「慰安婦日韓合意」で保守派激怒の理由と背景

日韓外相会談での岸田外相と尹外相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

・「慰安婦日韓合意」に激震覚めやらぬ保守界隈

29日に岸田外相と尹韓国外相との間で発表された「慰安婦問題日韓合意」を受け、日本国内ではネット右翼(ネット保守とも)層を含む強硬な保守派全般の激震が覚めやらない。

SNS上やブログ上では、ネット右翼や保守系言論人による日韓合意への怨嗟の声が溢れ、これまで安倍総理を強固に支持してきた層からも「(安倍総理に)失望した」「裏切りだ」「年の瀬に最悪の悪夢」などの声があふれている。

この合意を受け、早くも12月29日には東京都内の保守系市民団体らが議員会館、首相官邸、外務省前などで抗議活動を繰り広げるなど、怨嗟の声はネットを突き破りリアルにも波及し始めている。「慰安婦日韓合意」がここまで保守派を怒らせている理由はなにか。

・「慰安婦問題」は保守運動の「一丁目一番地」

ネット右翼を含む強硬な保守派全般(以下、強硬な保守派)にとって、所謂「従軍慰安婦問題」は保守運動の「一丁目一番地」であると見做されてきた。

強硬な保守派が従前から強烈に主張してきた政治的イシューは、「憲法(第九条)の改正」「靖国神社公式参拝推進」「反東京裁判史観=YP(ヤルタ・ポツダム)体制打破」など手垢のついたものだったが、2011年12月に韓国の市民団体=韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)がソウルの日本大使館前の公道に「慰安婦像」を設置してから、急速に強硬な保守派にとって「従軍慰安婦問題」が運動の推進剤となった。

ブロンズ像という視覚的に分かりやすい「韓国の反日」の具体化が、日本の保守運動に火をつけ、この時期、強硬な保守派の中で「慰安婦」に絡めた「嫌韓」が自乗するように加速していく。

代表的なものを見ていくと、同年に設立された『なでしこアクション』(山本優美子代表)が筆頭で、「(従軍)慰安婦=性奴隷のウソに終止符を」を掲げ、爾来数々の保守運動の中心的存在のひとつとして保守系メディアで取り上げられてきた。

或いは2012年6月には、保守系政治団体『維新政党・新風』の鈴木信行氏らが前出慰安婦像の前に竹島の日本領有権を主張する「杭」を打ち込んだとしてソウル地検に起訴され(竹島杭事件)、韓国政府から入国禁止処分を受けるやいなや、強硬な保守派からは英雄扱いとなり各地で講演会、イベントを行うなどした。

さらにこのような保守運動を勢いづかせたのは、2014年8月に朝日新聞が自ら発表した「吉田清治証言の取り消し」であった。済州島で日本軍関係者が現地の女性を強制連行して慰安婦に仕立てあげたという所謂「吉田清治証言」が虚報であったことが確認されると、保守派は1993年の所謂『河野談話』、及び1996年の国連『クマラスワミ報告』が「吉田清治の捏造証言を大きな根拠としている」と主張した。

・造語「追軍売春婦」の登場

よって強硬な保守派は「吉田清治証言が捏造であるなら、河野談話もクマラスワミ報告も連座して無効」と主張し、従軍慰安婦そのものを「存在しなかった」として扱い、従軍慰安婦を営利目的の「追軍売春婦」(日本軍に勝手に追従した自由意志の売春婦)と言い換えてきた。

このように、2010年代からにわかに保守運動の前衛として「従軍慰安婦問題」がフォーカスされ、慰安婦像の撤去や慰安婦の存在そのものを否定するを運動はグレンデール市(米カリフォルニア州)での慰安婦像撤去署名運動、および2014年2月のフランス『アングレーム国際漫画祭』での、日本の保守系任意団体『論破プロジェクト』が出展を計画した「慰安婦否定漫画」などへと繋がっていく。

或いは、宗教右派や軍恩関係団体から構成される『日本会議』、保守系の独立放送局である『日本文化チャンネル桜』とその関連政治団体『頑張れ日本!全国行動委員会』、また所謂「行動する保守」の代表格である『在特会(在日特権を許さない市民の会)』など、大小を問わず、ほぼあらゆる強硬な保守系の運動の中に「慰安婦問題」が否定の文脈として登場することになった。

このようにして、まさに慰安婦問題は、保守運動の「一丁目一番地」となった。

・ずれる保守派の論点、整理されぬ対抗言説

このような従軍慰安婦問題に関する保守運動が大きな盛り上がりを見せる一方で、彼らの理論的根拠はチグハグで終始一貫性がないものであった。まず強硬な保守派が主張したのは、以下のように大きく三つに類別される。

