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「グルメと差別」をノンフィクション作家・上原善広さんに聞きにいく・上

藤井誠二ノンフィクションライター

被差別部落=路地の出自であることを前面に押し出しながら、「私ノンフィクション」とも呼べる作品を次々に発表している上原善広氏。出自にこだわりながらも、被差別部落解放運動に対して客観的な距離を保ち、忌憚なき発言を続けている。人生をノンフィクション化することを通じて「差別」とは何かということを問い続けている上原氏が、『被差別の食卓』に続き『被差別のグルメ』を書いた。『被差別のグルメ』にはアイヌ料理や沖縄料理、そして「路地」の料理などが紹介されている。路地の料理は主に牛の内臓料理を指すが、私も全国のホルモンを食べ歩きながら、4年半にわたる隔週刊誌に連載をして、二冊の本にまとめた経験がある。とうぜん、取材しながらホルモン料理のルーツを考えた。

今回は、上原氏とホルモン料理と路地や在日コリアンの食文化、そして自身の「ノンフィクション作家引退宣言」等について語り合った。

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■アブラカスうどんが広まった衝撃

■路地のグルメが広がったのは世代が変わったから

■焼肉と「路地」との関係がタブーだった

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■アブラカスうどんが広まった衝撃■

藤井:

アブラカスをスライスしてうどんに入れた、カスうどんが広がっていたのはそんなに衝撃でしたか?

上原:

でしたね。藤井さん、食べました?

藤井:

もちろん。大好きですから、大阪に行くと必ずといっていいほど食べますよ。東京でも出す店もちらほら出てきました。アブラカスは牛の腸を煎り揚げたものですね。

『被差別のグルメ』には、《アブラカスの古い作り方に、生の腸をそのまま鍋に入れてじっくりと弱火で長時間、火を入れる方法がある。こうすると腸に大量に付いた脂が融けて、仕舞いには鍋は脂で満たされる。この脂で腸はカリカリに揚がり、残った脂はヘットになる。》と上原さんは書いておられる。

ヘットとは牛脂ですが、その脂を取るのが目的で、残りカスだった腸はいわば副産物のようなものなわけですが、これを路地では煮物に入れたりしていたそうですね。これをうどんの具にすると旨みがだんぜん増しますね。

上原:

カスうどんが出だしたのは20年ほど前で、店が出たときはびっくりしましたが、第一号店がぼくの故郷と同じ出身の人なんですよ。「K」という店で、歳はぼくよりちょっと歳上の方です。その方がどんどん広めていった。路地の中の店ではうどんに入れていましたが、路地に対する偏見やクセが強い味なので、一般の人には受け付けられないと思ってましたが、この広がり方には感動すら覚えましたね。

藤井:

ぼくも「K」でよく食います。あちこちに支店も増えた。前に猿回し芸人の村崎太郎さんとクルマで大阪を走っていて、彼が「じつは食ったことないんだ」と言うから、ちょうど看板が見えたので停めて食ったら、うまい、うまいってあっと言う間に村崎さんは平らげちゃった。でも食っているうちに、なんか食ったことのある味だなあと言い出した。ちょうどそのとき、彼は山口県光市の路地の出身であることは著作などで公にした時期でした。

上原:

村崎さんの路地には「牛肉のサイボシ」はあったはずです。サイボシは今は馬肉になりましたが、昭和30年代頃までは牛肉に塩をふって天日乾しにしたものでした。路地の産業として食肉があったかどうかだと思います。ぼくの故郷では、羽曳野と松原が全国でも五本の指に入る屠畜場を持っていたからアブラカスが続いたんです。だから今でも羽曳野と松原がアブラカスの生産が突出している。大阪に売りにいくのはそこの二カ所の屠畜場関係の業者だけなんです。

でも食料事情がどんどんよくなるにつれて、アブラカスもだんだん食べなくなったんだと思いますね。他でもつくっているところがあるけど、つくるのが週に一回とか一カ月に一回だから、供給量がもともと少ない。

アブラカスは関西で盛んなんです。広島あたりまでかな。博多になると路地の人間も知らないと言ってた。サイボシが残ったのは、あれはふつうに美味いから。

藤井:

村崎さんはサイボシもあまり食べた記憶がなかったみたいだったけれど、大阪でカスうどんを食べて以来、アブラカスやサイボシを意識的に買うようになって、事務所に行くとすすめられるようになった。いま買えるサイボシは馬肉の燻製ですが、たしかにあれは高級なビーフジャーキーみたいでほんとうに美味い。村崎さんは当時、「部落民宣言」をした本を何冊か出して、おそらくそれが原因で仕事が減ってしまった。一方で解放同盟から全教連から、自民党系の童話団体までまわって講演や猿回しやライブをやっていた。ぼくは彼を取材するためについてまわっていたんです。(『壁を超えていく力』・講談社参照)村崎さんは弟子たちにも路地の食べ物をすすめて、差別のことを語っていました。

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■路地のグルメが広がったのは世代が変わったから■

上原:

路地の人間はちいさいときに食べていたから、急にパッと食べても食べられるんですよ。でも食べ慣れてない人がいきなり出されたら、一回でいいか、となると思う。それぐらいクセがあるけど、ラーメンのようにこってりした味を好む若い世代にうけたんだと思う。

藤井:

お好み焼きにも入れるし、チリとり鍋やモツ鍋に入れるところは一部でありました。ぼくはアブラカスを最初に食べたのは大阪の十三のホルモン焼き屋だったけれど、美味かったなあ。一度、ぼくがその店でスライスする前のいり揚げた状態のアブラカスを分けてもらって、友達の寿司屋に持ち込んでアブラカスの塊をスライスしてもらって、かるく煮てアブラカスを握ってくれましたよ。飯との相性もとうぜん、いい。

