといけない。独立国家の中に、外国軍が居る。例えば日米同盟があって、日本とアメリカは同じ方向を向いていると僕らは認識していますけれど、ある何かの事象に対する対処法で、オバマ大統領と安倍晋三の考え方が違うとしますよね。そうすると、日本の中に居るアメリカ軍は誰の命令に従うかというと、当然オバマ大統領に従う訳です。じゃあ、日本の意思はどうなるのかというと、全然、無視されちゃうのです。

つまり国家の「主権」の問題に関わる事です、外国の軍隊が独立国家の中に居るという事は。それが何故可能になったのかを考えると、戦争です。戦争という超通常ではない状態があって、外国軍の占領から始まって、それが基地を造り、突然同盟国になった。占領国が同盟国になる訳だから、軍隊は占領軍が突然駐留軍になる。そういった経緯があるという事をまず認識していないと、基地問題というのは絶対に分からない。

藤井:

1945年に日本が敗戦をむかえ、沖縄がアメリカの施政下に置かれたことから始まる。サンフランシスコ講和条約締結後も日本と切り離され、アメリカの占領が続くという、沖縄なら誰でも知っている、若い世代も学校で習う歴史ですね。

屋良:

アメリカ軍が沖縄に上陸したのが、1945年の4月からです。その1年前の1944年に、藤井さんはご存知かもしれませんが、「琉球列島民事ハンドブック」というのを、アメリカの海軍省が作成するのですよ。沖縄を占領する為の基礎資料として、沖縄の文化、自然、人種、言語、全てを調べあげています。その中にこんな一節がある。「日本と琉球は人種的にも言語的にも同じ種類にも関わらず、日本人は琉球の人を同等と見なしていない。いわゆる差別をされている。ところが沖縄の人達はそれに対して劣等感を抱く訳でも無く、寧ろ独自の文化と長い中国との交流の歴史に誇りさえ持っている。そこに日本の琉球との歪みがある。その政治的な隙間の中に私達が入り込む空間がある」と。

藤井:

ええ、存在は知っています。アメリカは薩摩藩による「琉球処分」から何から何まで周到に調べ上げ、沖縄の人たちの意識も調べていたのですよね。

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■目眩がするぐらいの沖縄と本土の「意識」ギャップ■

屋良:

調べ上げて、そういうふうに書いていた。占領で基地を置く彼らは、潜在的、政治的な「隙間」をそこに見出していたのです。恐らくそれは正しくて、今もそうなのだろうと思います。戦前は当然さまざまなかたちで「沖縄差別」があって、戦後も続くわけですけれど、たとえば沖縄が玉砕するその時、太田海軍中将が自決をした。太田海軍中将が「沖縄県民沖縄県民斯(カ)ク戦ヘリ」の電報を6月6日に打ったじゃないですか。彼が自決をする6月13日に東京で何があったかというと、東京両国国技館で夏場所の千秋楽があったのですよ。その時の何日間かの新聞を見てみると、「沖縄島玉砕」というふうに書いてあるのです。その中面に千秋楽の記事があるのですよ。その眩暈がするくらいのギャップですね。それが恐らく今も続いているのではないかと僕は思うのです。1950年代になると日本の色んな所で反米軍基地の騒ぎが起こる。石川、長野、岐阜、山梨でもありました。それから極めつけは、東京立川飛行場の拡張に伴う、砂川闘争です。砂川闘争があったその頃に、海兵隊は沖縄に移ってくるのですよ。何故移ってきたかという理由は全く分からないです。

藤井:

軍事的なものの意味合いと、地元で嫌われているから、という二つが言われていますが、どういうふうに考えればいいでしょう。

屋良:

独立国家の中に外国の軍隊がいるというこの不自然さはどうあろうと解消されない。ひとつの身体の中に異物が入っているのと同じで、いつか膿を出さないといけないものなのです。自分の意思と違うものが入っているという訳ですから。国内の米軍基地を上手く扱っていくことを先進国ではいろいろやっていますけれど、日本は75パーセントが沖縄に集中していて、そうなっていない。基地の存在というのはそもそも、「皆嫌がっている」、「迷惑施設」と言っては過言かもしれないけれど、基本的にはそういうものなのです。それに米兵によるレイプ等の犯罪被害がある訳でしょう。しかも、その人達は地位協定等の特権で護られている。そうすると、皆が嫌がるのは当たり前です。嫌がるものをどんどん政治的に弱い所へ持っていっちゃった訳です。これはアメリカの政策でもあります。基地は国民の目から遠ざけるという政策が50年代に恐らくその流れで海兵隊を沖縄に移していった。

