差別されるマイノリティ女性にとっての「民族衣装」の意味
民主、社民両党などが提出した人種差別撤廃施策推進法案が現在、参院法務委員会で審議中だが、与党の抵抗もあって今国会会期中の成立は予断を許さない状況だ。そんななか、先日、勤務先の企業で「レイシャルハラスメント」に苦しんだ在日韓国人女性が提訴したと報じられた。
法制定は、日本が20年前に加入した国連・人種差別撤廃条約が求める義務でもある。ちょうど1年前、国連・人種差別撤廃委員会の日本政府審査が行われたが、人種差別への無策が厳しく問い質され一刻も早い対策を求める厳しい勧告を受けた。またネット上のおぞましすぎるヘイトスピーチとたたかうフリーライター、李信恵さんの裁判も提訴から1年がすぎた。いつまで国は手をこまねいているばかりで、個人がたたかわなくてはならないのか。法制定は急務だ。
論旨は多少異なるが、1年前に書いた記事を転載したい。ちなみに今回の法案提出には、この記事で言及した無所属の糸数慶子参院議員も共同提案者として名を連ねている。
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「思い出や、愛情、勇気をまとったみたい」
インターネット上のヘイトスピーチで名誉を傷付けられたとして、在日朝鮮人のフリーライター、李信恵さんが8月18日、「在特会」と同会会長、インターネットサイト「保守速報」の運営者に対する損害賠償請求訴訟を起こした。民族差別と女性差別に満ちたおぞましい言葉を浴びせられ続けてきた李さんが、「子どもたちの未来のためにも抑止力に」と提訴したものだ。
同日、記者会見した李さんは、水色のチョゴリと白いチマをまとっていた。素材は上下ともチュールレースで、在日社会で70年代後半くらいまで流行ったもの。ただしデザインは最近の流行の、クラシックなスタイルなところが目を引いた。「50年ほど前のもの。オモニ(母)がアボジ(父)と結婚する時に作ってもらったものを、仕立て直してもらった。中学生のときに日本名から民族名に変え、直後の文化祭ではこのチョゴリを着て踊った。大事な場面なので、またこのチョゴリを着たいと思った。思い出や、愛情、勇気をまとったみたい」だったと語る。
20~21日には、ジュネーブで国連・人種差別撤廃委員会の日本政府審査が行われた。ヘイトスピーチや朝鮮学校差別などで、厳しい指摘が相次いだ審査を傍聴していた在日本朝鮮人人権協会代表3人のうち2人の女性は、やはりチマ・チョゴリ姿だった。米軍飛行場の辺野古移設は琉球人差別だと訴えた糸数慶子参院議員も琉装姿だった。
被差別の状況で、「武器」にも「お守り」にも
なぜ女性だけが民族性を衣装で主張しなくてはいけないのかという疑問は私にもある。だが、民族・女性差別が厳然と存在する状況では、民族衣装がマイノリティ女性にとって訴えのための武器となり、自らを鼓舞するお守りのようなものになりうる。このようなときの衣装は、メッセージを雄弁に伝えるメディアだ。李さんの会見写真を目にした瞬間、思わず涙が出た。
「『チマ・チョゴリ切り裂き事件』への対策などを理由に99年に第二制服が登場し、とくに2002年の日朝首脳会談における拉致認定後、学校以外の場でチマ・チョゴリ制服を見かけることはほとんどなくなった――。本書の出版以来、私はこのように書き続けてきた。だが皮肉なもので、ここ数年、『無償化』除外をめぐる集会や署名運動などで、チマ・チョゴリ制服を着た女子生徒が『活躍』する姿や、それが象徴として『活用』され、『注目』される様子を、以前より目にすることが増えたような印象もある。このことをどうとらえるべきなのか。ここで答えは出さないが、また新たな意味を持ってしまっているのだろうとは、思う」
いささか手前味噌だが、近く発売される拙著『チマ・チョゴリ制服の民族誌』電子版の「電子版あとがき」から一部引用した。モノはモノそれ自体が意味を持つのではない。そこに意味を付与するのはその時どきの社会や人びとの意識だ。目に見えないそれを見きわめ解き明かすのが私の仕事でもある。ご一読いただけるとありがたい。
(『週刊金曜日』2014年9月5日号「メディアウォッチング」)