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「国籍唯一の原則」は現実的か?――蓮舫氏の「二重国籍」問題をめぐって

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
民進党代表選に出馬した蓮舫氏(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

■差別的な追及、偏狭な国家観の表れ

民進党代表選に出馬した蓮舫氏をめぐって、「国籍」問題が取りざたされている。国会議員であることから日本国籍を所有していることに間違いはないが、台湾人の父親と日本人の母親の間に生まれたダブルであることから、父親から受け継いだ台湾の「国籍」も所有した二重国籍の可能性がある、という指摘である。

これに対し蓮舫氏は6日の会見で、17歳だった1985年に父とともに東京にある台湾の代表処で台湾国籍放棄の手続きをしたと記憶しているものの言葉の問題から正確には把握しておらず、現在、台湾側に確認中だが時間がかかるかもしれないので同日、改めて国籍を放棄する書類を都内の台北駐日経済文化代表処に提出したと明らかにした。

蓮舫氏に対し、「二重国籍」の可能性を問題視するような指摘について、筆者は大きな疑問をいだく立場である。日本国籍を持っている以上そもそも何の違法性もなく、差別的で理不尽な追及だ。「単一民族神話」を前提とする偏狭な国家観、国籍観の表れだろう。

ここでは国籍制度に関する基本的な事項を踏まえながら、主に事実関係について整理してみたい。

■国によって異なる国籍付与の要件

ある人に「国籍」を付与することができるのはその当該国だけだ。国籍付与は各国の主権の問題であるため、その要件は国ごとに異なっている。要件について定める各国の国籍法には、大きくわけて血統主義と生地主義の2つの考え方がある。

血統主義は、その国の国籍を持った人から生まれた子どもにはその国籍を与えるもので、その際、どこで生まれたかは問わない。代表的なのは日本や中国、韓国などの東アジア諸国、スウェーデンやイタリア、オランダなどの欧州諸国だ。

生地主義は、その国の領域内で生まれた子どもにはその国の国籍を与えるもので、どの国籍を持った人から生まれたのかは問わない。代表的なのはアメリカやカナダ、オーストラリア、ブラジル、ペルーなどの移民国家や南米諸国だ。

とはいえほとんどの国では、たとえば日本だったら父母がともに不明の場合などの例外的なケースや、条件つきで、異なる「主義」も取り入れた折衷的な制度設計になっている。

■日本では1985年から父母両系血統主義

日本の国籍法は現在、父母両系の血統主義を採用している。つまり父母いずれかが日本国籍を所有している場合、子どもが日本国籍を取得できるということだ。とはいえ現行の国籍法が制定された1950年当時は、父系による血統主義を採用していた。つまり両親が国際結婚した子どもは、日本国籍を父親からしか受け継ぐことはできなかった。

母親からも受け継げる父母両系に変わったのは1985年だ。1981年に発効した国連・女子差別撤廃条約には、子どもの国籍に関する男女平等について定めた規定がある。それを満たして条約に加入するため、1984年に国籍法が改正され、1985年に施行された。改正の背景には、沖縄で無国籍のアメラジアンの子どもたちが増加していたという事情もあった。

蓮舫氏が父親とともに代表処に行ったとしているのが17歳のとき、1985年だったのは、おそらくこのためだ。

■出生時は父系血統主義で台湾国籍に

彼女が生まれた1967年、日本の国籍法は父系血統主義だったため日本人の母親の国籍を受け継ぐことはできなかった。そうした経緯から、彼女は父親の国籍を継承することになったのだろう。その国籍を付与するところの台湾、つまり中華民国は日本と1952年に国交回復済みだったため、それは日本でも認められた「国籍」となった。

その後、前述したように1985年から、日本の国籍法改正によって父母両系になるのだが、出生時に父母いずれかの国籍を引き継げるようになったということで、1967年生まれの蓮舫氏は対象外だ。

では彼女はどのようにして日本国籍を取得することになったのか。

■経過措置により母の国籍取得可能に

当時、改正国籍法の施行後3年間は、施行前に日本国民である母から出生した20歳未満の子どもとその子どもは、法務大臣に届け出ることによって日本国籍を取得することができるという経過措置が取られたのだ。某紙のインタビューで、「帰化」ではなく「国籍取得」だと答えていたのがこういうことなら、合点がいく。

1972年の日中国交正常化によって日本は中華民国、つまり台湾と国交を断絶した。日本における外国人登録上は「中国」という表記に統一されていたが、中華民国の国籍は日本国内では国籍として認められない。そのような状況のなか、ダブルの蓮舫氏が自分の意志であれ家族の判断であれ、経過措置というチャンスを利用して日本国籍を取得しようというのは自然な成り行きだったのではないだろうか。

■形骸化する国籍選択制度

こうして蓮舫氏は日本国籍を取得することになり、後に国会議員となる資格も得たのだと思われる。台湾国籍離脱の真偽については不明だが、もし事実なら、父親が律儀な人だったのだろう。

なぜなら国籍法改正の際、父母両系主義の採用により重国籍者の増加が見込まれるとして、重国籍者は成人後2年以内、つまり22歳までにいずれかの国籍を選択しなければならないものとする国籍選択制度を新設したからだ。これは、日本の国籍法が「国籍唯一」の原則を取っていて重国籍を許容していないためである。

だがその規定は「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」という努力義務にすぎない。重国籍者に国籍選択を呼びかける法務省のパンフレットによれば、2006年度に出生した子の100人に1人が重国籍だったというが、離脱手続きを取らない、もしくは取れない人も少なくない。

■国籍法と人々の実態がかい離

日本がいくら国籍唯一の原則を取っても、グローバル化によって国際結婚はもちろん、国際的な人の移動がさらに激しくなっているという現実があり、また冒頭で述べたように血統主義と生地主義、さらに重国籍を認めている国も多いなど、国籍法が国によって大きく異なっている以上、国籍選択制度、国籍唯一の原則は形骸化せざるをえないのが現実だ。

つまり日本の国籍法と、人々の実態の間にかい離が生じているのだ。今回の件も、そのひとつの事例と言っていいだろう。

■狭間にいる人びとの理不尽

ひとりの人間が生きている間に国境を越えた移動や出会いがあるのは今や当然のことだ。そのような越境が世代をまたぐこともある。ひとつの国のひとつの制度がひとりの人間を規定するのは困難な時代だ。

蓮舫氏の「二重国籍」の可能性について問題視する人々は、そのような状況下でもたらされた複雑な制度の壁に直面したり、その狭間で振り回されて、自らの人生の選択を迫られたり、真剣に悩んだりしたことがあるのだろうか。

しかも、そのような問題はたいてい外からやってくる。にもかかわらず、説明を迫られるのはいつも個人の側だ。

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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