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技能五輪選手にみる才能と努力の境界の曖昧さ

羽田野健技能習得コンサルタント/臨床心理士/公認心理師/合同会社ネス

10月22日から山形県で、技能五輪全国大会が開催されます。技能五輪は概ね23歳以下の若手技能者が技能を競う大会です。トップを争う選手は、ベテランの技能者でも15時間くらいかかる作業を、5時間程度で終えるほど、能力の高い人たちです。

私は数年前から技能を発揮するための考えや感情コントロールなどのトレーニングに携わっていますが、そうした能力の高い選手に対して常に思うのは、元々の才能なのか、それとも努力した結果なのか、ということです。

たくさん訓練しても成果につながらない選手がいる一方で、当初は中々伸びなかったもののその後トップを争うレベルになる選手もいます。また、1年目の段階で「これは凄い」と思った選手が、最初の期待ほど伸びなかった、というケースもあります。

才能か努力かというテーマについて、熟達化の研究では、とてもざっくり言えば「才能は無関係ではないが、能力は努力によって創られる」と考えるようです。

その根拠として、天才や一流と呼ばれている人たちの大多数が、訓練を始める前はごく普通の幼少期を過ごしていること(教育心理学者のベンジャミン・ブルーム)、そうした人たちが平均的な人と比べて膨大な時間を、強度の高い練習に注いでいること(熟達化研究の第一人者、アンダース・エリクソン)、天才と呼ばれる人たち自身が、自分が成し遂げたことは努力の結果だと言っていること(文末の参考文献1ではNBAで天才シューターと呼ばれたレイ・アレンの例が引用されている)などがあげられています。

さらに、近年の研究では、絶対音感のような幼少期ではないと身につかないとされた能力が、幼少期を過ぎても訓練によってある程度獲得できる、という報告もあります。こうした知見を踏まえると、努力で実現できることの範囲は思っているよりもずっと広く、才能と努力の境界は非常に曖昧な印象です。

では努力すれば誰でも天才のようなになるのでしょうか。

先述のエリクソンは、膨大な練習量に加え、努力の仕方についても指摘しています。今の自分できることを少し上回るような高い強度で練習しているか、適切なフィードバックを指導者から得られているか、具体的な改善点にフォーカスしているか、などです。これらの要素を含む練習は、限界トレーニング(deliberative practice:この言葉の訳語は色々ありますが、この記事では限界トレーニングとします)と呼ばれます。エリクソンは、熟達者と平均的な人の差を分けるのは、限界トレーニングを長期に渡って続けられるかだ、と考えています。

限界トレーニングの考え方は、技能五輪選手にも当てはまります。

例えば、速く作業することを目指すとします。どの選手も、そのためにたくさん訓練しますが、伸びやすい選手と伸びにくい選手を比べてみると、「何を意図して訓練しているのか」、言い換えると、練習のフォーカスに違いがあります。伸びにくい選手の場合、漠然と「速くする」ことにフォーカスしています。

フォーカスの違いのイメージ
フォーカスの違いのイメージ

一方、伸びやすい選手は、何が速さにつながるかを、具体的に把握していきます。例えば、速くなるとはどの場面で、どう体や頭を使っていることなのかを考え、そのために必要な動線、腕の軌道、指の動き、道具の使い方、その時考えること、考えないことなどを定義していきます。そして目指すレベルに到達したら、次のレベルに向けてフォーカスの対象を変えていきます。

訓練の強度にも差があります。

ある程度まで技能が身につくと、たくさん訓練しているのに、そこから更に伸びる選手と、そうではない選手が出てきます。伸びる選手は、例えば10分でできる作業を9分や8分でやれるか試します。そうすると、失敗するリスク高まります。しかし、失敗からしか得られない情報があり、上達にはそれが必要なため、失敗自体も一つの成果と言えます。こうして、失敗するリスクと交換で、成長する可能性を手に入れるのです。一方、そうではない選手は、安定して10分で作業できることを優先します。これ自体、失敗するリスクが減るのでもちろん悪いことではありませんが、上達の可能性も制限されます。

練習の強度のイメージ
練習の強度のイメージ

では、練習の強度は高ければ高い程よいのでしょうか?

何事にも限度があるように、練習の強度にも限度があります。というのも、長い時間高い負荷をかけ続けると、燃え尽きなどにつながり、学習効果も低くなるからです。

実際に、技能五輪大会が近づくと、「今のままではダメだ」と焦り、限界をはるかに上回る負荷を自分にかける選手もいます。その結果燃え尽きてしまい、残念ながら本来持っている力を発揮できないこともあります。

そもそも、生まれながらの特性や属性に違いがあるのは事実ですし、努力は魔法ではないので、なんでも努力だけで解決するわけではないでしょう。

その一方で、努力によって「人生が変わった」と表現する選手がいるのも事実です。努力を重ねていくと、「才能がある人しかたどり着けないと思っていた」レベルに能力が達することがあるからです。そこに達した人を他の人が見ると、その能力を才能と表現するのかもしれません。しかし本人は、才能ではなく努力の積み重ねとわかっています。そういう意味で、才能と努力の境界線は曖昧で、これは努力の結果、これは才能と一概に言いにくいものです。

そういう意味で、才能と努力の境界線は常に揺らいでいます。

だとすれば、自分には才能が無いと思ったり、才能が無いと人に言われたとしても、努力の限界を理解しつつ、フォーカスと強度を調整し続ければ、思い描いた能力に達することも可能です。そうした努力が、自分が持つ能力の境界線を広げ、才能を創っていくのではないでしょうか。

参考にした文献

1 超一流になるのは才能か努力か? アンダース・エリクソンら著 文藝春秋

2 「やればできる!」の研究-能力を開花させるマインドセットの力 キャロル・S・ドゥエック著 草思社

技能習得コンサルタント/臨床心理士/公認心理師/合同会社ネス

技能の習得・継承を支援しています。記憶の働き、特にワーキングメモリと認知負荷に注目して、技能の習得を目指す人が、常に最適な訓練負荷の中で上達を目指せるよう、社内環境作りを支援しています。主なフィールドは、技能五輪、職業技能訓練、若者の就労、社会人の適応スキルです。

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