Yahoo!ニュース

170万枚の「大人気商品」となった、東京駅の記念Suica

伊原薫鉄道ライター

JR東日本は2月2日、1月30日より受付を開始した「東京駅開業100周年記念Suica」の申し込みが、3日間で約170万枚に達したと発表した。大混乱となったあの騒動から1か月半、一変して「大人気商品」として再び注目を集めた記念Suica。はたして今回の一件は何が「失敗」だったのか、振り返ってみたいと思う。

年末の東京駅で、このカードを巡って大混乱が起こった。
年末の東京駅で、このカードを巡って大混乱が起こった。

○15,000枚のカードを求めて、約10,000人が殺到

事の発端は昨年9月にさかのぼる。東京駅の開業100周年を記念した記念Suicaの発売をJR東日本が発表したのは、9月24日のことだった。発売枚数は15,000枚で一人3枚の数量限定、12月20日の午前8時から東京駅丸の内南口で販売されることなども合わせて発表された。

そして発売前日となる12月19日。夕方から既に「騒ぎ」は始まっていた。どうしても購入したいという人たちが、東京駅へ集まりだしたのである。JR東日本では販売告知ポスター等に「前日から並ぶことはできません」と記載していたが、終電が出るころには1,000人を超える人が集結。その後もどんどん人は集まり続けた。

ここでJR東日本は「前日からは並べない」と告知していたにもかかわらず、駅員を配置し「列の最後尾」と書いたプラカードで行列を誘導。つまり前日から並んでいた人たちを「黙認」どころか正規の待機列として対応したのだ。既に行列ができているという情報はネット等で瞬く間に拡散され、始発電車が動き出すころには3,000人、午前7時の時点では8,000人(いずれも推定)が東京駅を取り囲んでいた。

行列は東京駅の周囲を取り囲み、一部は歩道を埋め尽くし、車道にはみ出すなど危険な状態に。JR東日本では予定を早め、午前7時過ぎより販売を開始したが、誘導がうまくいかずに駅舎内は大混乱となった。殺到した人々が将棋倒しになるなどの危険が生じたため、約半数となる8,000枚を販売したところで、午前9時40分に販売を中止。残りのSuicaについては改めて販売を行うとアナウンスされたが、納得のいかない未購入者の怒号が飛び交い、展示してあった東京駅の模型が破壊されるなど駅舎内は騒然となった。

告知ポスターには「前日から並ぶことはできません」と記載が。(撮影者の転載許諾済)
告知ポスターには「前日から並ぶことはできません」と記載が。(撮影者の転載許諾済)

ここで1つのポイントは「始発電車が動き出すころには3,000人が並んでいた」という点と「約8,000枚販売したところで販売中止」という点だ。約8,000枚を一人あたりの限定数・3枚で割ると、約2,700人。つまり、この両方の数字が正しいとすれば、当日Suicaを購入できたのは「始発電車が動き出すころに既に駅にいた人」だけ、ということになる。ルールを破った徹夜組は購入でき、ルールを守った人たちが購入できなかったことになるわけで、不公平な対応と言わざるを得ないだろう。

ちなみに「ルールを破った徹夜組」と書いたが、JRの告知には「前日から~」と書かれていた点にも注意したい。例えば前日・19日の終電に乗って来た人は、暦の上では当日来ているわけで、ルールを守っているとも考えられる。20日の始発前にタクシーで来た人も同様だ。人によって違う解釈ができるルールを作ったJRの対応のまずさは否めない。

「そうは言っても、実際に人が集まりだしたのだから列を誘導するのは当然だ」という意見もある。もちろんその通りだと思う。しかし、だからこそあいまいなルールを作ってはならないし、そのルールを守ってもらうための対策や、入念な計画が必要なのだ。そしてそれが「次のポイント」である。