1)「吉田清治証言が捏造であったのだから、強制連行はなかった。したがって従軍慰安婦は強制されたのではなく自由意志で日本軍に従事していたのであり、彼女たちは”追軍売春婦”に過ぎないから問題ではない」とする追軍売春婦派

=彼らの論拠からすれば、「追軍売春婦」は金儲けのために追軍し、待遇面でも良かったのだから”性奴隷”とは程遠く何ら問題ではない、となる(現状ではこの意見が最も多数派)。

2)「従軍慰安婦はむしろ喜んで日本軍に奉仕した。日本軍とともに戦って死んだ慰安婦もいる」とする美談派

=彼らの論拠からすれば、例え強制的な戦時性労働であっても、国のために兵隊に奉仕したのだから何の問題があるのか、という感情論。

3)「同時期のドイツ軍等も同様だったのだから、日本だけが非難されるいわれはない」とする相対派

=彼らの論拠からすれば、軍の関与も広義の強制性も認めているということになる(2014年1月にNHKの籾井会長が同様の発言をし、その後陳謝している)。或いはこの相対派の意見の中には、ベトナム戦争時の韓国軍による婦女暴行の事案(ライダイハン)を持ち出す傾向もある。

というふうになる。しかし奇妙なことに、「彼女たちは従軍慰安婦などではなく自由意思の、カネ目当ての追軍売春婦である」というものと、「例え強制的であってもお国に奉仕した無私の慰安婦に何の問題があるのか」というものと、「従軍慰安婦の存在も広義の強制性も認めるが、それは相対的に見て日本だけが悪いわけではない」という、全く世界観の異なるこれら三つ主張をすべて内包していたのが、強硬な保守派の主張だった。

すなわち、1)を採用すれば2)と3)と根本矛盾し、2)を採用すれば1)及び3)と対立するし、3)を採用すれば、1)と2)を完全否定することになる。

基礎的な歴史の事実を精査しないで、強硬な保守派の各人が、ネット上で各々勝手に、1)~3)の主張を叫び、或いはその都度、都合の良いようにミックスさせてきたのが今日に至る強硬な保守派の基本的な立ち位置であった。

すなわち、彼らのスローガンは「従軍慰安婦は存在しない。元慰安婦の証言はウソである。彼女たちは進んで性を提供することで兵隊に無私の立場で奉仕し、かつ高給取りだった。それはドイツもやっていたのだから日本だけが悪いわけではない。或いは全ては日韓基本条約で解決した」というものだ。この一文の中に、ありとあらゆる意味での矛盾が含まれていることは自明である。

つまり強硬な保守派は激烈に沸き起こる「嫌韓」や「反朝日新聞」の潮流の中で、対抗言説の要点を全く整理せず、慰安婦問題のどの部分を問題視しているのか、理論的中心がてんでバラバラであった。

・無理筋な「自由意志」

その中でも、割合強硬な保守派が重視したのは1)にある強制連行の有無で、これが吉田清治証言の虚報によって補強されたのだから、「強制連行のウソ=軍の関与なし、つまり自由意志の追軍売春婦」という歴史観が強硬な保守派の通説となっていく。

ところが、欧米を含む国際世論が重視したのは、「吉田清治証言のような強制連行の有無」を通過し、「軍の関与そのもの、軍によるあらゆる形での管理買春の存在それ自体が戦時人権侵害である」というものであり、強硬な保守派の対抗主張と国際世論が重視する問題点はズレてきた。

その後、吉田清治証言は少なくとも河野談話に影響していないことが確認された(2014年10月3日、菅官房長官答弁)にも関わらず、強硬な保守派は「朝日新聞=吉田清治=河野談話=歴史の捏造・でっち上げ」というラインを崩すこと無く保守運動の推進剤としてきた。

が、実際に先の大戦中、旧植民地出身の従軍慰安婦が軍の管理(関与)の元、性労働に従事していたのは当然の事実であり、そこには仲介業者などを通じた人権侵害があったことは事実で、到底「自由意志」とすることはできない。

例えば先日逝去された水木しげる氏の作品の中でも「(当時呼称)ピー屋」として描写されているのが有名(作中では、慰安婦たちは軍の管理下の元、過酷な性労働に従事する一方で、軍に保護される存在として描写されている)なように、これまでに様々な媒体で発表されてきた韓国人元慰安婦の体験談の中に、誇張や幾許の嘘があり、所謂「強制連行」は無いとしても、従軍慰安婦の存在と日本軍の関与という歴史事実は、動かすことが出来ない。

