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あれから46年 アポロ11号月面着陸の思い出

縣秀彦自然科学研究機構 国立天文台 准教授
「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」月面の足跡(写真:アフロ)

私は毎年この時期になると思い出すことがあります。小学校3年生の時、今から46年ほど前の、アポロの月着陸です。

ニール・アームストロング船長、バズ・オルドリン操縦士、マイケル・コリンズ操縦士の3名の宇宙飛行士を乗せたアポロ11号は、1969年7月16日にフロリダのケネディ宇宙センターからサターンV型ロケットで打ち上げられ、日本時間で7月21日の朝5時17分40秒に月面着陸に成功しました。サターンV型ロケットは30階建てのビルのような大きさで全長110m、重さ3千トンという史上最大のロケットでした。

アポロ11号は、地球を周回したあと、月に向かいますが、司令船と着陸船から成り立っていて月着陸の際には分離する仕組みでした。司令船にはコリンズ操縦士が残り、アームストロング船長とオルドリン操縦士が着陸船で月面着陸。二人が、いよいよ月面を歩いたのが、日本時間7月21日 午前11時56分のことでした。

このようすは、全世界に月から中継され、約4億人の人が固唾を飲んでテレビ画面を見守ったそうです。月面に着陸船のはしごをつたって降りる姿と、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」というあまりにも有名なアームストロング船長の言葉に世界中が沸きました。

月面に降り立つ宇宙飛行士 クレジット:NASA
月面に降り立つ宇宙飛行士 クレジット:NASA

この時、私は長野県北安曇郡八坂村の八坂第一小学校の理科室で、理科の先生と希望した何人かの児童と一緒にその様子を見ていました。当時は真空管式の白黒テレビです。電源スイッチは、手前に引っ張るタイプで、電源を入れて画像がブラウン管に現れるまでに数分間もかかる、今ではとても懐かしいテレビです。

多分、小3の私にとっては中継のようすがよく理解できなかったのでしょう。画面も暗くて分かり難かったことと思います。不思議なことに月からの生中継映像の記憶はきちんと残っていないのですが、そのスイッチを引いて画像が現れるまでのドキドキ感と、多分、終業式の日だったのでしょうか、住んでいる集落から学校に残ってこの中継を見たのが私のみだったので、梅雨明けの眩しく強い太陽の下、昼過ぎにお腹を空かせて、一人とぼとぼと30分くらいかけて山道を自宅まで戻った時の風景を鮮明に今でも覚えています。帰り道の間、ずっとその興奮が収まらないのでしょう。大きくなったら自分も月に行くに違いないと当時は確信していました。

20年近くも前でしょうか。一時期、都市伝説のようにアポロは月に行っていないという風説が広く流布されたことがありました。50歳代以上のアポロを原体験として共有できる世代はともかく、若い世代のみなさんにとっては「生まれる前に月に行ったことがあるなら、なぜ、今、火星旅行はおろか再度、月さえ訪ねていないのはなぜ?」と疑問を感じるのは当然ですね。

地球から月までは38万キロメートル。時速3万8千kmのロケットで、まっすぐに飛んでいくと10時間で到着します。実際には地球を周回して加速して飛び出すので、アポロでは2日半の旅でした。しかし、新幹線(時速300km)で53日間、歩いていくと(時速4kmとして)11年もかかる距離です。近いようでいて意外と遠いのです。

ロケットならあっという間に着く、つまり、お金さえかければ、今では月に人が行くことはもちろん可能です。しかし、その莫大な費用を掛ける目的が今は無いということでしょう。

当時は、米ソの冷戦時代。科学的な目的というより、お互いのプライドからの競争であり、軍事的技術の向上も目的でした。アポロを打ち上げた米国NASAの宇宙飛行士は当時、ほとんど全員が空軍出身の軍人でした。アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの1961年5月の有名な演説、「米国は1960年代中に人間を月に到達させる」という宣言から始まったアポロ計画。1972年のアポロ17号まで、事故があって着陸を中止した13号を除いて、計6回、12名の宇宙飛行士が月面を歩きました。

アポロ宇宙船から撮影された宇宙のオアシス「地球」 クレジット:NASA
アポロ宇宙船から撮影された宇宙のオアシス「地球」 クレジット:NASA

そして、6回の着陸・帰還によって合計387kgの月の石を持ち帰りました。アポロの総経費は当時で250億ドル。単純に、もし仮にこの石のみがアポロの成果としてしまうと、月の石1gあたり6万5千ドルにもなってしまいます。

しかし、アポロの成果は、米国優位といった政治的な意味合いや、宇宙開発技術の発展、月惑星科学の進歩のみでは、決してありません。

1968年のクリスマス・イブ、人を載せて初めて月を周回して地球に帰還したアポロ8号は、月から見た地球の姿を映像に収め、地球に中継しました。アポロ乗組員が撮った真っ暗な宇宙に浮かぶ丸い地球の姿に、多くの人びとは国ごとの争いごとの無意味さや地球の有限さに気づきます。

また、1971年アポロ15号の乗組員ジム・アーウィンは、月面から地球を見て、「地球はもろくはかない存在に見えた」と述べています。閉じた地球環境の上に70億人もの人類が生活していることを目の当たりにすると、多くの人はグローバルに物事を考えざるを得なくなるのではないでしょうか。

月を回る司令船から撮影された「地球」の姿。今ではそこに72億人を超える人類が。
月を回る司令船から撮影された「地球」の姿。今ではそこに72億人を超える人類が。

そして、私たちの世代は、アポロの月着陸を子供の頃の原体験として育ってきました。現在、世界中で活躍している多くの研究者や技術者に多かれ少なかれ、アポロの月着陸の衝撃は影響を与えてきたことでしょう。

人類の歴史において20世紀という100年を振り返った際、最大の出来事は、広島・長崎への原爆投下と、このアポロの月着陸であるとも言われています。現在の科学技術の発展や世界平和を願う気持ちの原点の一つが、アポロの月着陸であったと言えるのではないでしょうか。歴史を振り返り、決して戦争に繋がるような愚かな行いをしない(させない)よう心に誓いたいと思います。

月の石ですが、1970年の大阪万博での最大の人気展示でした。

新しく、NASAから日本に大きな月の石が2つ寄贈されて、この7月4日~8月31日まで神戸青少年科学館にて特別展示されています。

月の石
月の石
自然科学研究機構 国立天文台 准教授

1961年長野県大町市八坂生まれ(現在、信濃大町観光大使)。NHK高校講座、ラジオ深夜便にレギュラー出演中。宙ツーリズム推進協議会代表。国立天文台で国際天文学連合・国際普及室業務をを担当。専門は天文教育(教育学博士)。「科学を文化に」、「世界を元気に」を合言葉に世界中を飛び回っている。

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