Yahoo!ニュース

「グルメと差別」をノンフィクション作家・上原善広さんに聞きにいく・中

藤井誠二ノンフィクションライター

─────────────────────────────────────

■モツ鍋は在日コリアンの食文化と路地の食文化との融合だと思う

■サイボシのつくりかたも変わってきた

■豚ホルモンを「塩」で喰う時代がくるなんて

─────────────────────────────────────

■モツ鍋は在日コリアンの食文化と路地の食文化との融合だと思う■

藤井:

「土佐屋」と「西光園」という焼肉屋が大阪で、おそらく日本で最初のホルモンを焼いて売り出した店だと言われていますが、西光園で昔のメニューを見せてもらったんですが「生キモ」というメニューがあり、屠畜場でもらってきて、辛い味噌で味付けして出していた。それは在日コリアンのアイディアだと思います。昔は横隔膜(ハラミ)も捨てていて、業者がまかないで使っていたのをメニュー化したのも在日コリアンです。

上原:

路地にとって肉や内臓は食べ慣れているから、焼肉が何も特別なものじゃなかった。ホルモン料理は在日コリアンだと言われているけど、路地の食べ方でもあるんですよ。あきらかに融合があるんです。

たとえば博多のモツ鍋もそうだけど、ニラをいっぱい入れたのは在日コリアン文化だと思うんです。路地はニラをあんなに入れないというか、香味野菜をたっぷり入れるのは日本にはないから。路地はみかんの皮とか生姜を入れてクサみを消して、水煮したのに醤油なんかで味付けして食べてました。野菜は青菜。ほうれん草とかではなかった。唐がらしやニンニクも入れますもんね。北九州は炭鉱労働もあったから、同じく炭鉱開拓とともに置かれた路地との交流がかなりあったと思うんです。ホルモン関係の料理を在日コリアンがルーツだと決めてしまうと、路地をなきものにしているかんじがしてしまうんですよ。

藤井:

話が横道にそれますが、カルビでも内臓でも、肉を食べ慣れている在日コリアンの友人たちは、だいたい皿からどばっと一気に網や鉄板に広げて食べる。日本人みたいに一枚ずつちまちまとのせて、これは自分のもの、みたいな焼き方・食い方はしませんもんね。ぼくはだから日本人的な焼き方はしなくなった。

上原:

佐々木さんの『焼肉の文化誌』によると最初は鳥で串を打ってだしていたけど、鳥は肉がちいさいから、鳥に見えるように豚や牛をちいさくカットして出すために、豚や牛も串で打つようになったとありました。

藤井:

埼玉の東松山とか、豚のカシラ肉をつかった串焼きを「やきとり」というのは、名前がそのまま残ったんじゃないかな。被差別の食文化が古今東西でまじり、進化をしていったんですね。

上原:

ああ、そういえばまだ「焼き鳥」と言う地域が残ってますね。あと沖縄まで入れるとさらに奥が広がる。

藤井:

いま沖縄の内臓食の本をつくっているのですが、昔は豚のひずめまで食べていたそうですよ。ボイルして、表面だけ削り取り、あとは薄くスライスして食べる。アーモンドっぽい味がするみたい。

上原:

ええーっ(笑)、調理法さえ知ればできるかも(笑)でも、ひずめは手に入らないだろうなあ。

─────────────────────────────────────

■サイボシのつくりかたも変わってきた■

藤井:

都内に支店をかなり出している串カツ「T」ではどこの店でも必ずサイボシとかがあるんですが、あの支店数から見ると、そうとうな量を生産していないとだめなはずです。自社工場とかがあるのかな。

上原:

いまはカナダとかから輸入して作っているみたいで肉質も良くなっています。サイボシは昔は牛でしたが、馬のほうがやらかくて美味いんです。戦後になって馬肉になったのですが、戦前は天日乾しとか炙ったりとか、いろいろな作り方があったけど、天日乾しは硬くなりすぎるのは衛生上の問題あってなくなっていったんです。輸入モノは部位も選べるから、いいサイボシができる。食べたかんじが昔のサイボシのかんじがしないから、さきほど言った「K」も工場でつくっているのだと思います。燻製はわりと簡単にできますから。

藤井:

被差別のグルメブームで作り方も大量生産、大量消費というかたちになっているんですね。牛や豚の内臓も国内だけでは足りなくて輸入しているぐらいですから。

上原:

ところで、関東は豚の内臓が多くないですか? じつはぼくは豚のホルモンが苦手なんですよ。(笑)

藤井:

ぼくの感覚は関東は豚のイメージです。 とくに東側は煮込みとか、串ごと味噌の大鍋で煮込むスタイルが多い気がします。かつて東京には6箇所の屠畜場があってそれが芝浦の一カ所に統合されるわけですが、むかしのの屠畜場の周囲にはそういう店が残っています。

上原:

ぼくの故郷の更池とか、大阪南部の路地の人は豚の内臓はぜったいに口にしない人が多い。昔からの牛をひいきにする考え方があると、豚が昭和40年代後半までは処理の仕方が屠畜場ですごく不衛生で悪かった。それを見てしまっているから、屠畜場に大事に育てられている和牛といっしょに病気になっている豚もどんどん入れちゃうところとか見ていると、衛生的に喰えない、と。

藤井:

なるほど。

上原:

味噌で煮込むのは名古屋風じゃないんですか?

藤井:

東京の東部ではもっと薄い白味噌っぽい味ですが、部位も安い肺とかを使っています。名古屋の煮込みには豚の肺は見たことがないなあ。

上原:

美味いですか? 藤井さんは牛と豚、どっちが好きですか?

