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ワイナリー続々、主役は個人

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
日向エステートに植えられたばかりのピノ・ノワールの苗木

日本各地で、ワイナリーの新設ラッシュが起きている。主役は企業でなく、個人。憧れのワイナリー・オーナーになる夢を抱くワイン愛好家が、続々と参入しているのだ。だが成功はけっして容易ではない。何が彼らを駆り立てるのか。夢追い人の一人を取材した。

リーマン・ショックが転機に

秋田、山形両県にまたがり、その美しい姿から出羽富士とも呼ばれる、鳥海山。6月上旬、万年雪を頂くその鳥海山の麓の畑で、すでに夏の陽射しが照りつける中、十数人の男女が慣れない手付きで、ワイン用ブドウの苗を植える植栽の作業に汗を流していた。

彼らに、どの畝(うね)にどの苗を植えるか指示を出しながら、自らも農作業着を泥だらけにして黙々と苗を植えるのは、日向理元(ひなた・まさもと)さん。ワイナリー「日向エステート」のオーナーだ。

ワイナリーといっても、ブドウを発酵させる醸造設備もなければ、できたワインを貯蔵する貯蔵庫(セラー)もない。もちろん、Googleマップにも載っていない。それもそのはず。今回の植栽は、日向エステートが本格的にワイン造りに乗り出した、記念すべき第一歩だったのだ。日向さんと一緒に植栽の作業をしていたのは、交通費、宿泊費とも自腹で東京などからやってきた、日向さんの飲み仲間たち。全員がボランティアだ。

ふだんのスーツ姿から農作業着に着替えてブドウの苗木を植える日向理元さん
ふだんのスーツ姿から農作業着に着替えてブドウの苗木を植える日向理元さん

日向さんは今年52歳。前回の東京五輪の年に仙台市に生まれた。東北大学工学部を卒業して大手銀行に就職。その後、大手外資系金融機関に転職し、当時、花形業務だったストラクチャリング(金融商品開発)を担当した。ワインとの出合いもそのころ。仕事柄、接待を受けることが多かった。取引先に美味しいワインを飲ませてもらううちにワインの魅力にとりつかれ、自分でもワインを勉強するように。いつしかワインが趣味となり、2005年、日本ソムリエ協会認定のワインエキスパートの資格も取得した。

そんな日向さんの右肩上がりのキャリアに、大きな転機が訪れる。2008年のリーマン・ショックだ。100年に一度と言われた世界的金融危機の影響で、日本でも当局がデリバティブなど金融取引に対する監視を強化。そのあおりを受け、ストラクチャリング業務も縮小を余儀なくされた。

ストラクチャリング部長だった日向さんに、会社の幹部から、経費削減のため部下を切るよう、繰り返し命令が下った。その都度、仕方なく命令に応じた日向さん。しかし、2011年、今度は日向さん自身が退職勧奨の対象となる。事実上の解雇通告だ。

第2の人生は好きなワインを

すでに40代半ば。専門のストラクチャリング業務はどこも人員削減で、転職は厳しい。「だったら、好きなワインで食べて行こう」と思いついた日向さん。幸い、会社が設定した退職期限まで1年ある。仕事も急に暇になった。そこで心機一転、ワインライターになることを決心。ワインに関するより深い知識を身に付けるため、ワイン学で世界的に有名な米カリフォルニア大学デービス校(UCデービス)の授業を通信教育で受け始めた。

授業は、想像していたよりはるかに濃く、面白い内容だった。カリフォルニアワインの銘醸地ナパ・バレーでの実地研修にも参加。驚いたことに、そこで出会った生徒の中には、ナパの有名ワイナリーの醸造責任者もいた。ワインライターになるため受け始めた授業だったが、受けているうち、ワイン造り自体に興味を覚え始めた。「これなら、自分にもできるんじゃないか」。夢は一気に膨らんだ。

そうして、ワイナリーを開く場所を探し始めた時、仕事でも新たな展開があった。捨てる神あれば拾う神あり。別の外資系金融機関に務める知人から、「経験者が足りないので、是非うちに来てほしい」と声が掛かった。仕事は、インサイダー取引などの不法行為を未然に防ぐコンプライアンス業務。それまでのキャリアとは全くの畑違いだったが、受けることにした。

日向さんには現実的な考えがあった。「ワイナリーを開くにしても、ブドウの木がまだ十分に育っていない最初の数年間はワインを造れず、キャッシュフロー(現金収入)がない。だったら、とりあえずそれまでは、金融の仕事を続けるのもありかもしれない」