藤井:

今年8月に出る拙著『沖縄アンダーグウランド』で沖縄の「浄化」された売買春街の戦後史をつぶさに調べましたが、戦後の米兵によるすさまじい性暴力の嵐に沖縄はおそわれ続けてきて、激しい戦慄を覚えました。米軍の海兵隊が山梨と岐阜から出たのは内陸部であるからで、反対運動や嫌われているからというのは後付けの話ですか。

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■海兵隊は岐阜や山梨から沖縄に移ってきた■

屋良:

嫌われているというか、基地を置いておくのが難しい訳です。政治問題化しちゃう。そうすると、日米同盟、日米安保体制を崩すかもしれない危機感を、為政者は持つ訳です。そうすると人目の届かない所にどんどん持っていったのが、沖縄への基地の集中だと思います。

藤井:

当時、極東におけるアメリカの軍事展開は、もちろん今とは違う考え方だったと思いますが、「沖縄に置くのが良い」となったわけですか。朝鮮戦争のときは、山梨と岐阜の方が良かったのですか。

屋良:

それは朝鮮半島を警戒する為には、沖縄よりは良いです。沖縄は朝鮮半島から圧倒的に遠いし、沖縄からの輸送手段が無い。船も無ければ、飛行機も無い。海兵隊を運ぶものが無い。だから、沖縄に持ってくる軍事的な合理性がほとんど分からない。軍事専門家の中には、当時、中国共産党が台湾を奪取しに来るから、警戒する為に海兵隊が沖縄に来たという様な解説もありますけれど、そもそも海兵隊が小さすぎる。その程度の戦力でどうやって台湾を護るのですか、という事です。

むしろ、(沖縄には)海軍と空軍を置いておくべきものなのです。アメリカ国防総省の中にも当時、海兵隊を沖縄に持って来る事に対して反対論が根強かった。海兵隊を沖縄へ持って来るよりも、陸軍を持ってきた方が良い。その方が抑止力を効かす事が出来る。何故かというと海兵隊というのは、今現在もそうですけれど、アメリカ軍の中では一番小さな部隊なのです。予算も少ない、人も少ない、装備も少ない、無い無い尽くしの部隊なのです。

第二次世界大戦が終わったら、この世の中を核と核が睨みを利かす様な冷戦に入ってくるのに、何で今さら砂浜を駆け上がる様な戦い方をする部隊が必要なのかという意見が、アメリカの軍隊の中でたくさん出てきて、海兵隊不要論となっていきます。特に陸軍の中では、これは根強いのです。海兵隊は自分達と同じ機能を持った小っこい地上部隊ですから、「こいつら要らない。俺達に予算をよこしなさい」という事になります。

だから1950年代に海兵隊が沖縄に来たというのは、軍事的な理由ではなくて、むしろ政治的な理由であったという事なのです。軍隊というのは政治的なのですよ。そもそも論で言うと、軍隊に人、物、金を与えるのは何か。政治じゃないですか。軍隊に施設を与えるのも政治です。海兵隊は、沖縄の基地に76パーセントくらいです。一番大きな組織、一番大きな存在ですよ。中国の驚異が年々増幅されてきて、政府は、この辺の安全保障環境が悪くなってきている注意しないといけない状況になっている時に、海兵隊の半分をグアムに持っていく訳ですよ。これって合理的ですか、という事です。要は政治です。

ラムズフェルドが沖縄に来て、「何とかせい」と一言言ったから、ワシントンの意向を受け、太平洋軍が「グアムに半分くらい持っていきましょう」と数を合わせた。それも最初は司令部と補強部隊を持っていくつもりだったのだけれど、色々アメリカの中で予算上の事情があって、今度は実戦部隊を持っていくという事になるのです。沖縄がスカスカになってしまう、実戦部隊の中核である、第四海兵連隊というのが、グアムへ行っちゃうのです。

これはびっくり仰天。そうすると沖縄にどんな部隊が残るかというと、1年の内、8ヶ月から9ヶ月間、アジア太平洋地域をぐるぐる回っている部隊になっちゃう。一時立ち寄りの場所に、沖縄はなってしまうのです。それは果たして軍事的に合理性があるかというと、僕ら日本人が考えている「大きな基地があって日本を護ってくれるから安心だね」というイメージでは全く無いのですよ。それが実態であるという事です。

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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