年収で大きく変わる「生活の苦しさ」への考え方
「生活が苦しい」増加理由は?
去年の秋頃までと比べれば景気回復感がようやく見えてきた雰囲気はあるものの、多くの人にとって日常生活が厳しい状態には違いない。中でも生活が極めて困難な状態にある「生活困窮者」が増加している、との指摘もある。その増加に見える状況に関して、日本生協連が2013年11月に発表した「日本の社会保障制度への意識や考え方に関する調査」の結果によると、原因と思われている理由の一部では、回答者の年収による大きな差異が確認されている。
ちなみに「生活困窮者」そのものに関して同調査では明確な定義はないが、生活困窮者自立支援法によると「現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある者」と定めている。
「生活困窮者自身に責任がある」を意味する「その人たちの意志が弱くなまけている」、社会情勢からそのような状態に追い込まれる人が増えるのは仕方ないとする「社会進歩の過程では増加は避けられない」は、共に高年収者ほど同意意見が増える傾向がある。社会システムそのものに問題があるわけでは無い、あきらめねばならないとする意見である。年収が生活の困窮の有無とすべてリンクするわけではないが、深い関係があることを考えれば、「(回答者)自身は生活困窮者では無いから、社会が悪いからとは一概に言い切れない」「本人の資質によるところが大きい」とする認識が回答率にも反映されていると考えられる。
一方、「税金や社会保険料の負担が大きい」は、低所得者の方が多い。回答者自身が生活困窮者に該当する場合も含め、低所得ほど租税公課による生活への圧迫を実体験しており、それが高回答率につながっている。
また低所得者層では「分からない」とする回答率が高いのも特徴。問題意識が薄い、あるいは考える余裕すら無いことこそが、生活困窮の状態に陥りやすい原因なのかもしれない。
勝者ほど自由競争を望む
年収による社会弱者への姿勢の違いは、社会全体の方向性への意志にも表れている。
低年収≒社会的弱者ほど「弱者保護政策」を、高年収≒社会的強者・自由競争社会の勝者ほど「自由競争社会の拡大」を優先すべきとの意見が多数を占めている。双方意見が逆転するのは年収600万円のラインで、それより低いと弱者保護、高いと自由競争社会を優先する意見が多くなる。
ただし強い意志での「弱者保護政策」を唱える人はどの年収層でも一定率存在するものの、強く「自由競争社会拡大」を求める人は低所得者層では少なくなっている。持つ者と持たざる者との余裕のあり方の違いが出ていると見れば道理は通る。
以前「若者とシニアの意見、国への全体意見として通るのは?」で解説したが、社会保障問題では特に、社会全体に対する所感や改善の方向性の要望を尋ねた場合、人は概して社会全体の利益よりも自分の利益を中心に考え、自分の立ち位置から物事を考えてしまいがちになる。自分の主観では自分自身が世界の中心なのだから、当然ではあるが、これを多分に無意識に行ってしまう。
資産的に余裕がある人ほど弱者保護よりも自由競争社会を好み、生活困窮者問題は当事者の意志の弱さによるもの、社会悪上仕方ないものと考えてしまう。これも自己中心的、エゴと言われればそれまでだが、自分を中心に物事を考えるがための所業。
もちろん自身の生活が厳しい人においては、より強力な弱者保護を社会に望み、生活困窮者が増えるのは当事者の意志の弱さを起因としたものでは無いと考える。これもまた、回答者自身を中心に据えての回答だからに他ならない。「エゴ」はどのような立場の人にも存在し、問題視されるか否かはその度合いと方向性に寄るところが大きい。
社会保障問題では、社会全体としての俯瞰的な、集約された意見の他に、その問題に深く関連する属性別の意見の違いも考慮した上で、考えねばならないのは言うまでもない。
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