場所の選定は慎重に、そして徹底的にやった。どうせ造るなら、世界最高峰と言われるフランス・ブルゴーニュの銘酒「ロマネ・コンティ」を目指したい。そのためには、ロマネ・コンティの畑とできるだけ同じ気象条件の場所がいい。気象庁の持つ膨大な気温や降水量、日照時間などのデータを独自に分析し、自分の足で歩き回り、やっと見つけたのが、山形県酒田市の鳥海山の麓だった。

次にしなければならなかったのは、畑の購入。あちこちに耕作放棄地があったが、なかなか売ってもらえない。それでも何とか売り手を見つけ、全部で5ヘクタールの土地を購入した。その過程では、地元の活性化のために移住者や新規就農者を増やしたい酒田市が、いろいろと助け舟を出してくれた。

目指すはロマネ・コンティ

初年度の今年は、5ヘクタールの一部を整備し、ピノ・ノワールとシャルドネの苗を植えた。ピノ・ノワールは赤ワイン用のブドウ品種で、ロマネ・コンティもピノ・ノワールから造られる。シャルドネは世界で最も人気のある白ワイン用のブドウ品種だ。

「鳥海山から吹き下ろす冷たい風が、酸味の利いた上質なワインを造る」(日向さん)
「鳥海山から吹き下ろす冷たい風が、酸味の利いた上質なワインを造る」(日向さん)

すでに、土地代、資材費、畑を整備するための人件費などで、1,000万円ほど使った。その何割かは、酒田市から補助金として援助してもらえる予定だが、それでもかなりの費用がかかることに変わりはない。だが、「お金もそうだが、やってみてわかったのは、結構、時間を食うこと」と日向さん。実際、いまも苗の手入れをするために、毎週末、東京と酒田を往復する日々だ。体力的にも決して楽ではない。

ワイン造りというとロマンチックな響きもある。だが、ワイン造りの大半は、文字通り泥臭くて、骨の折れる農作業だ。農業には、自然災害や病気も付きもの。とりわけ、ワイン用ブドウの栽培の歴史は、病気との格闘の歴史でもある。それゆえ、経済的リスクも大きい。日向さんも、早くも苗に付いた病気と格闘する様子を、毎週アップするフェイスブックで伝えるなど、決して順風満帆とは言い難い。

ここまでして、日向さんをワイン造りに駆り立てるものは何なのか。「やっぱり、ワインが好きだからじゃないですか」と、日向さんは涼しい顔で言う。数年後、ブドウの木が十分に成長するのを待ってから、畑の近くに醸造施設を建て、会社を辞めて移住する計画も、すでに立てている。最初の収穫・醸造は2019年を予定。販売開始は、その2年後、東京五輪翌年の2021年になる見通しだ。

国や地自体も後押し

酒に関する調査やコンサルティング事業などを手掛ける酒文化研究所によれは、現在、日本国内には約200軒のワイナリーがあり、ここ数年は、毎年約10軒のペースで新たなワイナリーが生まれている。まさに「ワイナリー参入ラッシュ」(同研究所)の状況だ。

新たな担い手のほとんどは、個人や少人数のグループ。もともとワイン造りがやりたくて海外や国内のワイナリーで修行した後に独立するケースや、ある程度資金に余裕のできたワイン愛好家のビジネスマンらが、飲み手から造り手に回るケースが目立つ。

背景にあるのは、ワイン文化の広がりだ。少子高齢化などの影響で酒全体の消費量は完全に頭打ちとなっているが、そうした中、ワインの消費量は毎年増え続け、昨年まで3年連続で過去最高を更新。それでも、1人当たりの年間消費量は約3リットルと、日本酒や焼酎と比べれば少ないが、逆に言えば、それだけ伸び代が大きいと言える。最近は、国産ブドウで作る日本ワインの人気も高まっており、ビジネスとしても有望だ。

地域おこしや新たな輸出産業の育成を目論む国や地自体も、新規参入を後押ししている。一例が、小泉政権の構造改革の一環として出来た「ワイン特区」。従来、醸造免許を取得するためには、年間6,000リットル以上を醸造しなければならなかったが、特区ではこの条件が3分の1の2,000リットルに引き下げられた。この結果、資金力の乏しい個人でも醸造免許が取りやすくなった。ワイン特区は、2008年の長野県東御市を皮切りに、徐々に全国に広がっている。さらに、長野県がワイナリーの集積地を作る「信州ワインバレー構想」を打ち出すなど、ワイナリーの誘致に力を入れる地自体が増えていることも、新規参入の追い風となっている。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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