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「朝鮮・韓国籍」分離集計の狙いとは?――3月公表の2015年末在留外国人統計から

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
昨年3月の法務省公表資料による2014年末統計。「韓国・朝鮮」はひとつでカウント

■「誤解」なのに、「応じた」って……?

朝日新聞デジタル(3月5日05時00分)によると、「政府は、日本に在留する外国人数の『韓国・朝鮮』の集計について、『韓国』と『朝鮮』を分離して公表する方針を固め」、「今月中旬にも公表する2015年末在留外国人数から変更する」という。「政府はこれまで区別せずに集計・公表してきたが、一部自民党議員らの強い求めに応じた形」らしい。

記事はこのように事実関係について報じたあと、以下のように続く。

在留外国人を「韓国・朝鮮」として集計してきたのは、韓国と北朝鮮の分断以前から日本に暮らす人もいるためだ。朝鮮半島出身者で韓国籍などを持たない人の場合、在留カードには「朝鮮」と記載する。ここには韓国地域内の出身者も含まれるが、政府は「北朝鮮」と誤解されるおそれがあるとし、1970年代から区別なく集計してきた。14年末時点の「韓国・朝鮮」は50万1230人。

しかし、最近になって自民党議員らが「日本に住む『北朝鮮国籍者』が実数以上に大きく見える」と主張し、分離公表を求めていた。

出典:「在留外国人「韓国・朝鮮籍」を分離集計へ 政府、自民議員要求受け」朝日新聞デジタル(3月5日05時00分)

■非常にわかりにくい記事

ひとことで言うと、非常にわかりにくい記事である。

引用した最初の段落では、この記事の背景となる事実――政府が歴史的経緯にもとづき在留外国人統計で韓国籍と朝鮮籍をひとつのグループとして集計してきた理由が説明されている。次の、そして記事を締めくくる最後の段落では、それが分離集計になる理由の説明として、議員らの要求とその主張内容という事実が提示されている。

だが、後者で示された自民党議員らの主張は前者で示された政府の立場に反している。反しているどころか、「誤解されるおそれがある」としていた誤解そのものだ。にもかかわらず記事によると、政府はこの誤解にもとづく要求を受け入れ分離集計する方針にしたというのだ。

前者と後者は「しかし」という逆接の接続詞で結ばれてはいるものの、それ以上の説明がないため、なぜ政府がその立場に反する自民党議員の要求を受け入れたのかがまったくわからない。さらに前者が「事実」、後者が(主張内容という事実ではあっても)「誤解」であるにもかかわらず何の注釈もなく並べてあるため、後者にも妥当性があるように受け止められかねない。

「事実」と「事実」を重ね、その間に相反があるから「しかし」で結びました。――そう言われたらそれは「間違い」ではないのかもしれない。だが、これでは誤解を広めることになってしまわないか。いや、もしかすると政府が自民党議員の誤解にもとづく要求を受け入れたということは、立場を変更したということなのだろうか。

いずれにせよこの記事によると、「今月中旬にも公表する2015年末在留外国人数から変更する」方針は固まったという。ここから読み取れることについていくつか述べたい。

■植民地時代をルーツとする在日コリアンの歴史的経緯

まずはそもそもの歴史的経緯について振り返ってみよう。現在、在留外国人統計で「韓国・朝鮮」とカウントされる人々の過半数(おおよそ36万人ほど)を占める、在日コリアン、在日朝鮮人、在日韓国人などと呼ばれる人々のルーツは、1910年の日韓併合にさかのぼる(ちなみに、今では日本国籍者も35万人ほどいる)。

植民地支配のためにそれまでの生活基盤が奪われたり激変し、生きる糧を求めて流れてきたり、戦争が激化すると不足した労働力を補うために動員されたりするなかで、日韓併合時は数百人だった在日朝鮮人は、1945年の日本敗戦時には約240万人になっていた。ちなみに、地理的な距離の近さからその大多数は現在の韓国が位置する朝鮮半島南部の出身者だ。

その後、多くが帰国するが、本国の政情不安や生活の基盤をすでに築いていたこと等により、50数万人が帰国を見合わせた。1950年の朝鮮戦争勃発により、帰国の道はさらに遠のいた。これが在日コリアンのルーツだ。