藤井:

どっちも好きですが、どちらかというと豚かなあ。豚のほうが処理に手間がかかるから、店の実力が出る。それにしても、豚の内臓には食わず嫌いが多い。(笑)

上原:

東京の北区の十条で豚のモツ焼きの有名な店で喰ったんですが、美味かったです(笑)。ようするに店によるんだなと。当たり前ですけど(笑)。 食べ慣れている人はいいけど、慣れていない人はちゃんとした店で最初は喰わないとダメですね。豚ホルモンはクセがあるものなので、仕込みがきちんとしたところで食べないとだめです。じつは牛のホルモンもぼくも昔はだめだったんです。当時は処理が悪かったから、においや食感が良くなかった。

藤井:

精肉も内臓も処理技術が格段に進んだからこそ、ホルモンがブームになり、「路地」のグルメも広がったということもあるかもしれませんね。これまで何度かのホルモンブームを見ていても、かつては敬遠されていた内臓が今ほど広がったのは、処理技術や保存技術などが進化した上、料理人の腕前や調理道具の進化も進んで、食べやすい食べ物になったというのもあると思います。大腸や直腸は糞尿を落として食べるんですから、かなりの手間をかけないと美味しくなりません。むろん、いまはかなりのところまで機械で自動的にやっていますが、人の手でしかできない過程もあります。

上原:

豚のベルトコンベア式の湯剥きや毛を焼く機械を見て驚きましたよ。

藤井:

コンピューターで管理された工場で機械にまかせた方が衛生的にいいとされていますからね。

─────────────────────────────────────

■豚ホルモンを「塩」で喰う時代がくるなんて■

藤井:

たとえば東京等でチェーン展開している「K屋」は豚のホルモン専門店ですが、串一本80円であのクオリティは信じられない。じつに美味いです。串を打ったものを塩かタレで食います。直腸や胸腺はもともとクサみが残る部位ですが、直腸の腸壁をパリっと焼いてタレで喰うとクサみと相まって美味いし、塩でもイケます。

上原:

豚のモツを塩で食べれるようになるなんてすごいですよ(笑)。うちの親父は屠畜を見てきたから、豚や牛のホルモンもダメなんですよ。やはりむかしのアバウトの処理を知っていて、だからホルモンはクサいという記憶がある。あと、ホルモンを被差別の食べ物として、解放運動みたいなものと併記して語るとだめ、面白くない(笑)。いまは塩味で食えるようになったとか、うどんに入るようになったとか、そういう食文化の変化を楽しく語ることが大事だと思うんです。

藤井:

ぼくは名古屋の出だから、牛も豚も鳥肉も、どこのホルモンも食べていましたが、高校生のときに最初に食べたのは豚のホルモンでした。今池という場末感漂う繁華街で食べたんですが、こんなに美味いものがあるのかと感動した記憶があります。ぼくが通っていた小学校は王子という名古屋で最も再開発が遅れた大きな被差別部落から子どもがけっこう来ていたんですが、いま思い返すと豚モツを焼く店が何軒かあって、いいにおいがいつも店先から漂ってた。

上原:

藤井さんが豚モツが好きなのは、そういう下地があるんだ。ぼくみたいに路地で牛を食べてきた人間は豚を越えるのがたいへんなんですよ。(笑)

藤井:

ぼくはフクはまだ食ったことがないんです。味ダレで小腸とかといっしょに炒めたものは喰ったことがあるんですが。

上原:

松阪です。うまいですよ。藤井さんからみたら、ハラミを味噌につけているかんじに思えるかもしれないけど、八丁味噌に牛の肺を煮込んでいる。路地の焼肉店も何軒か行ったんだけど、みんな味噌ダレだった。名古屋文化圏なんだなと。

藤井:

内臓の天ぷらのフクもまだ食べたことないんです。

上原:

ミノとか肺を揚げる。牛の内臓の天ぷらです。

藤井:

テレビ番組で女子プロレスの選手が実家の料理店を紹介するコーナーがあって、「名物です」といってミノの天ぷらが出てきたんです。

上原:

まるっきり路地じゃないですか(笑)。 ミノのあらいもあります。かるく湯掻いて、冷水でしめて、酢味噌とかで食べる。それも路地の料理です。

藤井:

食べてみたいなあ。焼肉屋のミノ刺しは完全生ではなくて、さっとボイルしてあるから、それと基本的には同じ。センマイもガツもボイルしてある。焼肉屋やホルモン焼き屋の「刺身」は、いまは法律的に生は禁止になりましたが、昔から滑りを取るためや、柔らかくするために、ボイルして氷水でしめたりしたものを「刺身」として出していますから、路地のミノのあらいからヒントを得たのかもしれませんね。

上原:

ぼくの地元でやっている食堂で今でもアブラカス料理がいろいろ食べられます。フクもあります。一度、行ってみてくださいよ。フクは昔はおやつがわりに食ってました。昔の天ぷらは衣が厚いから、衣をはがして食ってました。肺は切りにくいから、肉を切る機械を使わないと切れない。地元の更池では、「ヒシ」というため池に自生している菱も路地の食べ物でした。ただし、それは食べたことないです。ディープなものはなくなっています。年寄りの聞き取りでわかった、ゴシドリという普通の陸カメを食っちゃうのもあったけど、それもなくなりました。それを食べたくてお願いしたんだけど、路地の中でももう食わないみたいで、食えませんでした。

藤井:

なくなっていく路地の食べ物も多いんですね。

上原:

子どものころ、マメ(腎臓)を薄切りにして、母親がウスターソースで焼いて出してくれました。これは『被差別のグルメ』には書かなかったな。(笑)

下に続く

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

藤井誠二の最近の記事