Yahoo!ニュース

ネット保守からの塩村都議批判論とは?

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

東京都議会における塩村都議への「自分が早く結婚したほうがいいんじゃないのか」「(子供を)産めないのか」等々の議場からのヤジがたいへん大きな問題になっているのはご存知のとおりである。このうち、「早く結婚したほう~」のヤジは鈴木章浩都議によるもので、後者の「産めないのか」は発言者不詳となっている。

いずれも「セクハラヤジ発言」などと銘打って報道されているケースが多いが、正直なところこれは「セクハラ」などではなく単なる下品な罵詈雑言のレベルで、そういう意味で「これはヤジではなく誹謗中傷である(下村文部科学大臣)」との感覚は正鵠を得ている。

■ネット保守クラスタに流布する字幕捏造説

驚くのは、現在、「自分が早く結婚したほうがいいんじゃないのか」という件の問題発言は「みんな(の党)が早く結婚したほうがいいんじゃないのか」だった、という説がネット上に盛んに出回っていることだ。

つまり鈴木都議のヤジは塩村都議の所属するみんなの党を揶揄した政局的な「ジョーク」であり、マスコミの字幕捏造である、ということらしいのだが、これがインターネット保守(以下ネット保守)を中心としたクラスタの中で、まことしやかな「俗説」として盛んに回覧されているのである。

当然のことながら、当初、ヤジ発言を自分のものではないと全く否定していた鈴木議員が、一転発言を認め全面謝罪したことを考えれば、「政局を揶揄したもので問題発言ではない」などというインターネット上の俗説は文意からしても意味の通じない「トンデモ」の域に達しているのは明白だ。

■マスコミ不信が生み出すトンデモ解釈

1985年の日航機123便墜落事故(御巣鷹山事故)でも同じような俗説が出回ったことがあった。公開されたボイスレコーダーのなかで高濱機長が発した「オール・エンジンクリア」を「オレンジ・エアー」と勝手に翻訳して、「オレンジ・エアー=自衛隊の模擬標的機(ファイヤー・ビー)」として「日航機は自衛隊が撃墜した」というトンデモ解釈だ。今回の問題でインターネット上に流布している「マスコミ捏造説」は、これに匹敵する(という表現は犠牲者の方に大変失礼ではあるが)酷い俗説である。

100万歩譲って鈴木都議の発言が「無罪」だったとしても、他方、「産めないのか」という、「早く結婚したほうが~」よりももっと酷い暴言の問題は厳然として残されている。都議会の男性議員、特に自民党議員の中にある男性優位の旧態依然とした思考が、強烈にこの問題の背景に存在していることが浮き彫りになったのは言うまでもない。

■ネット保守は女性の人権感覚に疎いのか?

今回の問題では多くの人々がそれぞれの立場で発言を行なっているが、私が特に注目したいのは、既に述べたような、ネット保守界隈からの反応である。都議会では今回の問題を受けて、都民を含めて多くの国民から塩村都議を擁護する声、ヤジ発言者を非難する意見が寄せられたというが、ネット保守界隈からはこれとは全く逆の「特異な」反応が伺えるからだ。このクラスタの代表的な見解は次の3つ(上記のトンデモ説は除く)に分類できる。

1)仮にも政治家である塩村都議がこの程度の事で泣くのは如何なものか

2)塩村都議の過去(テレビ出演時の男性遍歴を巡る発言など)を考えると野次られても致し方ない

3)都議会自民党を貶めることにより安倍政権への間接攻撃を狙った左傾勢力の陰謀である

これらの見解には共通する特徴が2つある。ひとつは、このヤジ(罵詈雑言)問題というのが普遍的な人権問題であるという認識が希薄であること。そしてもうひとつは、日本の男性は女性を蔑視していると国際社会で見なされ、日本の国威が傷ついている、という認識が全く希薄かゼロである、ということだ。

■ネット保守の「アンチ・マスコミ」文脈

私は先日STAP細胞問題(小保方晴子氏の研究にまつわる一連の疑惑)について、ネット保守界隈から彼女を擁護する声が多かった事に注目し、論考に及んだ。たが、今回の問題では、渦中の人物が同じ若い女性(で割と美人)という共通項があるにもかかわらず、全く同じクラスタから小保方=擁護、塩村都議=非難、という正反対の反応が現出するのは何故なのか、という点に強い関心を持つに至った。

結論から言うと、これは「アンチ・マスコミ」という価値観を基準とした判定と言うより他にない。つまり「既存の大手マスメディアがバッシングしている対象=逆張りで善人」、「既存の大手マスメディアが擁護している対象=逆張りで悪人」といった具合である。

現在のネット保守クラスタの多くは、「2ちゃんねる」を中心としたネット空間をその出発点としている。旧くは2002年の日韓ワールドカップ前後から、「2ちゃんねる」は既存の大手マスメディア(特にテレビ報道)に対する強い違和感を持った人々の「避難場所」となっていった。そうしたネット空間の文脈では「常に既存の大手マスメディアの逆張りを行く」のが主流な考え方であり、その傾向は現在のネット保守にも共通して見ることができる。

