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「美」を愛でることと「醜」を憎むことは違う?――「劣化」という言葉とルッキズム

韓東賢日本映画大学教員(社会学)

「ハーフってなんで劣化するのが早いんでしょうね」

東京大学大学院生で社会学者、コメンテイターとして人気の古市憲寿さんがテレビのトークバラエティ番組で、タレントのウエンツ瑛士さんに対し、「ハーフってなんで劣化すんのが早いんでしょうね」と発言したことが大きな批判を浴びている。これを受けたウエンツさんがなかば冗談めかして「なんだよ!」、「ちょっといいですか? 初めて言わせてもらいますが、なんだよ!」と怒ってみせると、「ウエンツさんのことじゃなくて、一般的になんか、劣化早くないですか」と、さらにたたみかけた。

まずこの発言が、その人種的な出自、身体を本質化することによって何らかの差異について言及したものであり、かつそれが「(外見、容姿の)劣化」というネガティブなものであることからも、意図的であってもなくても、レイシズムであるという批判は免れえない(念のために付け加えると、たとえそれがポジティブなものであっても本質的な他者化、対象化であり、差別的だと指摘されうることは指摘しておきたい)。

また日本社会において「ハーフ」という言葉そのものとそれが指し示すものがはらむ問題もある。当事者が自称したり、またテレビ的な俗語として「ハーフタレント」、「ハーフ芸人」といった言葉が使われることは少なくないが、「単一民族神話」が根強いエスニック・ネイションであり、多様性に非寛容な戦後の日本社会においてそこにステレオタイプやネガティブな価値が付与されてきた経緯があることから近年、とくに運動や学問の場ではポジティブな意味を込めた「ダブル」という呼称が一般化しつつあり、私もこちらを採用している(とはいえ、その呼称にも議論があるのは承知している)。

本質的な差異化にもとづく他者化、対象化を、こうした経緯を持つ呼称を用いて行ったわけで(それも学問の場においてこうした議論の蓄積がある「社会学」というディシプリンの専門家であることを肩書に掲げている人が)、それが差別だと問題視され、批判されるのも当然のことだろう。

「ルッキズム」の闇や畏れ、痛みを知っている人たち

さらに考えてみたいのは、近年の流行語とも言える「劣化」という言葉をめぐる、「ルッキズム」の問題だ。劣化とは本来、「モノ」の品質や性能の低下に対して使われる言葉である。本来、「ヒト」の場合は老化が正しいが、主に「容姿の衰え」を指す侮蔑的かつ揶揄的な俗語としてネットを中心に広がっていった。また最近、よく聞くようになった「ルッキズム」という言葉は、外見至上主義と訳されることもあるが、ほめてもけなしても、いずれにしても容姿だけを取り上げてその人を価値づけることによって、人を他者化、対象化することである。

「ハーフって劣化が早い」という発言は、「劣化」という本来は人に対して用いない言葉を使って容姿に対してネガティブな評価を与えようとしているという点で当然ながらルッキズムであり、また加齢をネガティブにとらえるエイジズムだとも批判されている。

ただ今回、ネット上の反応を見ていて気づいたことがある。私のコラムを愛読してくれている韓国アイドル好きな女性に、今回の発言に批判的な人が多かったことだ。(前提として、ここでの「美醜」は社会的な影響のもとにあるものであってもさしあたり個々人の主観的なものだとしておく)おそらく彼女たちの多くは、「美」を愛でてはいるが、「醜」を憎んではいないのではないか。

つまり、美を愛でたり尊ぶことと醜を憎んで忌み嫌うのは違うということだ。もちろん、ここで美を愛でて尊ぶこと――アイドルも人間である以上、それは他者化、対象化につながりうる。でも彼女たちは、そのルッキズムの闇、畏れ、痛みを知っているように思う。

この番組内でも古市さんに対し、「劣化ってモノに対する言葉な感じしますよね。人ではなく」とまっとうな批判を加えたのは、アイドルユニットAKB48の指原莉乃さんだった。女性でありアイドルを生業とする指原さんはその最たるものとも言えるが、そうでなくても、女性たちは(相対的に男性よりも)日頃からルッキズムによる価値づけ、評価の対象として他者化にさらされている。そのような日々の経験の蓄積が彼女たちに、ルッキズムの闇、畏れ、痛みを知らしめているのではないだろうか。

一方でこの社会で「ハーフ」と名指され、またタレントという職業に就いているウエンツさんも、対象化、他者化の痛みを誰よりも知っているのだろう。冒頭で紹介した「返し」には、それが表れているように感じた。

いずれにせよ今回、私が目の当たりにしたのは、振る舞いレベルでのテレビという場への過剰適応だろうがサービスだろうが芸だろうがお約束だろうが確信犯だろうが何だろうが、ネガティブなルッキズムへの執着が、レイシズムと結びついてしまうというひとつの事例だ。人の失敗から学ぶべきことは少なくない。

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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