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沖縄の基地問題を考えるためのヒント 樋口耕太郎×藤井誠二 (2)

藤井誠二ノンフィクションライター

■沖縄では50歳以上の生活保護受給者が増えている状況をどう考えるか

■幻の政策アドバイザー

■沖縄では50歳以上の生活保護受給者が増えている状況をどう考えるか■

藤井:

コザのあちこちには昔の街の面影が残っているスナックとかクラブをリニューアルしてやっている店がごくわずかあるけれど、まち全体の魅力につながっていない。街づくりは一朝一夕でできるものではないけれど、基地に付随して発展してきた街や、米軍基地の返還地はまとめてでかい箱ものをつくるか、ショッピングモールをつくるパターンが目立ちます。もちろん、そうではない例も浦添の港川の米軍住宅をそのまま再利用したショップが立ち並んだ区域(港川ステイツサイドタウン)など一部にはあります。この間行ってきたら、ケーキ屋やカフェ、古着屋に中国から若い女性たちがたくさん来ていました。ところで、樋口さんの金融の専門家の視点から見ると、経済をまわす意味では箱ものをつくるほうが楽なんですか。

樋口:

ハコモノは時間的に早く出来上がるし、お金さえ払えば人が作ってくれるものだから、よりよい商品やサービスを生み出したり、苦労して人材を育てたり、頭を使う必要も汗を流す必要もない。安易というか、その方が楽だと考える人は多い。大きなお金も動くし、街づくりを手がける当事者の実績にもなりやすい。自分たちが世界中のモノを見て、文化的なものを経験して、膨大な資料に目を通して、たくさん勉強して、そのうえで地元にある資源を生かしてやっていきたいという、時間や手間のかかる街づくりは敬遠されちゃうのではないかな。

藤井:

樋口さんは沖縄では50代以上の生活保護者がすごく増えていて、それは仕事が無いからだという指摘をされています。一方で、ライカムが出来て、以前のゴルフ場の時の従業員は80人くらいだけど、今は3千人位になっている。雇用が増えたから若い人たちはすごくいいことなわけですが、樋口さんは『週刊金融財政事情』(2015.5.25号)にこう書いておられます。すこし長くなりますが、抜粋させていただきます。

[現在人口約30万人の那覇市では、1万1809人(2014年10月現在)の被生活保護者が存在する。最低値5788人を記録した1993年から20年間増加を続け、倍増した。これら保護世帯にかかる2014年度予算が約209億円。54億円弱が一般財源から支出され、市財政を強く圧迫している。80年から長きにわたって減少傾向にあった被生活保護者数は、00年前後を起点に急上昇に転じている。00年に6870人だった被生活保護者数は、14年度には1万1809人となり、72%増加した。00年から14年は、翁長雄志知事が那覇市長を勤めた期間でもある(データは2015年1月5日沖縄タイムス、那覇市健康福祉概要、那覇市統計書による)。

(中略)

たとえば、人口約260万人の大阪市には他都道府県から日中1000万人の流入があるが、島嶼圏の沖縄はこのような広域経済圏をもたない。島国で経済のパイが変わらないため、競合する事業が生まれれば他の地域の顧客が奪われることになる。顕著な事例は、北谷美浜地区のアメリカンビレッジ再開発によって崩壊状態に瀕している隣町のコザだろう。基地返還のモデルケースといわれている北谷美浜地区の評価は、コザの衰退とセットで考えなければ実態をとらえることはできない。

琉球イオン、サンエーの大手2社が00年から14年までの間に1000億円近く売上げを増やしたということは、地元の小売店や自営業者の売上げがそれだけの規模で奪われた可能性があるということだ。個人事業主で廃業した人も少なくないだろう。地域を支えていた共同体も変化したに違いない。

ショッピングセンターの開業や再開発に伴って新たな雇用が生まれる一方で、新たな雇用の「受け皿」から漏れる人たちが少なからず存在する。50歳以上の労働者だ。地元に根づいた商売が成り立たなくなれば、転職を考えなければならないが、50歳を超えて再就職先をみつけることは容易ではない。これが00年以降、50歳以上を中心に被生活保護者数が急増し続けている基本構造ではないだろうか。

実際、00年からの14年間で増加した4,939人の被生活保護者のうち、50歳以上が実に9割弱(4325人)を占めている。50歳以上だけでみると、同期間114%の増加率である。00年以降の被生活保護者数急増は、シニアの再雇用問題である可能性が高い。

しかし、被生活保護者数増加の一因がショッピングセンターの急増だったとしても、イオンやサンエーを批判することはお門違いだ。彼らの立場で株主に対して責任を果たそうと思えば、それ以外の選択肢は事実上存在しない。ダイナミズムあふれるグローバル社会において、地域の変化は避けられないことであり、悪いことばかりではない。大手企業が新たな雇用を生むこと自体は地域にとって明らかなメリットであり、生産性の低い業態が淘汰され、新たな産業が生まれる構造変化は社会の活力源でもある。90年以降、伝統的な製造業の雇用が大幅に減少するなかで、シリコンバレーの新興企業が大量に雇用を創出して、アメリカの国力を支えているのは典型的な事例だ。

問題の本質は、ショッピングセンターの増加ではない。古い産業が淘汰されることでもない。(語弊があるが)古い共同体が崩壊したことでもない。これらの変化は避けられないことであり、私たちは変化を前提に未来を創造せざるをえないのだ。本当の問題は、「私たちが現在生み出している産業のなかに、将来の自分たちが健康で幸福に働ける場所が存在しない」ということ、そして「再開発で街並みが変わったあとに新たな人のつながり(共同体)が生まれにくい社会設計を放置している」ことにある。〕

