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レッドソックスの本拠地フェンウェイパークに「ENEOS」(エネオス)看板が出現。

一村順子フリーランス・スポーツライター
今季からフェンウェイパークの電光掲示板にエネオスのロゴが入った。

「ENEOS」幹部が球場視察

13日にナショナルズとの本拠地開幕戦を行ったレッドソックスの本拠地フェンウェイパーク。今季からセンター後方のハイビジョン巨大電光掲示板に「ENEOS」のロゴが入った。今年2月にレッドソックスへの協賛を提携した同社のロゴは、フロリダ州フォートマイヤーズにある球団のキャンプ施設や選手、監督のインタビューの際、背後に設置されるバナースタンドにもお目見えしていたが、ついに、大リーグの聖地にも掲げられることになった。開幕戦翌日の14日には、JX日鉱日石エネルギー社の荒木康次取締役常務執行役員、同米国本社の角南元司社長ら同社の幹部が球場視察。「こんないい場所に広告を出させてもらえて本当に光栄です。まさか、我が社のロゴがフェンウェイパークで見ることになるとは夢にも思っていませんでした」と荒木取締役は感無量の面持ちで語った。

球場視察したENEOS幹部が田沢選手と記念撮影
球場視察したENEOS幹部が田沢選手と記念撮影

日本では40%のシェアを誇る同社のブランド商品「ENEOSオイル」だが、潤滑油市場が成熟している米国でのシェアはまだ1%に満たない。だが、高品質潤滑油の市場拡張認を目指す同社はアラバマに工場を設立、米国で生産、販売に力を注いでいる。米国で勝負するには、消費者への知名度を上げると同時に、小売業までの販売網を含めた流通形態を確立する必要がある。そこで、米国屈指の人気球団と協賛して社会的認知を高めようというのが狙い。これまでにも米国のカーレースNASCARの協賛などに取り組んできたが、今回更なる認知度の向上と販売拡大を狙って、レ軍との提携に踏み切った。

「潤滑油市場はアジアと欧州、北米の3大エリアがあり、それぞれ文化が違うので広告戦略も違ってくる。米国なら、やはり野球だろうと。レッドソックスさんの力は全米最強。野球の持つ力は大きいです。今後、どのような成果が出るか、我々もドキドキしているところですが、とりあえず、反応や評判は良く出足は上々。ここからジワジワ広がっていけば、絶対プラスになると信じています」と荒木取締役は語った。この提携は、昨年、計画から実現までトントン拍子に話が進んだのだが、そこに至るまでに面白いドラマがあるので、ぜひ、紹介したい。

田沢を巡るレッドソックスとENEOSの不思議な縁

実は、この荒木取締役は、レッドソックスの不動のセットアッパーとして君臨する田沢純一投手が合併前の同社である新日本石油の社会人野球部に入社した際に野球部長を務めており、田沢を採用した縁がある。横浜商大高3年だった田沢は野球を続ける道を断念、一般企業への就職が決まっていたが、当時チームには地元・横浜出身の選手を獲得しようという動きがあり、田沢を遅い枠で採用した。その後、都市対抗野球で大活躍し、日本プロ野球界、メジャーの両方から注目される中、田沢が直接メジャーへの挑戦の意思を固めた時もサポートしたのが、同取締役だった。以来、田沢は古巣への恩を忘れず、毎年オフに帰国した際には、同社に挨拶に赴き、交流を温めてきた。今回、レッドソックスの協賛が実現する“きっかけ”となったのは、言うまでもなく、田沢と同社の深いつながりがもとにある。

ただ、この協賛は、単に社会人野球の親会社が野球部出身の選手を応援する狭い枠に囚われたものではない。そもそも、大リーグの電光掲示板に広告を出すには巨大投資が必要で、長期的視野に基づいた戦略が不可欠だ。田沢は最短で来年オフにFAになるが、今回「ENEOS」が2017年までの3年契約を結んだところに、その“覚悟”がみえる。この先田沢が在籍してもしなくても、今回の協賛を足がかりに長期計画で米国市場を開拓、拡大していこうという企業の指針だ。

商品にもレッドソックスのロゴが入った。
商品にもレッドソックスのロゴが入った。

レッドソックスは、かつて松坂大輔ら多くの日本人選手を獲得し、日本でも認知度の高い球団だが、最近はチューイングキャンデー「ハイチュウ」(森永製菓)、カジュアル衣料品を生産販売する「ユニクロ」(ファーストリテイリング)の日本企業がスポンサー契約を提携したことが話題になった。この「ハイチュウ」も「ユニクロ」も、レッドソックスの社会的認知と信頼を、認知度の低い米国での市場拡張の足がかりにしようという試みだ。「かつて、米国市場に参入した日本の自動車産業も全く認知度のないところからの出発でした。我々も時間は掛かると思いますが、クオリティーの高い商品を提供し、年月を掛けて成長していきたい」と、角南社長は将来を見据える。田沢も09年に海を渡って以来、マイナーから着実に力をつけ、右肘靭帯再建手術などの苦労を乗り越えながら、今では球界を代表するセットアッパーとしての地位を築いた。未知の世界、米国でゼロからの挑戦に賭けるENEOSの姿は、かつての田沢にダブるものがある。

「もし、田沢選手があの時、ウチに来ることなくそのまま就職していたら、こんなことは絶対に起こらなかったと思う」と荒木取締役。その思いは田沢も同じことだろう。人の縁とは不思議なもの。時に予想もしていなかった大きな実を結ぶことがある。この日の試合は8−7でレッドソックスが逆転勝ち。8回一死から4番手で登板した田沢は2/3回を投げて無失点。社会人時代から長く支援を受けた恩人たちが見守る中で、忘れ得ない今季2ホールド目を挙げた。

フリーランス・スポーツライター

89年産經新聞社入社。サンケイスポーツ運動部に所属。五輪種目、テニス、ラグビーなど一般スポーツを担当後、96年から大リーグ、プロ野球を担当する。日本人大リーガーや阪神、オリックスなどを取材。2001年から拠点を米国に移し、05年フリーランスに転向。ボストン近郊在住。メジャーリーグの現場から、徒然なるままにホットな話題をお届けします。

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