○甘かったJRの見通し

次のポイントは、JR東日本の見通しが甘かった点だ。今回、JR東日本は購入に集まる人数を最大5,000人と見積もり、40人の駅員を配置したという。ここから販売人員を引くと、誘導にあたる駅員は30人程度で、5,000人が並んだ場合、1人で160人もの列を誘導しなければいけないことになる。ちなみに160人というと、2列でぎゅうぎゅうに詰めて約40m、4列でも約20mである。1人で誘導するのは素人目で見てもちょっと無理がある。しかも対応するのは駅員で、誘導に手慣れた警備員ではない。雑踏警備を担当する筆者の友人は「こういった列誘導では、混雑状況や「あと何分で買えるか」といった情報を常に伝え、少しずつでも前に進むことで購入者の不満は軽減される」と話していた。今回は購入者へ十分な情報供給がなく、いつまで経っても列は進まず、挙句の果てにツイッターなどのネットで「並んでも買えない」という情報が流れてくる、近くに駅員はおらず、やっと回ってきた駅員に聞いても「わかりません」と繰り返すばかり・・・購入列の人たちが不安に駆られ、騒動が起こるのも当然である。最終的には約100人の社員をかき集めて対応にあたったとしているが、騒動が始まってからでは「焼け石に水」で、ついには警察官まで出動する事態となった。

東京駅の駅員は「乗客輸送のプロ」ではあるが、物販や誘導のプロではない。おそらく警備会社などが少しでも関わっていれば、例えば整理券の配布を行うなど、ここまでの騒動にはならなかったのではないか。JRの見通しが甘かったと言わざるを得ないだろう。

○何のために、販売数量を限定するのか

そして、販売枚数が少なかった点。今回の発売枚数15,000枚について、JR東日本では「過去の事例を基に決定した」としているが、例えば2013年に発行された、全国の交通系ICカード相互利用開始の記念Suicaの発売枚数は30,000枚である。このカードは首都圏を中心に合計31駅で販売されたが、発売開始から数時間でほぼ全駅が完売するという状況で、お世辞にも「十分な数量があった」とは言い難い。今回は東京駅のみでの販売でもあり、1駅当たりの枚数としては前代未聞の数量ではあったものの、総発行枚数は半分で、1つの駅に集まる人の数はケタ違いとなる。結果論ではあるが、15,000枚という数量は少なすぎた。そもそも、日本を代表する鉄道駅の開業100周年を記念するカードが、初日に並んだ人ですら購入できないというのは、個人的には間違っていると感じる。100周年記念というからには、1ヶ月程度は駅で常に販売し、遠方の人が東京土産に購入できるようにしても良かったのではないか。

関東の大手私鉄でグッズの開発に携わる友人は「「ヒット商品」と「商品が足りていない」を混同してはいけない」と話す。数量をしぼって販売者自らが限定感・プレミアム感を煽り、並んでも買えなかった人たちがネットオークションで数倍もの金を払って購入する・・・その商品に何の価値があるのか、そんなことをして誰に何の得があるのか。今回も、発売直後にネットオークションに出品し、数十倍・数百倍という価格で転売した輩だけが得をしたのである。プレミアムは、商品を購入した人たちがその素晴らしさから付けていくもので、販売者が意図的につけるものであってはならないと考える。

結局、12月22日にJR東日本は「今後増刷しご希望の皆さまに発売」することを発表。専用サイトでの受付は1月30日に開始され、仕切り直しとなった今回、予約枚数170万枚という「大人気商品」に化けた。この枚数は、JR東海のICカード「TOICA」やJR九州の「SUGOCA」の総発行枚数よりも多い。このような混乱や、ここまでの数量は当初予測できなかったにせよ、それだけの人気や注目を集めていたということである。当日並んでも買えなかった人だけでなく、発売日時や発売場所の関係で欲しくても買えないと諦めていた人にも、十分に行きわたることだろう。そして、当初の計画よりも多くの人が笑顔になるに違いない。

鉄道グッズ業界だけを見ても「当日その場所で早朝から並ばないと買えないグッズ」が蔓延している昨今の流れが、今回の騒動をきっかけに「欲しい人は誰でも安心して買える」ようになることを願いたい。きっとその方が、より多くの人が笑顔になれるわけで、グッズとは本来、より多くの人を笑顔にするためのものであるわけで。

鉄道ライター

大阪府生まれ。京都大学大学院都市交通政策技術者。鉄道雑誌やwebメディアでの執筆を中心に、テレビやトークショーの出演・監修、グッズ制作やイベント企画、都市交通政策のアドバイザーなど幅広く活躍する。乗り鉄・撮り鉄・収集鉄・呑み鉄。好きなものは103系、キハ30、北千住駅の発車メロディ。トランペット吹き。著書に「関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか」「街まで変える 鉄道のデザイン」「そうだったのか!Osaka Metro」「国鉄・私鉄・JR 廃止駅の不思議と謎」(共著)など。

伊原薫の最近の記事