樋口:

オープンしたてのイオンライカムでは、始めの数ヶ月という条件付きですが、時給1500円くらいで募集している。沖縄で一番時給が高いから若い世代には飛びつく人もいる。確かに雇用は増える。絶対数で失業率は下がる。とりあえず彼らの購買意欲も生まれるし、経済的にはプラスしかない様に見えるけれど、その影で社会は確実に壊れている。質的な変化は目に見えにくいので、見逃されがちです。すぐには問題にならないのですが、放置しておくとボディーブローのように後から効いてくる。目に見えないものは、想像力を働かせないと認識出来ない。社会政策や経営を未来志向で捉えると、その時点では証明されていないものであっても、ときには直感を信じて行動しなければならない。社会も同じだと思います。50代以上の生活保護の増加も、ショッピングセンターとの因果関係が必ずしも明確だとは言えませんが、生活保護という症状に現れている以上、必ず「身体」のどこかに異変が生じているはずです。それが「内蔵」なのか、「神経」なのか、「血液」なのか、身体の内部を常に意識しながら社会を捉えないといけないと思うんですよ。そのためには多少大胆な仮説も必要です。

藤井:

事象と事象を関連づけて想像力を働かせて見ていかないと本質はわかりにくいということですね。こちらを立てればこちらが立たないというように、そうした沖縄の急速な「変化」も視野に入れながら議論をする必要がある。辺野古に反対するのはもちろん賛成なのですけれど、樋口さんも指摘されていますが、他の海岸に目を転じると埋め立てだらけで、皮肉なことに立入禁止の米軍基地の海岸が一番綺麗だったりする。どんどん護岸工事をしてきた。辺野古の海も大切ですが、一方で開発振興ということで自然を壊してきたこともきちんと視野に入れるべきじゃないかと私はいつも思うのです。だって護岸工事された浜は観光資源にはならない。

樋口:

ほんとうにそう思います。複眼でものを見る必要がありますね。

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■幻の政策アドバイザー■

樋口:

じつは僕、一昨年浦添市の副市長になりかかった事があるんです。副市長は民間からでも、どこから登用されてもいいのですけれど、さすがに内地出身の副市長はないだろうということで、政策アドバイザーに内定したのです。話の発端は、2013年2月に松本哲治氏が当選して浦添市長になった時のことです。元々、彼は「浦添新軍港受け入れ容認」という立場で候補になりました。ところが、自民党県連から支持されたもうひとりの対立候補の西原さんが、当時の儀間市長(軍港容認派)に対抗する為に、翁長那覇市長(当時)のバックアップを受けた形で「軍港受け入れ反対」を主張したのです。このため、選挙直前に松本さんも「軍港受け入れ反対」へと立場を切り替えた。あの一瞬だけ翁長さんは実質的に「浦添への新軍港移設反対」の立場にまわったともいえます。

形勢不利だった松本さんでしたが、蓋を開けてみれば、保革相乗りの「オール沖縄」的な票が想像以上に広がり、「軍港受け入れ反対」の公約を背負ったまま勝っちゃった訳です。儀間さんにとっても、自民党にとっても想定外だった。松本さんの後の説明によると、松本市長が誕生した後で、翁長さん(当時・那覇市長)は、「(自分が推薦した西原さんではなく)松本さんが通ったのだったらいいや」、と言わんばかりに、受け入れ容認派に逆戻りしてしまった、と。

その結果、たった一人、沖縄で松本市長だけが「軍港受け入れ反対」という立場になってしまった。軍港受け入れ反対という姿勢がどれだけ周りから反発されるか、松本さんは後になってその意味を実感したと思うのです。浦添新軍港を含む浦添西海岸の埋め立て工事では8千億円のカネが落ちると言われていますから、計画が前に進めば「20年間は食える」と経済界は考えていた。実際に軍港受け入れを表明した儀間市政では、2002年以降てだこホールや浦添美術館がオープンし、小中学校の整備が進むなど、多くのお金が落ちて、儀間さんの票に繋がり、長期に市政が安定していたわけです。

それらの勢力が全部松本市長の敵になってしまったわけです。「ふざけるな、松本」という経済界やらの声がデカくなって、あまりに反対が激しいものだから、彼は困ってしまった。誰かこの風当たりから守ってくれる人は居ないだろうかとさがしたところ、沖縄大学に樋口という変な奴がいて埋め立て反対だということを青臭く言っている、とぼくに話が来たわけです。西海岸の問題は樋口さんやってくれない?全部任せるから、というかんじで投げられた。信任して任せてもらったというよりは、ともかく自分の盾になってくれという意味だったように思います。それは後から気付いたのですけれど。

藤井:

樋口さんが絡んでおられたとは知りませんでした。地元に地縁血縁や利権の絡みのないシマナイチャーにそこに入って貰うという意味もあったのですか。

樋口:

僕は必ずしも悪い意味だとは思っていないのですが、ともかくいつ切り捨てても、クビにしてもよさそうな人間。沖縄社会とはしがらみの無いナイチャーだし、悪者になってくれそうな人という事で、彼はぼくをアドバイザーに内定したのではないかな。僕もキンザーを活かすことができるならと、喜んでその役目を引き受けた。そうしたら、松本さんにとって裏目に出た訳です。「ヒグチって誰だ?」、「ナイチャーだろ」、「埋め立て反対だと?」、しかも(ポーズだけじゃなくて)本当に反対しそうだと、経済界からの反発に火に油を注いでしまうかっこうになり、松本さんに対する圧力が倍増したのです。

(3)へ続く(本対談は2015年7月に有料メルマガ「The Interviews High (インタビューズハイ)」で配信したものを再掲しています)

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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