・「嫌韓」の濁流の中を突き進んだ保守運動

これを現在の価値観から「善か悪か」と判断するのは評価の別れるところだが、このような歴史事実を「まったく存在しない」として主張する強硬な保守派の前出の主張1)は無理筋だし、2)については根拠に乏しいコラム的愛国美談に過ぎず、3)についてのみ、ドイツとの比較点がありそうだが、対抗言説を繰り広げそれを保守運動の中に積極的に組み込んできた強硬な保守派は、この1)~3)の互いに矛盾する全く異なる主張を、前出のスローガンのように逐次散漫に出しては繰り返し、対抗論点を整理しないまま、ネット上の粗悪な「嫌韓」の文脈の中にばら撒いたままにし、先鋭的な「嫌韓」に突き進んでいく。

よってこの度の慰安婦日韓合意で、日本政府が「軍の関与」を認めたことに保守派は激怒し、韓国に対し日本側が大幅に妥協したと憤慨している。彼らの怒りは、論点を整理しないまま、「嫌韓」の大潮流の中で唱えられていた「アンチ慰安婦問題」の保守運動が、漠然と日韓合意によって全面否定され頓挫したという印象を強く持つからであろう。

ところが繰り返すように、当の強硬な保守派自身が「慰安婦問題」の何が問題なのか、その論点を全く整理しないままに保守運動の「一丁目一番地」として前衛にしてきた。

常識的な判断ならば「吉田清治的強制連行はなかったにせよ、日本軍の関与(管理)があったのは事実なのだから、それについて10億円で最終的かつ不可逆的な解決が韓国とできるのであれば、良いのではないか」という評価に落ち着くと思うが、強硬な保守派の多くはそもそも「慰安婦自体が存在していない」から始まり、「喜んで性を提供した追軍売春婦」ときて「ドイツもやっていた」とあまりにもびまん的になるから、今般の日韓合意そのものが、強硬な保守派の漠として思い描く「慰安婦=捏造」の世界観が否定されたとして、これまた漠として怒っているというのが正解であろう。

・安倍政権への打撃はあるのか?

今回の慰安婦日韓合意で、強硬な保守派から向けられた安倍総理への批判や失望は、第一に安倍政権にとっての打撃になるのか。また第二に、安倍総理がこのような強硬な保守派から「見限られる」という事態につながるのだろうか。

まず第一についてだが、仮に強硬な保守派全部が今回の慰安婦日韓合意を機に「反安倍」に鞍替えしたとしても、政権への影響は「まったくない」という風に評価できる。なぜなら、前述してきたネット右翼を含む強硬な保守派の人数はおおよそ全国で200万人前後で、かれらが議席に与える影響は『日本のこころを大切にする党(旧次世代の党)』の現有議席と趨勢をみれば明らかであるからである。

この辺りの実態は、私が拙著『ネット右翼の終わり(晶文社)』やYAHOO!ニュースの別稿等で繰り返し主張してきたとおりで、仮に「ネット右翼を含む強硬な保守派の総離反」が起こったとて、政権への影響は極めて微弱かゼロである。

・安倍総理は「見限られる」のか?

そして第二については、そのそもこうした強硬な保守派が「反安倍」に鞍替えすることは、まず考えにくいという事実だ。遡れば、保守派が安倍総理に「深い失望」を表明したのは何も今回だけではない。

自民党が2012年12月に政権党に返り咲く前の段階でマニフェストに記載していた「竹島の日式典の政府主催」「尖閣諸島への公務員常駐」への強硬な保守派の期待は相当なものであったが、第二次安倍政権がスタートしてまもなくの2013年2月22日(竹島の日・竹島の日式典)が、政府主催ではなく従来と同じ島根県主催のものであった事実は強硬な保守派を落胆させ、一部の右派活動家らが首相官邸前で抗議活動をするなど事態はエスカレートした。

その時も今回と同様、「安倍に裏切られた」の怨嗟の声は多数あったが、強硬な保守派の受け皿が自民党しか無いため、結局彼らの多くは安倍支持を継続したという経緯がある。

ここには、「社民」「共産」といったリベラル勢力が小さいながらも国政政党を保有し、彼らの政治的主張の受け皿を担っているのに対し、強硬な保守派の政治的受け皿が、ほぼネット空間にしか存在しなかったという歴史的経緯が影響している。唯一、2014年後半に旧次世代の党がその役割を担ったものの、すぐに瓦解してしまった。

自らの政治的主張を代弁する国政政党を持たない強硬な保守派は、例え自らの理想とする「真の保守的世界観」から安倍総理が現実主義を採用して遠のいたとしても、安倍総理を支持するしか方策はなく、よって「見限られる」という事態につながるとは考えにくい。

強硬な保守派が「一丁目一番地」としてきた慰安婦問題は、大きく動いた。今後、日本大使館前の慰安婦像の撤去(移転)が実現するかどうかが愁眉の問題となるが、これが近い将来実現するとなると、強硬な保守派も一定溜飲を下げることとなり、結局は従前よりも増して強固な安倍支持の特性を色濃く持つだろうと予想される。