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10億の可能性を投げ捨てても紳士を重んじたキーガン・ブラッドリーの英断

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
米ツアーからOKをもらいながらも棄権する道を選んだブラッドリー(写真/平岡純)

今週、米ツアーでは4試合に渡るプレーオフの第3戦、BMW選手権がコロラド州デンバーのチェリーヒルズCCで開催されている。

プレーオフはフェデックスカップランクの上位125名が第1戦に進出し、第2戦は100名、第3戦は70名と出場できる人数を絞っていく勝ち残り方式。来週行われる最終戦のツアー選手権に出場できるのは今週のBMW選手権終了後にフェデックスカップランク30位以内に残った選手のみとなる。

そして、最終戦終了後にランク1位に輝いた総合優勝者には米ツアーから10ミリオン(1000万ドル)のビッグビーナスが支給されるとあって、選手たちもドキドキの興奮の中で戦っている。

そんな大事な大会の3日目の朝になって、28歳の米国人選手、キーガン・ブラッドリーが自ら棄権を表明。ツアー側も大会関係者も周囲も驚いたのだが、その理由を聞いて、みなが納得の笑顔になり、ブラッドリーに拍手を送っている。

【疑わしきは自分を罰する】

ブラッドリーが自ら棄権を決めた出来事は今大会の初日の18番(パー4)で起こった。ティショットを池に落としたブラッドリーがドロップ後に4番アイアンでグリーンを狙った第3打は、グリーン手前のバンカーの上方の地面にボールが埋まった格好になった。

自分のピッチマークにボールが埋まった場合、ルール上は無罰でドロップできる。ブラッドリーはルールに従ってフリードロップし、第4打でグリーンに乗せ、2パットして、このホールをダブルボギーとした。

だが、ラウンド後、ある観客がブラッドリーに「あなたのボールは止まる前に跳ねて、元々そこにあった(ブラッドリーではない人が作った)ピッチマークにたまたま入って止まったんだ」と告げ、ブラッドリーは困惑してしまった。

ブラッドリー自身は233ヤードも先に落ちた自分のボールが、ノーバウンドで直接地面に埋まったか、それともバウンドしてたまたまそこにあった穴の中に潜り込んだかなど見えるはずもなく、テレビカメラもそのシーンを捉えてはおらず、事実を明らかにする術はもはやなかった。

ブラッドリーはコトのすべてを米ツアーに報告し、2日目の朝、ルール委員と協議した。ルール委員は「バウンドしたボールが、もともとあった穴に深くもぐるとは考えにくく、ブラッドリーのドロップ処置はすべて正しいものだった」と結論。ブラッドリーはその結論を受け、2日目のプレーをした。

だが、ブラッドリーの胸の中には、ずっとわだかまりが残っていたそうだ。もしも、あの観客が目撃した通りのことが事実だったとしたら、自分はルール違反を合法とみなしてもらって生き残ることになるではないか……という具合に――。

そして3日目の朝、ブラッドリーは自ら大会を棄権することを決意し、米ツアーにその意志を伝えた。

「自分の心に疑義が残る以上は、これが正しい判断、正しい道だと僕は信じる」

法の世界では「疑わしきは罰せず」だが、ゴルフの世界では「疑わしきは自らを罰するべし」。ブラッドリーはゴルフの真髄に忠実な決断を自ら下した。

ゴルファーの鏡、ゴルファーの手本!?(写真/平岡純)
ゴルファーの鏡、ゴルファーの手本!?(写真/平岡純)

【賞賛の嵐】

その決断は、今大会の順位や賞金をギブアップしたにとどまらず、来週の最終戦へ進むための切符も、その先に控えている10ミリオンのビッグボーナスを獲得する可能性も、すべてをギブアップすることになるであろう決断だった。

ブラッドリーは今大会をフェデックスカップランク28位で迎え、来週の最終戦に進めるかどうかの瀬戸際にいた。いわば、今大会を30位で迎え、現在奮闘中の松山英樹と酷似した状況にあったわけだ。

そして、ブラッドリーは今大会の初日を71、2日目を70で回って41位と上位にこそ付けてはいなかったが、ゴルフは4日間の戦いだ。残る3日目と最終日に大挽回すれば、まだまだ巻き返せる可能性は十分にあった。

それに、ブラッドリーは2011年の全米プロを制したメジャーチャンプで米ツアー通算3勝の実力者。ここぞという場面での勝負強さには定評があり、来たる米欧対抗戦のライダーカップにも米国キャプテンのトム・ワトソンからキャプテン推薦を受けて出場が決まったばかりだ。

ブラッドリーなら最終戦進出の可能性は多大だと目され、もちろん本人もそれを狙っていたのだが、ツアー選手権進出よりも、10ミリオンよりも、彼はゴルファーとしてあるべき姿、取るべき道を優先し、自ら棄権する決断をした。

この棄権により、ブラッドリーの今週の獲得ポイントは0ポイントとなり、今大会終了後のフェデックスカップランクは、他選手の動向次第ではあるが、現時点では33位前後に落ちる見込みだ。つまり、最終戦への道はほぼ絶たれてしまったと思われる。

ブラッドリーは幼いころに両親が離婚し、ゴルフ場に勤めるクラブプロの父親に育てられ、父親から手ほどきを受けてプロゴルファーになった。が、ジュニアゴルフで腕を磨き、ジュニアのツアーや大会を転戦するには、それなりの費用がかかり、父親のサラリーでそれを賄うのは大変だったという。

衣食住の中で倹約できるのは「住」しかなく、ブラッドリー父子は格安の小さなトレーラーハウスで暮らしながらお金を捻り出してゴルフを続けてきた。

「それでも楽しかった」とは言うものの、決して明るくはないそんな過去を乗り越えて、プロになり、メジャーチャンプになり、10ミリオンを掴むチャンスにも恵まれたというのに、米ツアーからルール上のお墨付きまでもらったというのに、それでも「自分の心の中に疑義が残る以上は……」と棄権を決めたブラッドリー。

ゴルフが自己申告を重んじる紳士のゲームであるからこそ、ブラッドリーの取った行為は、ゴルファーとして、人間として、あまりにも素晴らしいと、すでに世界中から賞賛の嵐。名誉と大金獲得への道を自ら閉ざした結果、ブラッドリーはそれ以上の名声を得た。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、ラジオ福島、熊本放送でネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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