Yahoo!ニュース

米ツアー史上最少スコアの「58」をマークしたジム・フューリックは「歴史的人物」にふさわしい

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
史上最少スコア「58」をマークした46歳のジム・フューリック(写真/舩越園子)

【歴史の一部になれた】

リオ五輪が開幕した今週も米ツアーの大会はコネチカット州のTPCリバーハイランズでトラベラーズ選手権が開催された。

その最終日に歴史を塗り替えるスコアが出た。46歳の米国人、ジム・フューリックが前人未踏の「58」をマークした。

過去にはフューリックを含む6人が「59」を出したことがあった。1977年メンフィス・クラシックのアル・ガイバーガーを皮切りに。1991年ラスベガス招待のチップ・ベック、1999年ボブ・ホープ・クライスラー・クラシックのデビッド・デュバル、2000年ジョンディア・クラシックのポール・ゴイドス、2010年グリーンブライア・クラシックのスチュワート・アップルビー、そして2013年BMW選手権のフューリック。

しかし、その誰もが、ぎりぎりで届かなかったのが「58」という数字だった。

この日のフューリック自身も前半を「27」で回り終えたときは「またか?」と思ったそうだ。だが、後半も10番から3連続バーディーを奪うと16番でもバーディーを奪い、スコアを伸ばし続けた。

そして最終ホールの18番(パー4)。きっちり2打でグリーンに乗せ、バーディーパットを沈めれば記録を一気に2打更新する「57」、2パットのパーでも新記録の「58」という状況を迎えた。

バーディーパットはぎりぎりカップに沈まず、カップの向こう側へ通りすぎたが、余裕でパーパットを沈めると、両手を広げて達成感を噛み締めた。

「たとえほんの一部であっても、歴史の一部になれたことは、まるで夢のようだ」

フューリックの傍にはいつも名キャディのフラフがいる(写真/舩越園子)
フューリックの傍にはいつも名キャディのフラフがいる(写真/舩越園子)

【いつも陰になってきた】

フューリックは2003年の全米オープン優勝を含む米ツアー通算17勝の大ベテラン選手。2010年にはツアー選手権を制して、米ツアーの総合優勝に輝いたこともある。

だが、コアなゴルフファンには知られていても、一般的な知名度は決して高くない。子供たちや女性ファンからサインや握手をねだられるスーパースターではない。

振り返れば、フューリックはジュニア時代、大学時代から、あのフィル・ミケルソンの陰になり続けてきた。フューリックはアリゾナ大学、ミケルソンはアリゾナ州立大学。同い年の2人は常にライバルとして同じ土俵に上がり、ミケルソンが太陽のように輝ければ、フューリックはその陰でひっそり光る月だった。

その関係は米ツアー選手になってからは一層大きな差となった。ミケルソンは国民的スター、フューリックは「8の字」を描くような独特のスイングが「母親にしか愛されないスイング」と揶揄された。

それでもフューリックは「これが僕のスイング」と誇りを抱き、幼少時代からの唯一のコーチである父親と努力を続けていった。

メジャー優勝はミケルソンより1年早い2003年に達成。米ツアー優勝も毎年のように重ねていき、いつしかフューリックを揶揄する声は聞こえなくなっていた。

今年の全米プロでは池田勇太と一緒に練習ラウンドを回った(写真/舩越園子)
今年の全米プロでは池田勇太と一緒に練習ラウンドを回った(写真/舩越園子)

【面倒見のいい、優しい人】

思えば、タイガー・ウッズが初代のキャディ、マイク・コーワン(通称フラフ)を突然解雇した後、無職になったフラフを“引き取る”形で自分のキャディに付けたのがフューリックだった。

あれからほぼ20年、フラフは年齢を重ねながらもフューリックのバッグを担ぎ続け、歴史を塗り替えた今日のこの日もフューリックの傍らにはフラフの姿があった。

フューリックの優しい性格がときにアスリートとしての成功を阻害すると言われたこともあった。

往年の名手、スコット・ホークとのサドンデス・プレーオフになった2003年のフォード選手権。プレーオフ2ホール目のグリーンでバーディーパットが「暗くて見えない」と言ったホークの主張にそのまま頷いてしまったフューリックは、翌日に持ち越されたプレーオフの続きで敗北。「まんまと作戦に負けた」と言われたこともあった。

通算17勝の陰には悔しさを噛み締めた惜敗がその2倍、いや3倍以上あった。愛妻とともに淡々と帰り支度をして、駐車場で荷物を車に詰め込むフューリックの姿を、過去にどれほど見たことか。

それでも悪態をついたことは一度もない。メディア対応の素晴らしさを評価され、昨年はASAPスポーツから表彰されたばかりだ。

若い選手や外国人選手の面倒見もいい。今年の全米プロの練習日、池田勇太と一緒に練習ラウンドをしていたのもフューリックだった。

チャリティ活動には常に積極的。現在の住まいがあるフロリダ州ジャクソンビル地域では、フューリックの熱心なチャリティ活動を知らない者はいない。

そんなフューリックはもっとスポットライトを浴びていい存在のはず。だからこそ、ゴルフの神様が歴史を塗り替える大役をフューリックに与えたのではないだろうか。

前人未踏の「58」を達成したフューリックは「歴史的人物」の名にふさわしい。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、ラジオ福島、熊本放送でネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

舩越園子のゴルフここだけの話

税込550円/月初月無料投稿頻度:週2回程度(不定期)

米国ゴルフ取材歴20年超の在米ゴルフジャーナリストならではの見方や意見、解説や感想、既存のメディアでは書かないことがら、書けないことがら、記事化には満たない事象の小さな芽も含めて、舩越園子がランダムに発信するブログ的、随筆風コラム。ときにはゴルフ界にとどまらず、アメリカの何かについて発信することもある柔軟性とエクスクルーシブ性に富む新形態の発信です。

※すでに購入済みの方はログインしてください。

※ご購入や初月無料の適用には条件がございます。購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。

舩越園子の最近の記事