全米オープンでジョンソンに一打罰を科したUSGAは実はジョンソンに救われた
ダスティン・ジョンソンが悲願のメジャー初優勝を飾った全米オープン。最終ラウンドの真っ只中で起こったUSGA(全米ゴルフ協会)のルール上の判断と対応が大会終了後も大きな論議を巻き起こしていたが、翌月曜日、USGAは「残念に思う」という後悔の言葉を関係者に向けて発信した。
「ラウンド終了後まで結論を延ばしたことで騒動を引き起こしたことを残念に思う。ラウンド後にビデオ画像で確認し、エビデンス(証拠)に基づいてルール上の裁定を下すのはルーリングの通常の在り方であり、正確な判断にフォーカスしたこと自体は適切だった。しかし5番でボールが動いたことが1打罰につながるかもしれないことを優勝争いをしているジョンソンに12番で伝えたことで、必要以上に曖昧な状況をジョンソンにも他選手にも視聴者にも与えてしまった」(USGA)
【優勝争い真っ只中の珍事】
そもそもジョンソンに何が起こったのか。事情を知らない方々のために、ここで簡単に振り返ってみよう。
オークモントで開催されていた全米オープンの最終ラウンドを2位でスタートしたジョンソンは、2番でバーディーを奪い、首位との差を縮めようと必死のプレーを続けていた。
5番(パー4)で1.5メートルのパーパットに臨もうと構えたとき、ボールがわずかに動き、ジョンソンはすぐさまルール委員を呼んで判断を仰いだ。「僕が動かしたわけではない」と言ったジョンソンの説明を聞いて、ルール委員は「ノーペナルティ」と言い渡し、ジョンソンはパーパットを沈め、プレー続行。
しかし、5番でルール委員が下した無罰の裁定をUSGAはそのあとから翻し、「ホールアウト後にビデオ画像で確認した上で1打罰が科せられる可能性がある」と12番でジョンソンに告げた。
ジョンソンは最後の最後に1打罰がスコアに加えられる事態を想定しながら残りの6ホールをプレーすることになった。もちろん競い合っていた他選手たちにもこの状況はひっそりと伝えられ、他選手たちもジョンソンのスコアが1打増える事態を想定しながらプレーすることになった。ギャラリーも視聴者も首を捻りながらの観戦になったことは言うまでもない。
結果的に首位に立ったジョンソンと2位以下の選手の差が終盤で開いていく流れになり、1打罰があってもなくてもジョンソン勝利には影響しない展開になった。最終的に5番で動いたボールはジョンソンがパターをソールした動作によって動いたもの、つまり故意ではないにせよ「ジョンソンが動かしたもの」と結論され、1打罰が科せられた。
だが、大会終了後に巻き起こった論議は、1打罰の妥当性ではなく、USGAの対応の妥当性を問うものとなった。
【なぜ翻した?なぜ12番?】
論議のポイントは2点。
まず第1は、5番ホールで一度は「無罰」と言い渡した裁定を後から翻したこと。「ばかげている」「おかしい」という批判の声は、ジョーダン・スピースやリッキー・ファウラーといった他選手たちから、すぐさまSNSで発信された。
ルールの裁定は、一般社会で言えば、裁判の判決と同じである。一度、無罰(無罪)と言い渡されたものが、ほんの1時間後には「やっぱり罰を科すかもしれない」と言われるのでは、何のための判断か、何のための裁定か、わからなくなる。
論議の第2のポイントは、曖昧な状況をメジャーの優勝争いの大詰めに差し掛かろうとしているジョンソンに伝えたという、その最悪のタイミングにある。
12番で「一打罰になるかも」という曖昧な内容を伝えられたジョンソン。USGAは「1打罰となるかもしれないことを知っているかいないかで、終盤の戦略戦術が変わるだろうから(12番で)伝えた」と親切心を強調していた。
伝えられたジョンソンは、とりあえず「OK」と頷くしかなかったが、そんなUSGAの対応は、ジョンソンにとっては集中力を乱されかねない曖昧な恐怖予告のようなものだった。
【なぜ結論を出さなかった?】
それならば、USGAはどう対処するべきだったのか。
第1のポイントに対して考えるなら、5番でノーペナルティと言い渡したものを翻すべきではなかった。たとえば、ルール委員がルールの解釈を明らかに間違えていたなどというケースであれば、まだわかるが、詰まるところ、裁定がコロコロ変わるようでは困るというシンプルな話だ。
5番でジョンソンの主張をルール委員がその場で認めて無罰と裁定したのだから、それを翻すことは、USGAがルール委員の威厳を自ら低めることになりかねない。
そして、第2のポイント。5番の裁定を翻し、罰打の可能性を12番で伝えたのだから、USGAはそのときすでにビデオ画像でそれなりのエビデンスを得ていたはずだ。それなのに結論をホールアウト後まで先延ばしにしたところが最大の問題だったと私は思う。
「ボールはキミが動かしたと結論づけた。よって、一打罰を科す」と12番でジョンソンに明言していれば、そこから先はジョンソンにとっても誰にとっても、すべてがクリアだったはずだ。
【ジョンソンに救われた】
USGAはが前言を翻したり、結論を先延ばしにしたり、曖昧な態度になってしまった背景には何があったのかと考えてみた。
全米オープンというビッグなメジャータイトルがかかっている状況で慎重に慎重を期し、ジョンソンにとって最良の対応は何だろうかとUSGAなりに模索や気遣いをした結果、残念ながら裏目に出たという面はあるのだろう。
しかし、もしも5番の出来事が一昔前に起こっていたら、今回の騒動は起こらなかっただろうと思うのだ。
ハイビジョンのTVが生まれて以降、選手やキャディ、コース上のルール委員らの肉眼では確認できない動きがテレビやデジタル画像を見た一般視聴者から指摘され、ルール判断に影響を与えるケースが近年は増え続けている。
さらに言えば、いいことも悪いこともSNSで瞬く間に広がっていく今の時代、周囲の反応を気にすればするほど、意見や情報、姿勢の表明には慎重を期すことになりかねない。
下した裁定に、あとから反論は出ないか、批判は出ないか。そんな世間の顔色はどうしても気になり、気になればなるほど、はっきりと言い切りにくくなる。それが曖昧さにつながっていく。
米国ゴルフをつかさどるUSGAは、そもそも威厳を保って然るべき。実際、USGAは難しいコース設定に選手たちから批判が殺到しようとも「これが全米オープンのあるべき姿」と突っ撥ね、毅然とした態度を取ってきた。
だが、今回の一件は、珍しくそんなUSGAが弱腰になり、世間の顔色を気にして曖昧な態度を取ったことが、逆に騒動を引き起こしてしまった。「残念に思う」という後悔の念を翌日にリリースしたところにもUSGAの弱気が感じられる。
そんな中、救いは優勝したジョンソン自身の姿勢だ。
「そこに存在していたのは自分とコースだけ。戦っていた相手はコースだけ。その日の終わりに、一打罰は意味をなさなくなった」
ジョンソンが12番以降で崩れて負けていたら、あるいはジョンソンがこの一件でUSGAに抗議してさらなる騒動に発展していたら、この珍事は全米オープンヒストリーの醜い汚点になっていた。
すべてを払拭したのはジョンソンの好プレーと勝利。USGAと全米オープンは、そんなジョンソンに救われた。