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すべてはiTunesから始まった。〜コンテンツ流通の劇的変化

小川浩株式会社リボルバーCEO兼ファウンダー。
iTunes がコンテンツの分散化に火をつけた

メディアの大変化。いや、大革命といってもいい。

コンテンツの集合体としてのメディアは力を失いつつあり、コンテンツは分散化した。コンテンツの消費場所は一つではなくなり、いたるところでオーディエンスの好みのタイミングで消費されるようになった・・。

それはまず音楽から始まった。iTunesがパッケージとしてのCDの”曲順”を破壊し、iTunes Music Store(iTMS)が音楽の切り売りを始めたことが、全ての始まりだった。現在では、新聞の一面作りのような”編集作業”は無意味になりつつあるし、雑誌のようなコンテンツのパッケージもまた、その編集にかけるコストほどには報いられないものになった。

メディア革命は、コンテンツの死ではなくパッケージの死だった

iTMSで購入した曲は、たとえアルバムとして購入したとしても、iTunesでダウンロードした瞬間にアルバムというパッケージから切り離され、むしろHIP HOPとかロックといったジャンル(「タグ」に近い)によってほかの楽曲との関係を深めていく。

iTunesやiTMSは、CDアルバムというレイアウトされデザインされたパッケージ、そして計算し尽くされた限られた数の曲を選択し、順序を決定した"編集"努力を完全に否定した。そして特定の曲という情報=コンテンツのみを切り離してしまったのである。

Napstarの登場以来、現在のSpoitifyに至るまで、さまざまな音楽配信サービスが生まれ、新しいプレイヤーが生まれるたびに、どんどんCDは売れなくなった。

販売物として、音楽を届けるメディアとしてのCDが無価値になっていく過程の中で、実はもう一つ、アーティストが編集して、一つのパッケージ、作品として、数曲〜十数曲を選択し、曲順を決め、全体としてのテーマを決めていく”アルバム”作りという作業が、昔に比べれば重要性が減じてきた。結果として、これらの編集作業が生きるのはライブの場だけである。

音楽ファンは、iPod(そしてiPhone)が勝手にシャッフルする曲順を楽しみ、”適当に”流れる音楽を、あたかもDJが選んだかのように受け入れるた。気に入らない曲が流れればワンクリックでスキップすればいいからだ。その結果、我々は、音楽というコンテンツを、アルバムではなく、一曲単位で消費するようになった。

もちろん街中やテレビのような場では、音楽は一曲単位どころか、フレーズ(サビ、といってもいい)単位で消費されており、我々はそもそもそういう音楽の切り売りに慣れていたことに、iTMSははっきりと我々に気づかせたのである。パッケージの死である。

(実際、我々は、仮にサビは知っていても、ほとんどのヒット曲を通して聴いたことがないだろう)

このように、消費者は、コンテンツを細分化された最小単位で消費することに慣れた。

CDという”アルバム”、新聞という”アルバム”、雑誌という”アルバム”。そういうパッケージの存在意義は、徐々に薄れ、なくなってきたのだ。

分散型メディア誕生の萌芽は10年以上前から

分散型メディアという言葉が散見されるようになったが、新聞や雑誌におけるようなテキスト型のコンテンツについては、2000年代から音楽同様パッケージの崩壊は訪れていた。

それは、当時流行していたRSSリーダーもしくはフィードリーダーの存在を思い返せばわかる。一度サイトのRSSを登録すれば、そのRSSの発信元ごとにコンテンツを消費するのではなく、すべての登録RSSのコンテンツを時系列順に消費することになるし、さらに言えば、どのRSSリーダーを使っていても同じ行動になり、オーディエンスが使っているRSSリーダは一つではなく、さまざまな種類が存在していた。

今の問題点は、サービスの仕様がRSSリーダーであれば、原則として共通化されたRSSもしくはATOMといったフィードの標準仕様でコンテンツを用意さえしておけば、すべてのオーディエンスにコンテンツを届けることができるのに対して、現在のようにFacebook、Twitter、Snapchat、Apple、LINE、スマートニュースなど、オーディエンスが使っている”コンテンツの消費場所(プラットフォーム)”に、コンテンツを配信しようと思っても、それらの仕様が場所ごとに異なっている、ということだ。

このことが、コンテンツの作り手から力を奪い、メディアと呼ばれる権利を、プラットフォーム側に手渡そうとしている現在の”メディアの憂鬱”を生み出しているのである。

思うに、フィードが生まれた時に、早くこのコンテンツの配信方法のあり方の変化、パッケージの死、そして共通仕様でコンテンツを供給できることの利点をメディアが真剣に受け止めてくれてさえいたら、現在のソーシャルやモバイルアプリのプラットフォームたちに、メディアとしての座を奪われることはなかったのに・・・。

果たして、あのときの無頓着と不明による今の状況は、全メディアにとって果たして取り返しつくのだろうか。このままメディアとしての座を完全に奪われ、コンテンツの作り手、という立場に甘んじるのだろうか。それとも?

株式会社リボルバーCEO兼ファウンダー。

複数のスタートアップを手がけてきた生粋のシリアルアントレプレナーが、徒然なるままに最新のテクノロジーやカッティングエッジなサービスなどについて語ります。

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