Yahoo!ニュース

久田将義氏に「生身の暴力」を聞きに行く 第四回

藤井誠二ノンフィクションライター

─────────────────────────────────────

■「暴力」に対する敷居の低さとネットの関係

■「暴力」はいけないという教育は効き目はあるか

■「暴力」の「生身のその後」をダイレクトに見せること、伝えること

─────────────────────────────────────

■「暴力」に対する敷居の低さとネットの関係■

藤井:

暴力に対するある種の敷居の低さという意味で、全体的に下がっているというか、「暴力」に対するある種の恐怖みたいなものがまるで、なく、さきほど久田さんが言ったみたいに「とりあえず殺してみた」みたいな感覚が広がってきていて、そうなると、我々が考える「生身の暴力」ではなくなってくる。僕の世代だと色んな意味で暴力は極めて恐ろしいでしょう。

久田:

極めて恐ろしいです。確かにその辺のバリアみたいなものは薄れてきたかもしれません。

藤井:

神戸事件の加害者に憧れて、やつに続く少年や少女が出てきたりすると、単純に脳の障害云々だけでは片付けられない問題があるのじゃないかとも考えているのです。そういう若年世代全体のストレスや、暴力が身体と乖離したところでふるわれてしまっているというか。社会のせいにはあまりしたくはないのですが、人を傷付ける事に対する敷居の低さ、ストレスのはけ口がすごく似てきている気がするのです。

久田:

そうですね。初めは猫を殺すくらいから始まっていきますね。最近もそういう事件がどこかであったと思うのですけれど、これは危ないなと感じました。これは前兆だと。前兆や傾向は、ぼくも何となく分かったりするのですけれど、それが、なぜかとなってくると分かりにくい。ぼくも社会の影響は絶対あると思うのですが、そこを取り上げるとぼくの守備範囲と少し違う部分が出てくるし、自分が経験的に追求する部分だけを凝縮したという手法に『生身の暴力論』はあえてしたのです。

藤井:

数としては、少年犯罪は減っています。横ばいか減少傾向。

久田:

少年の人数自体が減っているから減るのだろうなとは思います。でも、さきほど藤井さんが言ったような、残酷な事件はぜんぜん報道されないし、知らなかったです。障害者をリンチするなんて。

藤井:

ネットリンチと本当に似ていると思います。そういうケースは99パーセント素手ではない。凶器を使っています。自分の手を汚さないというか、痛みを感じないように鉄パイプとか木刀とかゴルフクラブとか。

─────────────────────────────────────

■「暴力」はいけないという教育は効き目はあるか■

藤井:

暴力を制御するものってあると思いますか。例えば久田さんがメインに書いてきたような、昔から続くリンチ型といか非行少年型をコントロールするものは何かあるのでしょうか。

久田:

やはり暴力はしてはいけないのですけれど、それよりも上回る圧倒的な暴力、というか本当に怖い人っているじゃないですか。めっちゃ喧嘩が強いとんでもない化け物みたいな人。伝説的な番長みたいな人。昔だったら、ヤクザは「役に座る」と書いてヤクザと読ませる説があって、僕はそちらを取っているのですけれど、そういう役目というか、地域に座る圧倒的存在感の人が多分いたと思う。そういう感じでコミュニティを抑えるしかないと思います。ということは、コミュニティがある程度、機能しなくてはならないことになりますが、出ても自由ですし、そのコミニュティの人達が犯罪をするわけではないのですけれど、犯罪をする人間はコミュニティへ入れた方が良いのではと思います。入れるかどうかは、また別なのですけれど。

藤井:

暴論だとして批判されるかもしれませんが、ときには、より強い力で、卑怯な暴力を「上書き」をした方が、それはそれで世界のルールではあると思う。妙に「暴力はいけないことです」と教育することが効き目がない連中もいる。

久田:

そうですよね。「あの先輩怖いから止めておこうぜ」くらいの感覚。たしかに、さっきおっしゃったように暴力を暴力で上書きするような感じになってしまうので、良くないのかもしれませんが・・・。肯定はしないけれど、現実としてそれはあるので抑止効果があるのは、やはり圧倒的な存在感かな。コミュニティの中の圧倒的な存在感が制御するのではないかと感じます。