そういった意味で、今回のマスメディアによる「犯人」鈴木都議への強烈なバッシングは、確かに報道的には行き過ぎの感もあるが、ネット保守の文脈の中ではさらに批判的に捉えられてしまう。こうして彼らは、自然と鈴木都議への擁護と塩村都議への批判に回る。そして、特に彼女の過去のテレビ出演などを踏まえた「胡散臭さ」が癪に障る、となって行く。さらに「アンチ・マスコミ」という価値観は常に「マスコミの捏造」という世界観とセットになっているから、冒頭で記したような「トンデモ解釈」まで飛び出して憚らないのだ。

■ネット保守は強烈な男性優位世界

確かに、日本国民の一部に強烈なマスコミ不信を醸成し、「報道被害」とよばれる現象まで現出せしめた既存の大手マスメディアの問題は指摘されるべきである。朝日新聞による珊瑚礁捏造事件、毎日新聞による英字新聞変態記事事件、松本サリン事件での冤罪報道など、枚挙に暇がない。

しかし本稿は、今回の都議会問題は、このようなマスコミの不作為云々とは関係のない問題であり、罵詈雑言の事実を元に行われたもので、そもそも国際的に日本の国威を失墜させる重大な問題であることを繰り返し記すものである。日本人の特に男性、および保守と目される政権与党に所属する地方議員が、いまだに後進的な男性優位視点を披露して憚らないという、日本の国際的評価に関わる事なのだから、本来であれば国家の体面を重視する保守派こそが、最も鈴木都議らを糾弾しなければならない立場にあるはずなのである。

「アンチ・マスコミ」という価値観を基準に、多くのネット保守は塩村都議に批判的であるのは既に述べたとおりだ。しかし、もう一つ、これらのクラスタの思考の背景にある無視できない重大な事実は、そもそも「ネット保守」は「強烈な男性優位世界」である、という点だ。

■ネット保守の女性比率は25%

2013年に私が行った独自調査によると、ネット保守の男女比は75:25で圧倒的に男性が多い。私は仕事柄、多くの「保守派の集会や勉強会」などに出席しているが、そこでの男女比は概ね95:5とか97:3(非常に良い例でも85:15程度)とかで、いずれも「極端な男性偏重」になっているのが実態である。この国における保守クラスタは「そもそも数として絶対的に男性優位」の状態にある。何故こんなに男性偏重になっているのかは拙著『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)に詳述しているが、簡単にいえば国防・憲法・歴史観などいわゆる国家論を中心として、「健全な精神は健全な肉体に宿る」的な「マッチョイズム」の男性的世界観と感性が支配しているからであり、子育て、育児などの女性が注目するイシューを、保守クラスタがほとんどといって良いほど取り上げていないからである。

ともあれ、このような「全体的に男ばかり」のネット保守が自然と男性優位の思考=鈴木都議の感性を概ね支持する、のは当然と言えば当然の結果であり、この事実に更に「アンチ・マスコミ」という価値観が上塗りされ、補強されているのが実態である。

■鈴木議員への擁護は安倍政権の国際的立場を悪くする

それにしても、「アンチ・マスコミ」という価値観は普遍的な人権をもかき消すだけの存在なのかといえば、NOと言うしか無いだろう。ネット保守の論調の全部とは言わないが、その多くは強すぎる「アンチ・マスコミ」の価値観の中で、真に守るべき国家の品格や国際的評価への思慮をほとんど忘却しているか、全く考慮していない。つまり「マスコミ憎し」が余りにも強すぎるがゆえに、保守派が「保守」する対象がかき消されている事がしばしばである、と指摘したいのだ。

先にあげた3つのネット保守による代表的見解の3番目にある、「都議会自民党への批判が安倍攻撃につながる」という点は全くの的外れである。寧ろこの問題で鈴木都議を擁護すればするほど、正反対の結果になるだろう。つまりネット保守界隈が鈴木都議を擁護し、塩村都議を批判すればするほど、「日本の保守派は女性を蔑視しており、人権意識に希薄である」というメッセージを海外に伝えることになる。これは安倍政権にとってはダメージになり、危険だ。政権与党に所属する地方議員による女性蔑視の罵詈雑言は、むしろこれを正確に批判することにより、安倍政権への援護射撃につながるのではないか。

■鈴木議員よ、民主主義の「炭鉱のカナリア」たれ

但し、鈴木都議に辞職の必要はないと思う。寧ろ、民主主義の「実験」のために彼には辞職をしないで欲しいと強く思う。次の都議会議員選挙は任期満了ならば2017年の晩春頃にあるらしい。彼が立候補することが前提ではあるが、その時に鈴木都議に票を入れなければ良いのだ。これが本来の民主主義である。

しかし、「マスコミによる一過性の大騒ぎ」に代表される世相が顕著な昨今、はてさてあと3年後、この国の有権者の多くが今回の件を正確に覚えていて、それを投票行動に反映させられるのかどうか。日本(東京都)の民主主義が正常に機能しているかどうかの「炭鉱のカナリア」として、鈴木都議は2017年まで職務に邁進して欲しいものだ。

*本記事は2014年6月25日に雑誌ネット『古谷経衡のコンシューヨンダ』に掲載した記事をYAHOO!ニュース用に再構成したものです

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

古谷経衡の最近の記事