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建築物の耐震基準のいろは

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:アフロ)

建築基準法は日本国憲法の精神に基づいている

日本国憲法では、第25条に、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と、最低限の生存権を保証しています。また、第29条で、「財産権は、これを侵してはならない。」「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と、財産権を通して国民の自由を保証しています。逆に言えば、最低限の生存権を保証する範囲でしか財産権に制約を科すことができないとも解釈できます。最低限の生存権とはどの程度のレベルにすべきかは、国民の合意によるのでしょうか。70年前の生活なのか現在の生活レベルなのかで、随分異なりそうです。

最低基準である建築基準法

日本国憲法の精神に則った建築基準法は、第一条で「この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。」と最低基準であることを明快に述べています。従って、法律を守っていれば、地震に対する安全性が保証される、というわけではありません。また、この法律は、過去に作られた建物に遡って適用される訳ではありません。その結果、法律が改正されると、改正前の建築物は現行の法律を満足しないことになります。これを既存不適格建築物と言います。

関東大震災でできた建築耐震基準

建築物の耐震基準は、1925年に世界に先駆けて、市街地建築物法に規定されました。市街地建築物法は1920年に制定されていたのですが、最初は建物の自重や積載荷重などの鉛直方向の力に対してのみ安全性を確認する規定でした。その後、1923年関東地震で甚大な被害を出したことから、耐震規定が追加されました。法の基本的考え方は、1916年に佐野利器博士が学位論文「家屋耐震構造論」で提案した水平震度に遡ります。水平震度とは、地震の時に建物に作用する水平力と、建物の自重による鉛直力の比です。水平加速度と重力加速度の比とも言えます。

市街地建築物法では、水平震度0.1による耐震設計を義務付けました。当時は、耐震設計用の材料強度の安全率が3だったことから、300ガル程度の建物の揺れを考えたことになります。ちなみに、地震学者・石本巳四雄は東京本郷の加速度を300gal程度であったと推定しています。また、当時のビルは、壁が多く剛体的だったため、地盤と建物の揺れはほぼ等しいと考えられますので、耐震基準の原型は、関東地震の時の東京の揺れに対して安全性を検証するものと推察されます。言い換えれば、より大きな揺れだった横浜や小田原の揺れは考えていなかったとも解釈できます。

変化する耐震基準

終戦後、市街地建築物法が廃止され、1950年に建築基準法が制定されました。このときに、耐震設計用の材料強度の安全率を1.5と半分にしたことから、これに合わせて、水平震度は0.1から0.2に変更されました。

その後、1968年十勝沖地震で鉄筋コンクリート建物の柱などが大きな被害を受けたことから、せん断補強のための柱の帯筋間隔を小さくするなど、仕様規定の改定が行われました。これにより、柱の粘り強さが強化されました。

さらに、1978年宮城沖地震などの被害を受けて、1981年に新耐震設計法が導入されました。ここでは、中小地震動と大地震動の2段階での設計を行うことになり、強さと粘りの積で建物を耐震設計する終局強度型の設計法に大きく変更されました。

1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で、旧耐震基準による建物の被害が甚大だったのに対し、新耐震基準による建物の被害が少なかったことから、新耐震設計法の妥当性が検証されたと解釈されました。ただし、1階が駐車場などのピロティ建築の被害が大きかったことから、ピロティ建築の耐震強化が図られました。また、既存不適格建物の耐震化を進めるために、耐震改修促進法が制定されました。

2000年には、耐震基準の性能規定化が図られ、従来から使われていた許容応力度計算法に加えて、限界耐力計算法や時刻歴計算法などの新しい検証法が導入されました。多種類の検証法が同時に使われていることは、検証法間での安全性の差を生み出す可能性もあり、気にかかるところです。また、2000年に、木造住宅の柱・梁・土台などの接合部に関する継手・仕口の仕様が強化されました。

その後、2005年に耐震強度構造計算書偽装事件が発生し、建築確認や中間検査などのあり方も見直されました。

このように、耐震基準は、地震被害や社会問題の発生と共に、変遷しつつ現在に至っています。このため、基準の改正のたびに、建築物の耐震性能も変化していると思われます。

損壊しても人命を守るという新耐震設計法の考え方

新耐震設計法では、建物が無損傷の時の建物の平均的水平震度0.2程度に対しては無損傷、平均的水平震度1.0程度に対しては多少の損傷は許容するものの倒壊せず人命を守ることを基本にしています。端的に言えば、何度も経験する比較的小さな揺れに対しては無傷で財産的価値も守るが、建物の供用期間中に1度くらいしか経験しないような強い揺れに対しては、建物の損傷は許容し人命を守れば良い、という考え方に基づいています。また、建物の揺れを基本にしていますので、揺れやすい建物の場合には、想定する地盤の揺れは小さくなることになります。これは意外な落とし穴になります。

従って、強さを重視した壁が沢山ある強度型の建物では、強い揺れでも頑強に耐えて無傷なのに対し、柳に風と建物がしなやかに変形する粘り強い柱でできた靱性型の建物では、強い揺れでは間仕切壁や内外装材などが損壊し、構造躯体にもクラックなどが生じます。強度型と靱性型、どちらを選ぶかは、建物の強さに加え、使いやすさやデザインとの兼ね合いで決められます。一般に強度型の方が堅い建物になりますから、より強い地盤の揺れを考えて設計していることになります。

熊本地震のように、何度も強い揺れを受ても建物を使い続けられるようにするには、損傷を許容しない強度型の建物の方が好ましいと考えられます。とくに、災害時にも重要な役割を果たす庁舎建物などでは、昔ながらの壁の多い低層の強度型の建物が望ましいでしょう。

次回は、今一般に使われている耐震基準の中身についてご紹介したいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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