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場数と見方。

羽田野健技能習得コンサルタント/臨床心理士/公認心理師/合同会社ネス

「場数を踏むしかない」。経験の浅い人が、しばしば言われる言葉です。 

しかし、同じくらい場数をこなしているようにみえるのに、大きく変わっていく人もいれば、あまり変わらない人もいます。

なぜでしょうか。

いろいろな理由があるでしょうが、その中で、場数を踏みながら、どんな「見方」するのかは大事だと思っています。

あるメジャーリーグ情報の番組で、解説の田口壮さんが、田中将大投手とバッテリーを組む捕手について、次のようなコメントをしていました。「低めの変化球を捕るとき、重心をさげるために、毎回ちっちゃく飛び上がる。それで低めの変化球が来るとわかる」。それ以後気になって、その捕手の足の動きに注目してみました。たしかに、飛び上がったあとは、低めの変化球がくるように感じられました。

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気になって、その捕手が他の投手を受けるときもみてみました。やっぱり飛び上がります。それまで漫然とみていた捕手の足が、俄然、意味を持ち始めました。そこから興味が広がり、「他の捕手の足の動きはどうだろう」とみるようになりました。そして野球中継がそれまでよりも楽しくなりました。この「飛び上がると低めの変化球」という視点が、素人の私にとってまさに新しい見方でした。「野球をみる」という場数の踏みかたが、「見方」で変わったのです。

やってる人、できる人にとって当たり前の「見方」が、未経験者人や初心者にとっては、どう頭をひねっても出てこないものです。観葉植物を育て始めた頃、根腐れさせまくっていました。しかし、経験のある方に「土に割り箸をさして、水の残り具合をみる」という見方を教えてもらってから、水をやりすぎなくなりました。これも実はネットでちょっと調べればすぐ出てくる「見方」なのですが、恥ずかしい話、想像すらしていませんでした。そもそも水やりがそんなに難しいとも思っていませんでした。だとすると、いま持っている知識も、「見方」に関係しそうです。

いろいろな分野で、いわゆる上級者や熟練の人と、初級者や経験の浅い人では、同じものを見ても、「見方」が異なることが報告されています。たとえば、スポーツ心理学の研究によれば、熟練した打者は、経験の浅い打者と比べて視線を動かす範囲が狭く、今の動きを追うよりも先を予測して視線を動かすことが分かっています。また、職業技能の点ではたとえば、ベテラン看護師と新人看護師では、看護行為を見たときの脳活動が違うそうです。経験が重なり、知識が重なることで、見る範囲や注目点などが変わっていくのでしょう。

それでは、熟練の人は、自分の「見方」をそのまま伝えればよいのでしょうか。

ある研究によれば、上級者がやっている方法をそのまま初級者に伝えると、むしろ初級者は上手くできなくなる場合があるそうです。上級者の見方は、その人がそれまで何千、何万回と繰返してきたことが濃縮された、とても濃度の高いものだと思います。

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その過程で、意識せず、感覚的にわかるようになったこと。それを、初心者の水準に合わせて、わかりやすい言葉で伝えるのは、結構大変なことだと思います。だからこそ、「捕手の足の動き」という野球を見る人なら誰でもわかる水準の言葉で、「ボールをそらさないために」というわかりやすい理由とともに伝えられた田口さんの解説は、私にとってとても腑に落ちるものでした。理由が、「見方」と私の浅い知識と今見ているものの橋渡しをしてくれたのだと思います。

いわなくても、場数を踏む中で、自分で考えて気づく人がいます。また、いっても、残念ながらその時点では気づかない人もいるかもしれません。しかし、その間に、いわれなければ気づかないけど、いわれたことがきっかけでいろいろな気づきを得ていく人たちがるように思います。この間の層の人たちに、どんな「見方」を、どんな言葉で伝えると、良い場数の踏み方をしてもらえるのか。これも、知識や技術を教えるときの醍醐味なんだと感じています。

技能習得コンサルタント/臨床心理士/公認心理師/合同会社ネス

技能の習得・継承を支援しています。記憶の働き、特にワーキングメモリと認知負荷に注目して、技能の習得を目指す人が、常に最適な訓練負荷の中で上達を目指せるよう、社内環境作りを支援しています。主なフィールドは、技能五輪、職業技能訓練、若者の就労、社会人の適応スキルです。

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