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(1+0)÷2=1/2…「悪平等」を使ってオヤツを横取りする方法

不破雷蔵「グラフ化してみる」「さぐる」ジャーナブロガー 検証・解説者
↑ 権利の無いものが騒ぎ、周囲の平等感がそれを後押しすると……

持ち主に「俺のだ」と強弁し「平等感」で半分を確保

詭弁的手法の一つとでも表現すべきだろうか。昨今、平等感、公平感を悪用し、ゼロの立場にある状態を引き上げる手法が目に留まるようになった。分かりやすい事例で図解にすると次の通りとなる。

↑ カップケーキの所有者に対し言いがかりをつけ、周囲の平等感の意見による支援を受け、まんまと半分をせしめる事例
↑ カップケーキの所有者に対し言いがかりをつけ、周囲の平等感の意見による支援を受け、まんまと半分をせしめる事例

元々権利の無い人が権利を有する人に対し、所有権を主張する。本来なら単なる言いがかりに過ぎず、無視して問題ない事案。しかし状況によって、あるいは周囲の雰囲気により、これが通らない場合がある。

現実問題としては所有権は確かなもの。しかし事実を(十分に)知らない第三者からは単なる所有権の争いにしか見えない。そして喧嘩両成敗だ、バランス感覚が必要だ、平等公平さが必要だとの意見がなされ、雰囲気が形成され、社会的意識・世論としてプレッシャーがかけられる。結果として元々所有権を有していた人が、言いがかりをつけた人に、「平等」の名のもとに配分をしなければならなくなる。真の平等ならば図版のように、半分を与えねばならなくなる。

正当な所有権を持つ人は過失が無いにも関わらず、持ち分を半分に減らしてしまう。一方、所有権がない、言いがかりをつけた人は、周囲の「平等」感の支援のおかげで、まんまと半分の分け前を得られることになる。

事態はモノに限らない

これが例えば不動産や店頭に並ぶ商品などの物品ならば、このような不条理は通らない。新築住宅の前で突然「この家は私のものだ」と大騒ぎしても無視されるだけ。挙句の果てに警察に連行され、事情聴取を受けることになるというオチが良いところ。

しかしこれが上記の図例のように、子供の間における、はたから見れば所有権があいまいなお菓子のやり取りだったらどうだろうか。さらには所有権のような事実関係が物理的、法律の上で立ち位置が明確でない、世の中の出来事や事象、論調だったらどうだろうか。

本来事実であるはずの、正しいはずの物事が、「バランス感覚」「平等」の名のもとに、事実でない、正しくない物事と同列視され、第三者からは同じように扱われてしまったら……。その場合、本来確からしさでは「1」を持つ物事は「1/2」扱いされて、同時に虚実に近い、確からしさでは「ほぼゼロ」を持つ物事が「1/2」の評価を得てしまうことになる。

具体的事例はつい先日にもあった

今件はいわば「悪平等」の結果による事態といえる。実はこの切り口は案外多くの事例で見受けられる。昨今ではその疑わしさ、非科学的表現で問題視された「美味しんぼ」の3週に渡る短期集中連載「福島の真実編」で、その最後の回においてスピリッツ編集部が行った、「ご批判とご意見」の列挙とそれに関わる「編集部の見解」が該当する。

そのコーナーでは、作品に対する批判や意見という大義名分のもとに、「正当な研究や論調をしている先生諸氏」と、「非科学的、あるいは妄言的、さらには自らの非論理的な主義主張を広めるために事象を悪用している諸氏」とを同一のテーブルに並べ、同じ確からしさにあるかのように表記してしまった。さらにそれに続く「編集部の見解」では、諸氏の語る内容の事実性、その背景にあるものを無視し、まさに「バランス感覚」的なセンスのみで平等に扱ってしまう。結果として読み手に「これらの人たちの語ることは皆同レベルのもの」という印象を与えてしまうこととなった。いや実際、編集部側はそれを意図しての編集掲載をしたのだろう。まさに「平等」という名の悪平等において。

これは「正当な研究や論調をしている先生諸氏」にすれば失礼極まりない話に他ならない。数々の賞を受賞した実力派の画家と、犯罪に加担している贋作専門家を同じ場に招待し、第三者に「こちらが今話題の画家の先生方です」と紹介を受けたら、前者の画家にどれほどの失礼を与え、事実をよじ曲げる印象を第三者に与えるか、想像すれば容易に理解できよう。

この切り口では、上の解説図版において「平等、公平」などと語る側も、実は言いがかりをつけるサイドにあるという事例も多々ある。むしろ語る側、場を用意する側が主役となり、ゼロの立場にある味方の立ち位置を引き上げるために、「バランス感覚」という大義名分を悪用する次第である。

平等と悪平等の境目

「このような意見もある」「こういった話も見聞きされる」。それ自体は事実かもしれないが、その内容が事実とは限らない。呈された話の内容すべてが事実ではない。その点に注意をしないと、「悪平等」のワナにはまり、事実への評価を落とすだけでなく、ウソ偽りの内容に評価を与えてしまうことになる。

丹精込めて創られた果汁100%のジュースAと、合成着色料だけで作られた粗悪品のジュースB。後者Bを売る人が「どちらもジュースだから」と両方を混ぜ合わせて差し出したら、あなたはどう思うだろうか。あなたは知らず知らずのうちに、そのジュースを飲み、AとB双方に同じような評価を下してしまっているかもしれないのだ。

権威や化けの皮をかぶった平等感にまどわされることなく、正しい平等感を見に付け、ゼロはゼロだと見抜けるようにしてほしいものである。

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「グラフ化してみる」「さぐる」ジャーナブロガー 検証・解説者

ニュースサイト「ガベージニュース」管理人。3級ファイナンシャル・プランニング技能士(国家資格)。経済・社会情勢分野を中心に、官公庁発表情報をはじめ多彩な情報を多視点から俯瞰、グラフ化、さらには複数要件を組み合わせ・照らし合わせ、社会の鼓動を聴ける解説を行っています。過去の経歴を元に、軍事や歴史、携帯電話を中心としたデジタル系にも領域を広げることもあります。

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