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なぜMARCHの学生は、大学では東大生より勉強しなければならないのか

藤代裕之ジャーナリスト
日々の「学び」の積み重ね差は僅かでも、時間が経てば大きく広がる

大学教員の大きな役割の一つは、学生の将来の選択肢を広げることです。なりたい職業や担いたい社会的な役割が明確な場合だけでなく、まだぼんやりしていても目標が定まった際に出来るだけチャンスが得られるように「確率(勝率)」を上げるためにはどうしたらよいでしょうか。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言うように、学生自身が置かれている状況を正確に把握できるように情報を提供し、どのように大学生活を送るかを考えることを促す必要があります。

偏差値という結果は努力の差

法政大学の1年生向けのガイダンスでは上記のような図を提示し、学生自身が置かれている状況を説明するようにしています。

日々の努力は、時間が経過すればものすごい差として現れます。トップ校(東大・早慶など)ではなく、MARCH(明治・青山・立教・中央・法政)に入学したということは、子供の頃から積み重ねてきた勉強の努力差の現れなのです。さらに、法政の学生がこれまでの努力を続けても、トップ校の学生とは差が広がる一方であり、大学での学びをやめてしまえばもっと広がってしまいますよ、と話します。

努力は、勉強でも、スポーツでも、芸術でも、会社に入った後でも、取り組んでいく必要がありますが、勉強以外は、外部環境や人間関係といった「変数」が多く、ただ努力しただけでは成果につながりません。ですが、偏差値は努力が結果につながりやすいのです。勉強という努力ができない人が、社会に出て努力できるかというと怪しいわけです。

就活時の学歴フィルターというのは批判されることが多いですが、「これまで出来てませんでしたが、頑張ります」という言葉を信じるほど企業はお人好しではないので、ある意味で合理的な判断だと言えます。従ってある程度の学歴フィルターは受け入れざるを得ませんが、MARCHレベルであれば大学でしっかり学んだことを説明すれば、それが実績となり多くの企業は受け入れてくれます。

大学は、勉強という成果が出やすい努力で勝負ができる最後のチャンスです。だからこそ、MARCHの学生は、東大生より大学で勉強しなければならないのです。

時々勘違いする学生がいるのですが、この話はトップ校の学生が偉いとか、勉強が出来る人間が良い人生を送るとかを言っているわけではありません。このような概念図は物事をシンプルに理解するための一つの提案であり、すべてを表現できないことは言うまでもありません。

自らの環境を把握する

MARCHといっても多様であり、学部や学科によっては偏差値は離れており、教育内容もまちまちです。しかし、トップ校か、それ以外かという違いに比べれば差は大きくありません。何が異なるのでしょうか。

成長するためには多様な構成員が必要とされています。トップ校はそれ以上の大学がないので、ものすごく出来る学生も、ギリギリ受かった学生も混じります。地方からトップ校に行った人で多く聞くのは「自分が一番出来ると思っていたけど、全然ダメでショックを受けた」というものです。

むろんそこで挫折してしまうトップ校の学生も多いのですが、勉強が出来るだけでなく、勉強に加えてスポーツが出来る、本をものすごく読んでいる、頭の回転が猛烈に早い、などすごい奴を見て、日々の努力を続けなければいけないと考える学生もいます。努力の上に別の道を歩もうと知恵を絞る人もいます。

つまり、トップ校は環境によって努力が上振れする可能性があるということであり、保護者がトップ校に生かせる理由も確率が上昇する環境に子供を置きたいと思っているからです。

一方で、MARCHレベルだと、すごい奴はまれ、逆にとんでもなく出来ない学生もいません。学生が均質化してしまい。「なんとなく自分たちが普通なのかな」と勘違いし、パフォーマンスを下げる傾向にあります。

環境は意思決定や習慣に大きな影響を与えます。自分の大学だけでなく、外に目を向けて自らの置かれた環境をしっかり把握することも重要です。学生向けのコンテスト、学会発表で力試しをするのも良いでしょう。

「正解がない学び」に向きあおう

逆転のチャンスはあります。それは学びの質が、大学入試までと、大学では異なるからです。入試までは「正解がある学び」で、大学からは「正解がない学び」に変わるからです。

「勉強しても無駄なので起業や特殊な経験(芸能活動や自転車で世界一周など)をしろ」などと勧める大人のコメントを、「正解がない学び」だと勘違いする学生がいます。それをやり切れるなら目指しても良いのですが、その確率(勝率)が何パーセントか考えてみましょう。いばらの道の生存確率は非常に低いので、甘言を真に受けて「撃滅」するというパターンに陥ります。

さらに重要なことは、「正解がない学び」というのは経験ではないということです(しっかり勉強している学生は、大人の甘言が概ね経験であることに気づくでしょう)。根拠が説明できないアイデアは単なる思いつきに過ぎません。再現性がない一発屋では困るのです。

重要なのは、なぜ成功したのか、失敗したのか、構造を把握し、分析できる力です。それが自分の頭で考えるということであり、「正解ある学び」の積み重ねが不可欠です。

「正解がない学び」と「正解がある学び」を掛け合わせることが重要なのです。

努力は必ず誰かが見てくれている

4月半ばを過ぎ、大学1年生の皆さんもそろそろ最初の緊張感が失われ、アルバイトも始まり、サークルなどで先輩から「勉強なんてしなくていいよ」と囁かれる頃です。ですが、そもそも大学は勉強する所です。最近は就活時にもサークルやアルバイトの話をするのではなく、大学で何を学んだか聞かれることが増えています。

高い授業料も払っているのですから、スマホのゲームをやめ、授業をしっかり聞き、本や論文を読みましょう。ついサボってしまう人は、授業後に何時間か図書館で勉強するなどのルーティンを決めて、学ぶ癖をつけていくことをおすすめします。自分の力を信じて努力を積み重ねて欲しいと思います。学ぶことは、いつ始めても遅くありませんし、キツイですがその努力を見てくれている人が必ずいます。

ここでは、将来の選択肢を増やすためには、自分の置かれた状況を把握し、大学で何を学ぶかを紹介しました。MARCHとトップ校というのはあくまでひとつの事例であり、社会人であっても、高校生であっても、それぞれの状況や環境の把握、学びを考えることは重要でしょう。

大学が提供すべき「正解がない学び」とは何か。この部分の不透明さが、大学批判となって噴き出しているように思います。それは次の機会に紹介したいと思います。

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ジャーナリスト

徳島新聞社で記者として、司法・警察、地方自治などを取材。NTTレゾナントで新サービス立ち上げや研究開発支援担当を経て、法政大学社会学部メディア社会学科。同大学院社会学研究科長。日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)代表運営委員。ソーシャルメディアによって変化する、メディアやジャーナリズムを取材、研究しています。著書に『フェイクニュースの生態系』『ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか』など。

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