■「国籍」を付与することができるのは「当該国」だけ

では彼らの「国籍」はどうなっていたのか。この問題を考えるにあたってまず、ある人に「国籍」を付与することができるのは、当然ながら「その当該国だけ」だという基本中の基本を踏まえておいてほしい。

1910年の日韓併合以来、戸籍上の区別はあったものの、「日本国籍」となっていた在日朝鮮人は戦後、1947年の外国人登録令施行に際して「当分の間、外国人とみなす」とされ、登録の対象となった。外国人登録の「国籍」欄には、出身地域である朝鮮半島を表わすものとして「朝鮮」と記載された(植民地時代の「外地戸籍」が引き継がれたかたちだ)。

こうして今にいたる「朝鮮籍」が生まれた。朝鮮半島に国家が成立する前の記載なので、そもそも国籍を示しえない。つまり、日本における在留外国人管理上の「記号」にすぎない。

■ルーツ示す記号の「朝鮮籍」、国籍化した「韓国籍」

日本政府はその後、1952年のサンフランシスコ講和条約発効に際し、旧植民地出身者の日本国籍喪失を一方的に宣言した。在日朝鮮人にとってはそれまで持っていた日本国籍の代わりになる「外国籍」がないという状態となり、「朝鮮籍」は、矛盾するようだがいわば無国籍同然の「外国籍」となった(1948年に建国した大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国も講和条約の当事国ではなく、当時、日本と国交もなかった)。

その後、1950年から希望者については記載を「韓国」に変更することが認められるようになった。ただし、くどいようだが国籍を付与できるのは当該国家のみなので、それが「国籍」として実質化していくのは1965年の日韓条約締結後である。この際、「韓国籍」者にのみ永住権が認められることになったため韓国籍取得者が増加した。当時、在日コリアンの半数の約30万人が変更したとされる。

「韓国籍」への変更には韓国の在外国民登録がともなう(さらに旅券取得のためには戸籍が必要)。そのため現在、特別永住者証明書や在留カードに記載されている、つまり、日本の在留外国人管理制度上の「韓国籍」は韓国の国籍を示しているとみなすことができる。

だが、これまで述べたように「朝鮮籍」は北朝鮮の国籍ではない。植民地時代の朝鮮半島というエリアにルーツがあることを示す、「記号」である。そして単に、1947年の外国人登録令以来変更しなかった人とその子孫が、今も「朝鮮籍」なわけだ。理由は様々であろう。その内心を知る由はない。

■物理的にも制度的にも責任負うべきは日本政府

日本における「朝鮮籍」は北朝鮮国籍ではないが、無国籍同然のいわばある種のブラックボックスであることが、韓国、北朝鮮、そして日本の各国政府が、いずれも「都合よく」事実上の「北朝鮮」籍とみなせる余地となっている。韓国政府は入国に制限を加え(2000年の南北共同宣言から2008年の政権交代までは一時的に緩和)、北朝鮮政府は自国の海外公民とみなしている(朝鮮総連を通じて旅券の発給も行っている)。

とくに韓国側のスタンスは南北分断による悲劇だと言えるが、この件でもっとも責任が重いのは日本政府だろう。物理的にも制度的にも「朝鮮籍」の人が存在するという事態をもたらしたその張本人が、事実上の無国籍扱いで放置していることだけでそもそも不当なのだ。朝鮮籍者が自由に国外を移動できる旅券を発給すべきだとしたら、それは日本政府だろう。

そして今回の分離集計の方針である。ここからうかがえるのは、政府与党が「朝鮮籍」者を事実上の「北朝鮮」籍として扱おうとしているという疑いだ。最近はすっかり鳴りを潜めたものの、90年代に入って外国人の地方参政権法案や国籍取得緩和法案が検討されるたびに議論になり、その実現のための「ネック」になってきたのは、北朝鮮との関係を口実にした「朝鮮籍」者の扱いだった。

冒頭で引用した朝日の記事にあるような歴史的経緯から、韓国籍・朝鮮籍をわけて運用するのは困難だ(後述するが、今や在留資格にも違いはない)。にもかかわらず日本政府としては、北朝鮮とのつながりを公的に確認することはできないものの(国交がないし、国籍ではないのだから)、事実上、そして内心上、つながりがある人がいる可能性もある「朝鮮籍」者を、同じ扱いにするわけにはいかないのだろう。

