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食品の放射能検査、縮小の是非

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
福島第1原発1号機(出典:東京電力ホールディングス、2016年11月15日撮影)

中国の国営中央テレビが、福島第1原発事故後から輸入を中止している日本の「汚染食品」が中国内で売られていると報道し、波紋を呼んでいる。報道の内容は完全な事実誤認と見られているが、原発事故が引き起こした食の安心・安全の問題が依然、未解決であることが図らずもクローズアップされた形だ。こうした中、政府は福島県産などの食品に対する放射能検査を縮小しようとしており、消費者、生産者双方から懸念の声が出ている。

意見交換会を開催

東京都内で先月、「食品に関するリスクコミュニケーション~食品中の放射性物質の検査のあり方を考える~」と題した政府と消費者、事業者らの意見交換会が開かれた。

主催したのは、消費者庁、内閣府食品安全委員会、厚生労働省、農林水産省。原発事故から6年が経つ中で、事故の影響を受けた地域の農産物の放射能汚染が低減している現状を説明し、事故直後から続けている放射能検査を縮小することに対する国民の理解を得るのが目的だ。同様の意見交換会は、昨年から断続的に開かれている。

検査は現在、長野以東の17都県で、放射性物質の濃度が高い可能性があると推測される特定の農畜水産物を対象に、各都県が定期的に実施。厚労省が全体の結果をまとめ、公表している。

公表されている最新の検査結果(2015年度)を見ると、土壌や飼料管理の徹底で放射能汚染を減らすことができる野菜や果物、穀物、肉類などについては、安全性の目安となる100ベクレル/kgの「基準値」を超えた検体は、全体の0.002%。2011年度の同1.0%から500分の1に減っている。しかも、米、豆類・雑穀類、栽培きのこ類以外の食品では、2013年以降、基準値を超えた検体はない。

政府は、検査縮小を打ち出した理由として、まず、検査結果を根拠とした安全性の回復を挙げる。意見交換会で現状を説明した政府の担当者は、「検査の数値は問題ない程度に下がっている」と強調した。

検査コストは「40億円」

もう1つの理由が、検査にかかるコストだ。政府によると、2015年度までの5年間で17都県が検査にかけた費用は、合わせて約40億円。「自治体にとって大きな負担になっている」(担当者)。基準値を超えた放射性物質が検出されなくなった食品までも、毎年検査を続けるのは、費用対効果の面からも非効率というわけだ。

さらに、政府の担当者は、「検査しているから安心という声がある半面、本当は国も(安全かどうか)不安に思っているから検査を続けているのではないかと考える人もいるだろう」と述べ、本来、消費者に安心してもらうための検査が、逆に風評被害の広がりに手を貸す結果になっているのではないかとの見方を示した。

政府としては、国民の理解が得られたと判断すれば、放射能汚染対策をとりやすい野菜や果物、肉類などから、できるだけ早い時期に順次、検査を打ち切りたい意向だ。一方、今でも基準値超えの比較的多い野生の山菜、きのこ、ジビエ、水産物などについては当面、検査を継続する。

意見交換会の後半に開かれたパネルディスカッションでは、政府の検査縮小の方針に理解を示す意見が出る一方、生産者を含め慎重論も目立った。傍聴席からも厳しい反対意見が相次いだ。

「わからないことが多い」

パネリストとして意見を述べた福島県郡山市の農家、藤田浩志さんは、「(検査結果などの)情報がまだ消費者に十分に伝わっていない」と指摘し、「そうした状況で検査を縮小すれば、マイナスのイメージにつながる」と、拙速な検査縮小に懸念を表明した。

同じくパネリストとして参加した、東京都八王子市の市民団体「ハカルワカル広場(八王子市民放射能測定室)」の共同代表、西田照子さんは、「原発事故の影響はまだ全容解明されておらず、わからないことが多い。チェルノブイリ原発事故が起きた地域でも、いまだに放射能の測定を続けている」などと述べ、検査の必要性を強調した。

政府が理由に挙げる検査コストの問題についても、「検査費用が5年で40億円もかかったと言うが、国民が負担するにしても、日本の人口で割れば1人当たりの年間負担額は8円に過ぎない。健康被害予防のためのコストと考えれば、けっして高いとは思わない」と述べ、検査の縮小に釘を刺した。

傍聴席からは、「政府の議論は、環境中に放出される放射性物質がこれ以上増えないことを前提にしているようだが、福島第一原発の現状などを見れば、その前提はおかしい」「検査をやめれば、生産者が放射能汚染を減らす努力をしなくなるのではないか」といった批判や心配の声が聞かれた。

贔屓の引き倒しのリスク

原発事故から6年を経た現在でも、食品の放射能汚染を心配する消費者は依然、多いのが現実だ。

消費者庁が2月に実施した消費者意識調査では、「放射性物質を理由に福島県産品の購入をためらう」と答えた人は、過去最低とはいえ15%もいた。また、40%が「基準値以内であってもできるだけ放射性物質の含有量が低いものを食べたい」、21%が「基準値はもっと厳しくするべきだ」と答えるなど、政府が安全性の目安として設定した基準値そのものを信用していない消費者が多いことも明らかになっている。

専門家の間でも、100ベクレル/kg未満の食品でも継続的に摂取すれば、何らかの健康被害をもたらすとの意見は少なくない。検査の縮小で消費者への情報発信が後退するようなことになれば、かえって消費者の疑心暗鬼が強まり、いわゆる風評被害が強まる可能性もある。

日本の農業にとって輸出市場はますます重要だが、中国や韓国、米国、EUなど多くの主要国・地域では、放射能汚染を理由に、福島県やその周辺県からの農産物の輸入制限を続けている。情報発信の後退は、こうした輸出市場の扉に自らカギを掛けることにもなりかねない。

拙速な検査縮小は、「贔屓の引き倒し」のリスクをはらんでいる。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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