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米ツアー新シーズンは今週開幕。「挑んだからこそ挑める」3人の日本人に期待。

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
フル参戦3季目の松山英樹。目指すは米ツアー2勝目とメジャー優勝(写真/舩越園子)

米ツアーは今週から早くも2015-2016新シーズンが始まる。開幕戦のフライズコム・オープンに出場する日本人選手は、松山英樹、石川遼、そして新しく岩田寛が加わり、3人になる。日本人の米ツアーメンバーが3人以上になるのは、実に2007年以来、9年ぶりのことだ。

2006年には丸山茂樹、田中秀道、丸山大輔、今田竜二の4人が揃っていた。だが、その年いっぱいで田中が米ツアーから去り、2007年いっぱいで丸山(大)が、2008年半ばで丸山(茂)が去り、2009年からは、ついに今田だけになった。

ちょうど、その年から石川遼がスポンサー推薦で米ツアーにスポット参戦を始めたが、石川が正式メンバーになって本格参戦を開始したのは、シード落ちした今田と入れ替わる形になった2013年からだ。そして、その年の夏から松山の米ツアーへの挑戦が始まり、2014年と2015年は松山と石川の2人体制だった。

そんなふうに、ここ数年、米ツアーで戦える日本人がぎりぎり1人か、2人しかいなかったことを思えば、今季からの3人体制は9年ぶりに迎える「大漁」の感がある。

ファイナル4戦を経て米ツアーに辿り着いた岩田寛(写真/舩越園子)
ファイナル4戦を経て米ツアーに辿り着いた岩田寛(写真/舩越園子)

岩田が開いた扉

米ツアーのシステム改革が行なわれ、米ツアーへの登竜門が従来のQスクールからウエブドットコム・ファイナル4戦へ変わったのは2013年だった。

一発勝負のQスクールが米ツアーではなく下部ツアーへの登竜門になったことで、日本人が米ツアーへ辿り着くためには、まずQスクールを突破し、それから最低1年間、下部ツアーで下積みをした上でファイナル4戦に挑むしかなくなると思われ、それは米ツアーに挑む日本人が限りなくゼロに近づくことを意味していると見られていた。

だが、そこにもう1つ、別の道を開いたのが岩田だ。岩田は昨秋のHSBCチャンピオンズで3位タイになり、そこで稼いだポイントのおかげでファイナル4戦への出場資格を獲得。そのファイナル4戦の総合成績で上位25人に入り、今季の米ツアー出場資格を手に入れた。

もっとも岩田は、まだ一発勝負だったころの旧Qスクールにも2008年に挑み、システム変更後の新Qスクールにも2年前に挑んでいた。どちらも失敗に終わったが、もし昨秋のHSBCチャンピオンズ3位という好成績がなかったとして、ファイナル4戦に出られていなかったとしたら、「Qスクール→下部ツアーで1年間の下積み→ファイナル4戦」という長い道程に挑む覚悟を当初から決め、その手続きまで取っていた。そこまで腹を括っていたからこそ、今年のファイナル4戦を見事突破し、ツアーカードを手にすることができたのだと私は思う。

米ツアー選手になりたい――そんな夢を抱いている日本のジュニアや若手選手。あるいは、岩田のように日本では中堅からベテランの域に数えられながら、地道に夢を追いかけている選手。米ツアーを目指す日本人挑戦者たちに、岩田は新たな扉を開き、希望を抱かせてくれた。

スポット参戦で米ツアーに挑み始めて8季目を迎える石川遼(写真/舩越園子)
スポット参戦で米ツアーに挑み始めて8季目を迎える石川遼(写真/舩越園子)

松山と石川が担ってきたもの

振り返れば、松山が世界のプロゴルフ界に初めて直に触れたのは、彼がアマチュア出場した2011年マスターズだった。ローアマに輝く快挙を達成したにも関わらず、松山は「こんなレベルでは世界では戦えない」と自らの不足を痛感し、以後、大いに奮起。それが、その後から現在に至る松山のすべての原動力になった。

松山があのマスターズに出場できたのは、2009年に創設されたアジアアマチュア選手権(現アジアパシフィックアマチュア選手権)の第2回大会で優勝したからだ。松山は第3回大会でも優勝し、2012年マスターズにも出場した。まだ東北福祉大学の学生だった松山がアマチュアのうちに2度もオーガスタの土を踏んだこと。その経験が大きな糧になったことは言うまでもない。

石川が初めて世界のプロゴルフ界に足を踏み入れたのは2009年の春だった。彼の場合は、スポンサー推薦という古典的な方法によって米ツアーのノーザントラストオープンなど数試合の出場権を得て、ほぼ同時にマスターズ委員会からも特別招待を得た。

当時は「17歳のプロ2年目」にとって、そうした推薦を得て出場することの是非が日米双方で取り沙汰されたが、ともあれ米ツアーやメジャー大会に直に触れた石川を媒介として、世界のゴルフ界のレベルの高さや魅力は日本にもずいぶん伝えられたはず。

そう、本人たちが望む望まないに関わらず、松山と石川は、日本と米ツアー、日本と世界のゴルフ界を結ぶゴルフ・アンバッサダーの役割を担い、遂行している。

そして今季からは、そのゴルフ・アンバッサダーが一人増える。

Qスクールにファイナル4戦。岩田は土台づくりから挑み続けてきた(写真/舩越園子)
Qスクールにファイナル4戦。岩田は土台づくりから挑み続けてきた(写真/舩越園子)

まず土台作りから、自力で挑む

松山を世界へ送り出すきっかけになったアジアアマチュア選手権(現アジアパシフィックアマチュア選手権)は、マスターズ委員会とR&Aが主体となった創設した大会だ。

米ツアーへの登竜門だったかつてのQスクール、そして新たな登竜門になった現在のファイナル4戦を創設したのは、言うまでもなく、米ツアー(PGAツアー)である。

新設のファイナル4戦の恩恵に授かったのは岩田だけではない。2013年に米ツアーで上位125人に残れなかった石川は、創設されたばかりのファイナル4戦に挑み、敗者復活の形で翌シーズンの米ツアー出場資格を得た。

松山、石川、岩田を米ツアーへ、世界へと導き、送り出しているものは、米ツアーや世界のゴルフ団体が作った大会やシステムばかり。だが、彼らは自分たちを導いてくれる何かを手をこまねいて待っていたわけではなく、目の前にあった大会やシステムを自ら見つけ、それに挑み、活用し、自力で道を開いてきたということを忘れてはならない。

過去にメジャー大会など世界の舞台へやってきた日本人選手の口から、しばしば、こんな愚痴を聞かされた。

「日本には、こういう難しいコースは無いから太刀打ちできない」

「日本にも、こういうコースを造ってくれれば、僕ら日本人選手だって世界で戦えるようになるんだけど……」

そうやって愚痴を言った選手は、その後、誰一人、世界に出てきてはいない。

理想の環境を誰かが作ってくれることを待っているようでは、夢なんて、いつまで経っても叶えられない。夢や理想を追いかけるためには、まずそのための土台作りに自ら動き、自ら挑むことが先決。その上で、本当の挑戦のためのスタートラインにようやく辿り着く。

松山も石川も岩田も、まず何かに挑んだからこそ、米ツアーメンバーとしての今があり、今週の開幕戦を迎えることができている。

日本人選手が3人になる今季は、米ツアーで飽くなき挑戦を続ける日本人チャレンジャー3人が、素晴らしいゴルフを披露する1年に、きっとなる。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、ラジオ福島、熊本放送でネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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