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終戦直後に西日本を襲った昭和南海地震から70年、次なる地震に備えを

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
広村堤防

終戦直後に西日本を襲った南海トラフ地震

70年前の今日、1946年12月21日午前4時19分過ぎに南海地震が発生しました。1944年12月7日に発生した東南海地震とペアの南海地震で、地震規模はマグニチュード8.0でした。1707年宝永地震、1854年安政地震に続く南海トラフ地震で、両地震に比べると小ぶりの地震でした。

この地震での犠牲者は、死者1330人、行方不明者113人、計1443人と言われており、死者の内訳は、高知県679名、和歌山県269名、徳島県211名と、津波に襲われた太平洋沿岸の四国と紀伊半島の被害が顕著になっています。ただし、津波被害は、宝永地震、安政地震よりは小さかったようで、とくに、大阪は津波浸水を免れることができました。

ただし、戦後の混乱期だったこともあり、被害の実態は十分に分かっていないようです。

戦災、震災、台風に見舞われた終戦前後

昭和南海地震の前後5年間には、1943年鳥取地震、1944年東南海地震、1945年三河地震、1948年福井地震と、地震が続発しています。その前の20年間には、1923年関東地震を皮切りに、1925年北但馬地震、1927年北丹後地震、1930年北伊豆地震、1933年昭和三陸地震津波などが発生し、対象デモクラシーの時代が一気に軍国主義の時代へと移りました。

また、南海地震の前年の1945年9月には枕崎台風が上陸し、死者2,473人、行方不明者1,283人の犠牲者を、翌年1947年9月にもカスリーン台風が上陸し、死者1,077人、行方不明者853人の犠牲者を出すなど、南海地震を上回る被害を出しています。

このように、我が国は、終戦前後に、戦災、震災、風水害に見舞われ、国として極めて厳しい状況に陥りました。このためか、南海地震の震災被害もその中に埋没してしまっているように感じられます。

ちなみに、南海地震の直前の11月3日に日本国憲法が公布され、新しい時代への準備も進みつつありました。

各地での津波被害

高知市では、地殻変動による地盤沈下と、堤防の決壊により、大規模な浸水が起き、長期間にわたって湛水しました。この地域では、南海地震が発生すると、室戸岬周辺の南側が隆起し、高知市周辺の北側が沈下する地殻変動を伴います。このことは、過去の南海地震でも、古文書などで指摘されていたことと符合します。

和歌山県でも各地で津波により大きな被害を受けています。特に、田辺市や串本町では甚大な被害となりました。当時の被害を次世代に伝え、来る南海トラフ地震の被害を減らそうという試みが、田辺市新庄町の新庄中学によって精力的に行われています。防災教育の大切さが分かります。

「稲村の火」と広川堤防

1854年安政南海地震のとき、和歌山県広村の庄屋・浜口梧陵(儀兵衛)が、庭の稲藁に火を付けて村人を津波から救ったという「稲村の火」は、大変有名です。梧陵は、震災後、将来の津波対策と、村人たちの失業対策のため、私財を使って堤防の建設を行いました。高さ5m、幅20m、長さ600mの堤防で、海側に潮風に強い松の木を、逆側にはぜの木を植えました。この堤防は、昭和南海地震で、多くの住民を津波から守りました。そのことを感謝し、毎年11月に堤防のそばにある感恩碑の前で「津浪祭」が行われています。まさに浜口梧陵は地震の神様と言えそうです。

今村明恒と「君子未然に防ぐ」

もう一人忘れてはいけない地震の神様が居ます。今村明恒です。1923年大正関東地震での甚大な火災被害を予見し、防災対策の大切さを説いていたにも関わらず、上司の大森房吉との確執で、不遇な一時期を過ごしました。しかし、関東地震の発生以降は、地震の神様と呼ばれるようになりました。今村は、地震学を専門としていましたが、むしろ防災的視点で、防災教育や耐震化、不燃化などについて、精力的な活動をしました。「稲村の火」を尋常小学校5年生の教科書に掲載することに関しても、多大な貢献をしました。

今村は、過去の南海トラフでの地震の繰り返しを分析し、次に心配なのは、南海トラフ地震だと考え、私財を使って1928年に和歌山に南海地動研究所を設立していました。ですが、太平洋戦争中は軍に接収されてしまい、観測は1943年で途絶えてしまいました。まさに、その直後、1944年12月に東南海地震が発生します。今村は、次は南海地震だと考え、被災地域の新聞社や自治体に、その危険性を手紙で訴え続けました。しかし、1946年12月に南海地震が発生してしまいました。今村は、災害を減らすことができなかったことを深く悔やんでいたようです。地震の1年後、1948年1月1日、満77歳で命を閉じました。

今村が残した「君子未然に防ぐ」ことの大切さを肝に銘じ、次なる南海トラフ地震への備えを進めたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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