■2000年代に入り露骨になっている朝鮮学校外し

同じような構造を持つのが、近年の朝鮮学校に対する処遇である。1960~70年代に各種学校の認可を受けた後、法制度上は他の外国人学校と区別するのが困難な朝鮮学校を排除するため、日本政府は各種学校を丸ごと相対的に格下げするという制度設計を行った。だが2003年の外国人学校に対する大学受験資格付与のプロセスにおいては、朝鮮学校外しが画策された(結局は世論に押され志望者ごとの「個別認定」を認めるというかたちになったものの、各大学の裁量に任されている)。

また民主党政権が2010年度から実施した「高校無償化」制度においては、法的には各種学校であることから無条件で対象になるはずだった朝鮮学校への適用を政治的に引き延ばし続け、2013年に自民党が執権すると規定そのものを強引に改定して朝鮮学校を正式に除外した(現在、全国5か所の朝鮮学校が国を相手取り訴訟中だ)。

政府の対応と先を争うかのようにこの間、70年代から各地方自治体が独自に支給するようになった各種名目の教育補助金についても、2000年代に入り、北朝鮮に対する「国民感情」や「市民感情」、果ては国連の各人権機関が朝鮮学校差別の是正と民族教育権の保障を何度も勧告しているにもかかわらず、北朝鮮への圧力という「国際社会の流れ」を理由に掲げて朝鮮学校に対してのみ停止するという事態が相次いでいる。

今回、文科省はやはり自民党内の「声」を受け、補助金を支給している自治体への圧力を公式に加えていく方針のようだ一貫して煽り続けるメディアもある。3月6日には東京・銀座でヘイト団体が、このような政府・与党、補助金カットを決めた自治体、メディアと同じ趣旨で「朝鮮学校をぶっ潰せ!」とうたったデモを行い、対朝鮮学校だけにとどまらないありとあらゆるヘイトスピーチをまき散らした。

このヘイトデモに対しては200人もの市民らがかけつけ抗議を行ったことが救いではあるが、上も下も足並みそろえて一致し、共鳴している。まるでマッチポンプだ。

■憂慮される「誤解」の公式見解化は排除への布石か

こうした流れのなかで、「日本に住む『北朝鮮国籍者』が実数以上に大きく見える」という自民党の一部議員らによる強い要望により分離集計が行われるのだとしたら、それは「朝鮮籍」をもはや「誤解」ではなく公式に「北朝鮮籍」とみなしていくということ、またその目的は、事実上の対北朝鮮「制裁」としての朝鮮籍者の排除、であるという疑いを拭えない。

2月10日、日本政府は北朝鮮に対する独自制裁として、「北朝鮮籍者の入国の原則禁止」に加え、対象者を従来より拡大した「在日北朝鮮当局職員及び当該職員が行う当局職員としての活動を補佐する立場にある者の北朝鮮を渡航先とした再入国の原則禁止」を打ち出した。朝鮮総連関係機関、関係者への弾圧も増している。

分離集計の先にあるものは何だろう。次に手がつけられるのは、みなし北朝鮮国籍者としての朝鮮籍者の、もしかすると在留資格なのではないかと筆者は憂慮している。旧植民地出身者についてはその歴史的経緯から、朝鮮・韓国籍ともに「特別永住」という在留資格が付与されている。とはいえこのかたちに一本化されて安定したものになったのは、敗戦から半世紀近くが過ぎた1991年になってからだ。

2014年10月、橋下徹・元大阪市長が「特別永住」資格を「在日特権」だと主張する在特会の当時の会長と面談した翌日、特別永住制度を見直して一般永住制度への一本化を目指すとの考えを示したことがある。排外主義団体の者ばかりか政治家がこのような提案を公言してはばからない昨今、最近の自民党内の「声」などを鑑みるに、大きな反発が予想されるすべての特別永住者ではなく、北朝鮮との関係という口実を盾に「みなし北朝鮮籍としての朝鮮籍」に切り詰めればそれは十分可能で、「国民の支持」を得ることができるだろう、と思うのは杞憂だろうか。

さて、私は「朝鮮籍」である。内心を明らかにするのは個人的な趣味ではないが、「ここで排除されながら、ここに閉じ込められている」状態に甘んじているのはなぜだろう。曲がったことが嫌いな江戸っ子だから、というのはなかば冗談だが(とはいえ私は東京生まれ東京育ちだ)、納得できないことはできない性質だから、がおそらく正解だろう。

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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