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東日本大震災の教訓を忘れないための10のキーワード

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:アフロ)

10個のキーワード

私が考えた東日本大震災を表す10個のキーワードは、マグニチュード(M)9.0、想定外、津波、原発、計画停電、液状化、長周期地震動、帰宅困難、物流・通信途絶、サプライチェーン、です。

マグニチュード9.0

大震災を起こした東北地方太平洋沖地震は、我が国では起きないと思われていたM9クラスの超巨大地震でした。地震後になって、2004年スマトラ沖地震や2010年チリ地震など、50年ぶりに M9クラスの地震が頻発していること、M9クラスの地震の可能性を示唆するデータもあったことを知りました。また、過去の超巨大地震の痕跡がボーリングデータに津波堆積物として残っていることを学びました。

想定外

地震後、想定外という言葉を良く耳にしました。この言葉が責任回避に使われることに違和感を覚えた人も多いと思います。危機管理の面からは想定外を作らないことが基本だからです。また、古文書や津波堆積物からは想定内だったとの指摘もできそうです。津波避難に関し、津波ハザードマップなどの「想定を信じるな」とも言われるようになりました。

津波

M9の地震の大すべりにより、高い津波が広域を襲いました。震源域が陸から離れていたため、津波到達迄に30分以上の時間があり、震度も概ね6強以下でした。被災地では、1978年宮城県沖地震以降、何度も震度6程度の揺れを受け、宮城県沖地震の再来も確実視されていました。この結果、耐震的な建物が多く家具の固定率も高かったため、津波避難の上では幸いしました。また、長年の津波防災教育の成果もあり、明治三陸地震津波と比べ、三陸海岸の死亡率は大きく減少しました。特に、子供たちの死亡率は大人に比べ遙かに低く、良く逃げてくれました。経験や知識が仇となった事例もありますが、防災教育の大切さが改めて認識されました。

原発

福島原発は、受電設備や鉄塔の損傷による受電不能、非常用ディーゼル発電機の停止、冷却用ポンプの損壊などにより水素爆発や炉心溶融を引き起こすことになりました。未だ10万人もの原発避難者を出している原因を解明する必要があります。事前の警鐘もされてもいたようです。福島原発は、元々35m程度あったところを削って10mの敷地にしていました。貞観地震の津波痕跡を調べて標高を維持した女川原発とは対照的です。高リスク施設の作る上での自然への畏れの気持ちの大切さを痛切に感じます。

計画停電

原発に加え、沿岸部の火力発電所の停止により電力が不足し、2週間にわたって計画停電が行われました。電気がなくては事業継続ができない産業を中心に大きな影響が生じました。

液状化

旧河道や、東京湾岸の埋立地を中心に、広域の液状化被害が発生し、家屋の傾斜・沈下、地中埋設物の破損によるライフラインの途絶が発生しました。

長周期地震動

東京や大阪などの大規模の堆積平野で長周期地震動が増幅され、高層ビルを中心に強い揺れに見舞われ、エレベータ停止など企業活動に大きな影響を与えました。震源から700km以上離れていた高さ256mの大阪府咲洲では共振現象により3m弱もの揺れ幅となり、被害も発生しました。この後、高層ビルの長周期地震動対策が注目されるようになりました。

帰宅困難

首都圏を中心に、鉄道の運行停止による大量の帰宅困難者や、道路渋滞などの問題が発生し、遠距離通勤の都市社会の危うさが露わになりました。

物流・通信途絶

道路の途絶、津波による航路閉塞、仙台空港の津波被害、燃料不足による携帯基地局の電源不足などで、道路・航路・空路などの物流と通信が、長期間途絶しました。道路はくしの歯作戦により、短期に啓開されましたが、燃料不足と車両不足が問題となりました。

サプライチェーン

自動車産業など、サプライチェーンに頼る産業では、関連企業の影響を受けやすく長期間にわたって事業再開が困難になりました。その後、事業継続計画の大切さや、部品調達の多重化が進められました。

原発災害を除けば、何れのキーワードも震災前から語られていたように思います。ですが、全ての事象が同時に発生することの衝撃は想像以上でした。今回の震災は、被災地域は広域に及びましたが、被災者人口は阪神淡路大震災と同程度でした。そのため、地震規模の割に、被害量は阪神淡路大震災と同じオーダーでした。

格段に多くの被災者を出し国難とも言える事態ともなる南海トラフ地震を前にして、震災で亡くなった方々の無念な思いを心に留め、大震災の教訓をできる限り学び、明るい未来のため、総力を結集する必要があります。社会全体が本気になって、危険の回避、抵抗力、対応力、回復力の向上など、あらゆる手段を尽して行きたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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