歌舞伎町に行けば暴力的なキャッチがいて、昔は20人くらいのヤクザがパトロールすると、キャッチがササッといなくなった。ぼくらもビビりながらも、悪質なキャッチはなかった。最近はしつこいどころか殴りかかってくるキャッチがいますからね。それは抑えが効かなくなったからです。暴力というかヤクザの世界ですから。暴力の世界のピラミッドがあって、その一番上がヤクザなのですけれど、そのピラミッドが崩れ始めたから下の方にいるキャッチの人間達がピラミッドからはみ出して酷いぼったくりをする。少年犯罪にそれが当てはまるかはわかりませんが、そんな仮説は立てられるかなと思います。

藤井:

暴力団はいま、締め付けが厳し過ぎるというか。銀行口座も作れないし借りられないというのは人間扱いしていない。そのうちに新幹線も乗れなくなるんじゃないか。

久田:

だけれど、「ヤクザ辞めました」と言ってカタギになったとしても、生活できないから、オレオレ詐欺とかやっていたりする。使用者責任が嫌だから、一応、指定暴力団に席はないだけ、となっているだけなのです。

藤井:

親分が捕まりたくないから辞めてやるというかたちになってますね。マル暴の警察官に聞くと、誰がヤクザなのか把握できなくて困っていると。

久田:

警察行政って現実を分かっていないな。ぼくもマル暴の人間に「関東連合って何ですか。今度教えて下さい」と聞かれて、「暴走族のOBですよ」と言っている。そのマル暴の刑事も「昔は(面子が)分かっていてやりやすかった」と言っていました。今はどこに誰がいるのか全然分からないと。昔のように、囲ったところに暴力団を入れた方が「この人はそうだ」と分かるのですが、今はそれがないから誰が誰だか分からない。「やっている事ヤクザじゃないの?」ということがあっても、誰がやっているのか把握できない。

藤井:

今、「ノリ」で人を殺してしまった少年たちのその後の人生─ほんとうに悲惨です─を書いています。どう謝罪したか、逃げているか等ですが、賠償金もとんでもない額を背負うことになり、もうこそこそと逃げるような人生しかないわけです。再犯も多いです。とんずらしちゃったやつも多い。けれど、本当に悲惨な生活をしながら真面目に払っているやつもいる。そういう現実というのは少しは抑止力にならないかという思いもあります。加害者の生々しい「その後」というのは、よっぽど道徳的なものより効果があるのではないかと。もちろん被害者とは違ったレベルですが、本人だけではなく、家族までめちゃくちゃなのです。少年が人を殺したら、大体兄弟がいるじゃないですか。その子達まで悲惨です。学校で「お前の兄貴人殺し」とか普通に言われます。

久田:

なるのではないでしょうか。ぼくもそれを知りたいですね。是非読ませて下さい。加害者のその後というのは非常に気になりますね。薬物中毒者の更生施設のダルクでも、一番効き目があるのはお説教よりも、覚醒剤で死にかけた人が「こんなふうになるぞ」と自分を語ること、見せること。シャブ漬けになって、その後の惨めな人生を伝えることです。

─────────────────────────────────────

■「暴力」の「生身のその後」をダイレクトに見せること、伝えること■

藤井:

ダルクの中心メンバーの一人で、シャブ漬けになって、自分でガソリンをかけて火を点け、全身が酷い状態になった人がいて。その人は刑務所を回っている。たまたま取材でも会っていたのですが、偶然、刑務所でシャブ中の受刑者たちを取材していたら、ばったりその人に会った。話しに来られていたんです。彼が現れただけでインパクトがすごい。それはそれで、ある種「暴力」的な絵面だし、暴力的なその後の人生です。ダルクは出入自由だし、やっちゃいけないけれど規制が無いから我慢出来ずにやっちゃう人や脱走して再犯を犯す人もいるし、自殺してしまう人もいる。一角に位牌が置いてあって、その前でミーティングをする。常に「死」を近くに感じる。病院に入るより、ダルクが良いと思うのはそういうところです。もちろん医療も必要です。ダルクのようなところは現実を知っている、ある意味で言うと、すごく「暴力」的です。生っぽい。

久田:

「街場の暴力論」と編集時に付けたのですけれど。

藤井:

それ、内田樹と同じになっちゃう。

久田:

ぼくはタイトルに一切タッチしない主義なのです。ちくま新書の「関東連合 六本木アウトローの正体」もときもそうでした。それで「街場の暴力論」と出てきてなかなかだと思ったのですが、編集長が「これ内田さんが怒りそうなので」と。(笑)

あの人が怒ると面倒臭そうと思ったので、変えてくださいと言いました。

藤井:

こちらの方がいいですよ。今日はありがとうございました。

(終わり)

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

藤井誠二の最近の記事