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樋口尚文の千夜千本 第70夜「ケンとカズ」(小路紘史監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
小路紘史監督とキャストの面々(撮影=樋口尚文)。

図太さと重量感の隔世遺伝

覚醒剤の売人をやっている二人の青年ケン(カトウシンスケ)とカズ(毎熊克哉)はお互いに思う人がいて、そのために今よりも金が必要になっている。そこで主にカズの詭計にケンが付き合わされるかたちで、元締めのやくざを裏切るというタブーを冒す。浅はかな、というよりどこか捨て鉢な自分たちの計略に逆襲され、二人は刻々と窮地に追い込まれてゆく。シンプルな人物設定のもと、じわじわ逃げ場を失ってゆく二人の突き詰め方はみごとで、どこか任侠映画の至宝『博奕打ち 総長賭博』さえ思い出させる悲劇の骨格に引き込まれる。

ドラマの緊密さで言えば『総長賭博』を彷彿とさせるのだが、しかしこのチンピラとやくざのちゃちな争いに伴走し続ける作品のタッチは全くそういうものではなく、とにかく自在に二人を中心とする人物たちの相貌をとらえ続ける。その感じは、では任侠路線ならぬ実録やくざ路線かと思いきや、何かが違う。実録やくざ映画の場合、撮影所のスタアたちがけっこうオーソドックスな大芝居を演じつつ、それを手持ちの奔放な演出とカメラワークで解体するという間合いが奏功していたように思う。だが、本作にあってはそういう映画の娯楽的な祝祭感はなく、演技はごくごく自然なかたちに抑えられ、カメラも大胆にというよりはもはや空気のように俳優たちと一体化している。とにかくみごとに筋肉質の映画である。

観ている間はなんだかダルデンヌ兄弟がやくざ映画を撮っているような感じだなあとも思ったりしたのだが、まさかそんな発想である由もないから、当年とってまだ三十歳の小路監督がどういう映画遍歴を経てこんな作品を撮ったのか謎は深まるのであった。やはりこういう題材なので、なんだかんだ言っても実録やくざ映画やアメリカン・ニューシネマあたりが原点なのだろうかとアタリをつけるほかなかったが、小路監督いわく本作の出発点は「韓国ノワール」とのことで、これには膝を打った。つまり、もはやこの若き監督ともなると、邦画の旧作などよりも「韓国ノワール」が身近な刺激剤だった訳で、この頼もしき日本映画の傑作は何とポン・ジュノやパク・チャヌクはじめ韓国の「386世代」の強烈な影響下に生まれたのだった!確かにカズのしぶとい風貌など見ていると、まるで若き日のヤン・イクチュンみたいである。

事ほどさようにアウトローの生態を据わったタッチで描くこの作品は、扱う題材ゆえについつい実録やくざ映画やアメリカン・ニューシネマを原点としているのかなと誤読してしまうものの、この演技の自然さを求めつつマッチョな重量感を伴う文体というのは、何かもっと近いものがあるぞという既視感が湧いた。それが何なのか今ひとつ焦点が合わなかったのだが、「韓国ノワール」ひいてはポン・ジュノというヒントを得て、これはネオ今村昌平というべき作風ではないかと思うのだった。ポン・ジュノの特に『殺人の追憶』などには今村昌平の深甚なる影響を見てとることができるが、たぶん小路監督はきっとポン・ジュノを通して今村昌平を逆輸入してしまったのではなかろうか。長谷川和彦監督が本作を大いに気に入ったと聞いたが、まさにそれもこの作品に時ならぬイマヘイの薫りをかぎとったからでは、と推測してしまう。

ともあれ、緊密な脚本に図太い人間凝視を施してゆく本作の演出マインドは得難いものであり、観客はただ本作を「発見」したことを喧伝するだけでなく、この俊英が二本目、三本目とさまざまな素材にぶつかってさらに自己拡張してゆくのを楽しみに見守ってゆくべきである。また、本作にはいわゆるスタアは全く不在で、一般にはあまり知られていない俳優だけで撮られていたが、主役のケンとカズの秀逸な二人はもとより、彼らの周りにくっついている心もとないテルに扮した藤原季節、いつも柔和な表情をたたえているところが相当怖い組長・藤堂に扮した高野春樹、その油断ならない部下・田上に扮した江原大介ほか、ひじょうに役柄にぴったりの貌を持つキャストばかりで、監督はこの俳優たちの相貌の醸すいわく言い難い雰囲気を〈顔の劇〉としてうまく活かすことで、脚本の青写真以上に豊饒なニュアンスのある細部を具現化していた。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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