上原:

藤井さん、ホルモン好きですもんね。

藤井:

二冊もホルモン食べ歩き本を出してますから。(笑)

上原:

実はぼく、ホルモンは苦手なんですよ(笑)路地の肉屋の息子だから贅沢に育ったんです(笑)赤肉のいいところしか食べたことない。それに、ホルモンはホルモンの業者が持っていくから、手に入らないんです。地方の小さい屠蓄場だと手に入るんですが、都市部だと利権があって、内臓は内臓の業者というふうに完全に分けられているから、食べたことなかった。

藤井:

そうか。食肉センターでは部位別に業者が決まってますもんね。ところで、アブラカスなどの路地の食べ物が広がったのは、美味しさに若い世代が気づいたからかな?B級グルメブームも影響したと思います。

上原:

やはり世代が変わったと思うんです。いまの50代までの一般地区出身で、路地に住んでいる人はアブラカスを食べないですよ。なぜかというと、路地の家庭料理だから、外で煮つけてもらってもあんまりおいしくないと感じてしまう。だから、よくそんなに広まったなあという感じです。やはり世代が変わったんだと思います。ブームに火をつけたのは、カスうどんが流行りだした当時の20代。ぼくも最初に話しを聞いたときは半信半疑。テンカスぐらいを入れたウドンだろう、ぐらいに思っていたんです。二世代違うと、かなり違います。逆に新たしい食材だと思ってるんじゃないかな。

藤井:

最近、ネットでニュースになっていたけど、名古屋の居酒屋が自分のルーツである路地の料理を出したら、常連客が去っていったという「差別意識」を指摘した記事がありました。

上原:

地方によっていろいろなアブラカスがあり、名古屋もそうだとわかるアブラカスがあり、客はわかったと思うんです。しかし、本当は違う理由で離れたんじゃないかという反対意見もあって、神経質すぎるという指摘もありました。でも、そういう話はじっさいにあるし、あって当然です。

藤井:

もし差別意識にもとづいた客離れだったら、路地の料理だということをその客は知っていたわけですよね。

上原:

たぶん地元の人で、そういうものを喰うのはどこどこの地域のやつだけだという意識です。東京あたりだとそういう話は聞かないけれど、大阪や名古屋など西日本の地方都市ではまだありますね。

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■焼肉と「路地」との関係がタブーだった■

藤井:

食い物では「差別」が表面的には薄らいできたというか──若い世代はたとえばアブラカスのルーツを知らないということも含めて──状況は変わってきたと言えるかもしれないけれど、他の部分、たとえば結婚差別とかは相変わらずありますよね。そのあたりはどう見てますか?

上原:

食物だけ別になったと思いますが、結婚差別する人は路地の食べ物を食べないと思いますよ。その人によるけど。もしかしたら「それは別」と考える人もいるかもしれないけどね。路地の料理はまだ一般地区では日常的には家では食べてはいないじゃないですか。家で食べられるようになったら、かなり本当の意味で広がったと考えていいんじゃないでしょうか。今はまだ店で食べるものですから。

藤井:

なるほど。舌と意識は違う。

上原:

それが今回の本のテーマの一つにした「精神性」の問題で、「食べ物と差別することは別もの」だと分けることをしている人と、そうじゃない人がいる。結婚差別はなくならないから、食が広がっても、差別の解消にとは関係がないかもしれません。ただ、差別意識が薄れた結果、カスうどんブームになったのは確かです。

藤井:

美味しいとふだん食べているもののルーツは、じつはこういうものだ、という意識が持たれるかどうかということですかね。

上原:

今まではタブー視されて、あまり食文化として認められてこなかった。最底辺で食べられてきたものが浮上してきてムーブメントになっていくわけですが、たとえば焼肉もそうです。一部では焼肉の食文化史も書かれたり、調べられてきたけれど、その研究が意外に広がらなかったのは、路地との関係がタブーだったからだと思うんです。

藤井:

たとえば佐々木道雄さんの『焼肉の文化誌』はそのあたりを調べぬいた名著ですね。

上原:

そうです。焼肉には在日コリアンと路地の、やはり両方のルーツがあると考えるのが普通だと思うんです。

藤井:

在日コリアンは路地から内臓を売りにくるのを買っていたという話は一世の方からよく聞いたことがあります。路地のお年寄りは、在日コリアンの集住地域に子守の仕事をしにいっていたという話も聞いたことがあります。食文化的には差別されていた側の人たち同士のまじわりは確実にあったと考えるのがふつうでしょうね。

上原:

焼肉文化には、部落と在日コリアンはすごく絡んでいます。焼肉は在日コリアンのエスニックな食文化ととらえられがちですが、彼らだけではいまのムーブメントは成立しなかったと思う。

藤井:

『カムイ伝』にも出てくるように、死牛馬を扱ってきた路地の人たちが内臓も食べていた。

上原:

のびしょうじさんが路地の古文書を調べたら、どこの誰々に内臓をどれぐらい分けたという記録があるんですよ。江戸時代から大腸とかを食べていたんです。食べ方はわかりませんが。まだ、調査が進んでない。アブラカスも当時から食べられていたと思います。

藤井:

なるほど。

上原:

佐渡島の路地に行くと、川の下流で腸を割いてぱーっと広げて洗っていた。昔は川でどこでも洗っていたんです。

中に続く

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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