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「黒田投手型社員」が注目

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
ニューヨーク・ヤンキース時代の黒田博樹投手(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

古巣に戻り貢献

日米通算200勝を達成したプロ野球・広島カープの黒田博樹投手。昨年、米大リーグから8年ぶりに古巣の広島カープに復帰。メジャーで揉まれた経験と磨いた投球術を惜しみなく発揮し、今シーズン、チームを25年ぶりのリーグ優勝に導こうとしている。まさにカープの救世主だ。

実は、ビジネスの世界でも今、そんな「黒田型社員」が注目を集めている。黒田型社員とは、キャリアアップを目指していったん辞めた会社に、何年後かに再入社。その間に培った経験やビジネススキルを生かして古巣に貢献すると同時に、自らも昇進や給与アップを勝ち取る社員のこと。その姿はまさに、現在の黒田投手の姿とぴったり重なる。

人材サービス会社エン・ジャパンで働く宇田川努さん(39)も、典型的な黒田型社員。2001年、中途採用でエン・ジャパンに入社。転職サイト「エン転職」の営業担当として働き始めると、みるみる頭角を現し、入社10カ月でチームリーダーに抜擢。入社3年目で課長職に相当するマネージャーに昇進。入社6年目には、100人以上の部下を従える支社長に就任した。

速球派から技巧派へ

ところがここで、宇田川さんに転機が訪れる。2008年のリーマン・ショックと前後して起きた不動産バブルの崩壊だ。顧客に不動産会社を多く抱えていた宇田川さんの部署は、求人広告が激減。それまでモーレツに働いて業績を伸ばしてきた宇田川さんだったが、会社から突然、市場分析や戦略立案を要求された。「それまで速球だけで抑えてきた投手が、その速球が通用しなくなり、技巧派や頭脳派への転向を命じられたようなもの。非常に困惑しました」と振り返る。

このままでは支社長として会社に貢献できないと悩んだ宇田川さんは、ビジネスを一から勉強し直したいと考え、会社からの慰留を振り切って退職した。転職先は同業他社だったが、その会社は幹部に経営コンサルティング出身者がいるなど戦略重視で、宇田川さんの希望と一致。入社後は、一営業マンに戻って汗水を流すかたわら、事業計画の立て方や損益計算書の読み方、マーケティングの手法など新たなビジネス知識を貪欲に吸収した。

学んだビジネス知識を実践してみたいと考えた宇田川さんは、2年後、株式上場を計画していたベンチャー企業に上場準備要員として転職。だが入社後しばらくして、上場計画が突然の白紙撤回。無用となった宇田川さんは、会社を辞めざるを得なくなった。

武者修行の成果

実は当時、宇田川さんは、エン・ジャパン在職時から親しくしていた同社の社長と、定期的に会って食事をしていた。それは、優秀な元社員に対してはいつでも門戸を開いて帰りを待つというエン・ジャパンの方針を映したものでもあった。

次の転職先を探していた宇田川さんが社長にメールで相談したところ、とんとん拍子で復帰話が進み、2014年2月、約5年ぶりにエン・ジャパンに復職。再入社直後の役職は辞めた時よりも一段階下だったか、すぐに実力を発揮し、約1年後の昨年4月、中途求人メディア事業部・部長に昇進。今では会社から黒田投手のようなエース級の働きを期待されている宇田川さんは、「エン・ジャパンを離れている間に培ったビジネスの知識や経験が、今の仕事に大いに役立っています」と話す。5年間の“武者修行”が、宇田川さんをビジネスマンとして一回りも二回りも成長させ、会社にとってますます欠かせない存在へと進化させたようだ。

3社に2社が復帰OK

そのエン・ジャパンが、黒田型社員に関して実施したアンケート調査がある。調査は、企業の人事担当者向け中途採用支援サイト「エン 人事のミカタ」を利用する人事担当者を対象に、「出戻り社員」について尋ねたもの。この調査では、出戻り社員を、「転職などの自己都合で退社し、再度もとの会社に戻ってくる社員」と定義。結婚や出産による退社は想定していない。実施したのは今年1~2月。220社から回答を得た。それによると、これまでに出戻り社員を受け入れたことのある企業は全体の67%、つまり、3社に2社が一度辞めた社員を再び受け入れていることがわかった。

有名企業の間でも、黒田型社員を受け入れるところは増えている。例えば、NTT西日本は昨年、同社の元社員を対象に「リ・チャレンジ採用」制度を導入した。「多様な能力・ノウハウや様々な経験を有する元社員の皆様に再び活躍いただくことで、更なる事業運営の活性化やイノベーションの喚起を図る」(同社ホームページより)のが目的だ。

実績とたゆまぬ努力が鍵

同じアンケート調査によれば、出戻り社員を再雇用することになったきっかけは、「在職時の上司からの推薦」が59%と断トツ。また、全体の81%の企業が今後も出戻り社員を再雇用したいと答えているが、「自社に必要な能力があれば」と条件つきのところが大半だ。黒田投手も、海を渡る前にすでに十分な実力があったが、大リーグで低めに集めるコントロールや微妙に球筋が変化するツーシームを身に付けてさらに力を付けた。そんな黒田投手に対し、カープの球団幹部は、ずっとラブコールを送っていたと言われている。黒田型社員を目指すなら、在職時から実績を残して上司や周囲の信頼を得た上で、辞めた後も常にキャリアアップのための努力を怠らないことが大切だ。

社長になった例も

黒田型社員がトップにまで上りつめた例もある。バーコード大手、サトーホールディングス社長の松山一雄さんは、大学卒業後、別の会社に就職したが、4年後にサトー(当時)に転職。だが、経営の勉強をしたいとの思いから、その4年後に同社を退職して米国屈指のビジネススクールのノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院に留学する。MBA(経営学修士)を取得して帰国後、外資系企業で活躍していた松山さんのもとに、サトー時代の上司から突然、連絡がきた。「海外事業を本格展開するので、私の右腕として戻ってきてほしい」。松山さんは最終的に快諾し、復帰を決めた。当時の気持ちを松山さんは「サトーを辞めてからもサトーが好きだったので、古巣からラブコールを受けた時は嬉しい気持ちでいっぱいだった」と語る。

再入社後、松山さんは出世を重ね、2011年、ついに社長に就任。そのキャリアはまさに、世界で戦う夢を追うために、育ててくれた組織を離れて米国へ渡り、そこで大きく成長し最後は古巣に恩返しする黒田投手と瓜二つ。松山さんは現在、MBA仕込みの経営知識と国際感覚で、同社のグローバル化を強力に推し進めている。

不可欠な存在

黒田投手はカープ復帰後もすばらしいパフォーマンスを発揮しているが、一方で、周囲の期待通りの活躍ができない元メジャーリーガーも多い。ビジネスの世界でも、復帰後、思ったほどの成果を上げられず古巣の期待を裏切る出戻り社員は少なくない。企業が諸手を挙げて出戻り社員を歓迎できない理由もそこにある。とはいえ、多くの企業にとって、グローバル時代を勝ち抜くためには、組織に頼らずチャレンジ精神旺盛な黒田型社員の存在は不可欠。終身雇用や年功序列が事実上崩壊し、人材の流動化が猛スピードで進む中、黒田型社員に対する需要はますます高まっていくことだろう。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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