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競泳五輪メダリスト、松田丈志の苦悩・・・復活への光

萩原智子シドニー五輪競泳日本代表

アテネ、北京、ロンドン五輪と3大会連続出場し、北京、ロンドン五輪と、200mバタフライで銅メダルを獲得した松田丈志(コスモス薬品)。ロンドン五輪では、最終日の4×100mメドレーリレーで、第3泳者のバタフライとしてチームに貢献し、銀メダルを獲得した。

20歳で、初出場を果たしたアテネ五輪。若手だと言われてきた彼は、来月29歳を迎え、日本代表のキャプテンとして、チームを引っ張る存在となった。

そんな大ベテランの松田丈志が、現在、水泳人生の中で、一番とも言える大きな壁にぶつかっている。どんなコンディションでも、国内大会では、表彰台の真ん中にいた彼が、今シーズンは、まだ国内タイトルを獲得していない。

五輪後は、メダリストの立場で、イベントや挨拶回りで多忙を極め、練習開始時期が遅れてしまったこともある。ロンドン五輪が最後になるかもしれないという気持ちで挑んでいたこともあり、次への気持ちの切り替えが難しく、時間を要した。

「もう一度、世界を」と平井コーチに師事

松田自身の気持ちの整理がついた昨年12月、「もう一度、世界一を目指す」と強い意志で、現役続行を表明。24年に渡る師弟関係であった久世由美子コーチの元を卒業し、平泳ぎの北島康介(アクエリアス)を2大会連続2冠に導いた平井伯昌ヘッドコーチに師事することになった。

現在、「チーム平井」には、北島康介をはじめ、200m平泳ぎ世界記録保持者である山口観弘(東洋大学)やロンドン五輪銅メダリストの寺川綾(ミズノ)、上田春佳(キッコーマン)、加藤ゆか(東京SC)、萩野公介(東洋大学)が在籍。24年間、マンツーマン指導を受けてきた松田にとっては、大きな環境の変化となった。

昨年末から、4月の日本選手権で史上初の5冠を達成した萩野と切磋琢磨しながら、練習に励んでいる。最高の練習環境で、大ベテランの飛躍を期待していたが、今シーズン、思うような結果に結び付いていないのが現状だ。

フォーム改革の難しさ

先にも書いたように、五輪後の忙しさや練習開始の遅れなどの影響があるのは言うまでもない。ロンドン五輪の個人メダリストは、今年の世界選手権代表に内定したこともあり、開幕の7月までに調子を上げられれば・・・松田なら、心配ないと思っていた。しかし今回の不調は、練習量の問題だけではなく、バタフライのフォームの違和感からくるものだった。

新しい環境で、フォーム改革にチャレンジするも、長年、体に慣れ親しんできた形に変化を加えることは、とても大変な作業になる。私も現役時代にフォーム改革をした際、良い感覚が掴めず、イライラしたり、悩んでしまったりで、練習に集中できない時期があった。結局、フォームを以前のものに戻して、強化をした経験がある。

松田は、4月日本選手権でも、フォームが固まらないままレースに出場し、「迷いながら泳いでしまった」と話していた。どんなに経験を積んできたベテランであっても、泳ぎのフォームが定まらないのは、苦しい。感覚が悪い中で泳いでいると、レースに集中することが出来ず、消化不良のレースになってしまう。日本選手権から、1か月後の5月24~26日に開催された「JAPAN OPEN 2013」でも、松田は、迷いの中にいた。

競技人生で一番と言ってもいい大きな壁にぶつかっている彼自身も、「一番、苦しいです。泳ぎに対する迷いが、レース中の泳ぎにも出ている。今までは、マンツーマンの練習で、自分自身、思うようにやってきた。今は、チームなので、そういう訳にはいかない。でも、いい刺激も貰っているので・・・。」と苦しい胸の内を話してくれた。確かに、マンツーマンで24年間を過ごしてきた彼にとっては、大きな環境の変化となる。彼の言ったように、マンツーマンにも、チームにも、一長一短がある。得るものがあれば、失うものもあるだろう。しかし彼は、自分自身と戦い続け、今大会、苦しい時期を乗り越えるための術を導き出した。

新たな可能性、復活へ一筋の光

男子200mバタフライ決勝の結果は、2位。タイムは、自己ベストタイムから、遅れること約4秒。しかし彼は、このレースで一筋の光を見つけたのだ。レース直後、「タイムは悪いですが、泳ぎの感覚が掴めました。久々に泳ぎの感覚が良かった。この泳ぎで、泳ぎ込みが出来ればいいです。平井コーチとも、2010年アジア大会の時の泳ぎが一番いいのではないか?と話しています。その泳ぎに近づいてきている。」と前向きに話した。そして「平井コーチとも、もっとコミュニケーションをとりたい。」と語った彼の顔は、すでに夏に向かっていた。

久世コーチとの24年間に渡る二人三脚で掴んだ経験と、「チーム平井」と言う新天地でしか得ることの出来ない刺激。それらが融合し始めた今、松田丈志の新たな可能性が生まれ始めている。

世界選手権まで、あと2か月。今大会、迷走中の彼が掴んだ一筋の光。この光が、どん底の彼に希望を与えたことは間違いない。選手は、ほんの少しのきっかけで、大きく変われる。苦しんだ分だけ、大きく羽ばたけるチャンスでもある。夏には、「復活」した彼の笑顔が見たい。様々な経験をしてきた彼は、自分自身を信じて、突き進める力があるのだから。

シドニー五輪競泳日本代表

1980年山梨県生まれ。元競泳日本代表、2000年シドニー五輪に出場。200m背泳ぎ4位。04年に一度引退するが、09年に復帰を果たす。日本代表に返り咲き、順調な仕上がりを見せていたが、五輪前年の11年4月に子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され手術。術後はリハビリに励みレース復帰。ロンドン五輪代表選考会では女子自由形で決勝に残り意地を見せた。現在はテレビ出演や水泳教室、講演活動などの活動を行っている。

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