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我々が「裸」になった理由を遺伝子から考える

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
photo by Masahiko Ishida

タテガミが生えていた坂本龍馬

うちの近所に野毛山動物園という小さな動物園があるんですが、入場料が無料なのでたまに行ってなごみます。こないだの日曜、その野毛山動物園でしばらく動物を眺めて過ごしました。

多種多様な動物たちがいます。気になったのは、コロブスとかチンパンジーとかマントヒヒとか、サルの仲間はだいたい毛が生えていることです。同じサルの仲間である自分は、と眺めてみれば、もともと毛深いほうじゃないんですが、頭髪は薄くなってきてるし、連中に比べたらどうもお寒い感じがした、というわけです。

どうして、サルの仲間で人間だけに体毛がないんでしょうか。

調べてみると、その理由については諸説あるようです。高温多湿で体温の上昇を防ぐためになくなったんだとか、人間はもともと幼型成熟(ネオテニー)で体毛が生える前の状態で生まれてくるからだとか、ノミやシラミといった寄生虫から身を守るためとか。変わった説には、人間はかつて海で生活していたためになくなったのだ、なんてのもあります。私の好きな説は、セックスのときに肌がすべすべして気持ちいいから、というものですが、いずれにせよ、その理由はまだはっきりわかっていません。

また、頭髪と脇毛を含む陰毛だけが、なぜ残ったのかにも諸説あって興味深い。頭髪があるのは、大事な脳を守るためと太陽に近くて紫外線をたくさん浴びる部分だからだそうで、これは納得できます。脇毛や陰毛は、フェロモンを出す部分だから、という説と、生殖できる年齢に達していることを相手にわからせるためという説があります。

ただ、人間に体毛がない、というのは正確な表現じゃありません。自分の体をよく見ればすぐにわかりますが、色の薄い短くて細い毛が全身に生えています。こうした毛がないのは手の平、足の裏、唇くらい。人間には、頭髪も含めて約140万本の体毛が生えています。

そういえば、幕末の志士、坂本龍馬の背中には馬のタテガミのような毛が生えていた、と言われています。いろんな幕末回顧談に書いてあり、資料もあるそうなのでおそらく本当の話だと思いますが、毛深い人というのはいるもんです。

鳥肌は毛が生えていた名残り

我々の祖先は、チンパンジーのように全身に太くて長い毛が生えていました。それが、いつからか色の薄い短くて細い毛になってしまった。一見すると、毛のない「裸のサル」になってしまった、というわけです。

しかし、人間の胎児には、受精後5カ月くらいで全身に毳毛(ぜいもう)という産毛が生え始めます。この毛、頭髪以外は出産前までに抜け落ちてしまう。

胎児期に毳毛が生えていることが、進化の途中で人間が一時期、水中生活をしていた証拠だ、と言う人もいますが、個体発生が系統発生をトレースしてるだけとも考えられる。毳毛の存在だけで、水中進化説を唱えるにはちょっと説得力がなさそうです。

ところで、寒いとよく「鳥肌が立つ」ことがありますね。これも、人間にしっかりした体毛が生えていたころの名残りです。ゾクゾクして頭の毛が「総毛立つ」ということもある。これも鳥肌と同じで、皮膚の下にある立毛筋(起毛筋)という筋肉が収縮して起こる現象です。

人間も含めた毛の生えた動物の体毛は、ほぼ頭から尻、尾へ向かって斜めに生えています。平常時は斜めに寝ているこの体毛が、驚いたり怒ったりすると立ち上がる。寝ている毛が立ち上がるのと同時に、立毛筋の収縮で毛穴の周囲も盛り上がり、これが鳥肌になります。

人間以外の動物は、寒いと毛を立てることで皮膚の間に空気の層を作り、それが保温の役わりをします。また、怒ったりして外敵を威嚇するため、毛を逆立てて体を大きく見せている。人間が鳥肌を立てたり髪の毛が逆立ったりするのは、そうした動物の反応と同じなんですが、毛が細くて見えにくいため、毛穴の部分が鳥肌のようになる、というわけです。

シラミでわかる体毛の秘密

人間の体毛が薄くなり、頭髪と陰毛だけになったのは、いったいいつ頃なんでしょうか。そのナゾを探るためのヒントが、いくつかあります。

まず、シラミは、特定の宿主でそれぞれ種類が違い、固有の進化をとげることがわかっています。人間を含めたチンパンジーやゴリラなどに寄生するシラミについて、遺伝子を使って調べた研究者がいます。この研究によると、ゴリラのケジラミと人間のケジラミが分かれたのは、約330万年前だったことがわかったそうです(*1、米国、フロリダ大学自然史博物館の研究者らによる論文)。

ケジラミというのは、人間の陰毛に寄生して皮膚から血を吸う昆虫です。ごくまれに陰毛以外でも見つかりますが、ほとんどが陰毛に住んでいます。つまり、ケジラミは、セックスで感染することが多い。寄生されるとものすごくかゆく、最も忌み嫌われている虫の一つでしょう。

陰毛に住んでいるということは、ほかの類人猿と同様、人間の全身が毛におおわれていたころから一緒にいるシラミということになる。ゴリラのケジラミと人間のケジラミが分かれたころ、人間の体毛が薄くなり、体毛に棲息していたケジラミが陰毛だけに残るようになった、とも考えられます。

ところで、人間に寄生するシラミには、もう2種類います。アタマジラミとコロモジラミです。この2種類は遺伝的にほぼ同じとされ、ヒトジラミと呼ばれていますが、ケジラミとは別の種類とされ、学名も違う。人間に寄生するシラミには、前出のケジラミとは別にヒトジラミがいることになります。

アタマジラミは頭髪の根元にいて、頭皮から血を吸ってます。コロモジラミは衣服の繊維の間にいて、皮膚の血を吸う。アタマジラミとコロモジラミは親戚みたいなもので、わりと近い昔に枝分かれした種類と考えられています。コロモジラミは、その名の通り、我々のご先祖さまが衣服を身につけたころに出現したのかもしれません。

また、ヒトジラミには約118万年前に分かれた2つの系統があり、一方は今のホモ・サピエンスの祖先へ、もう一方はホモ・エレクトゥスという原人へ寄生していた、という学説もあります(*2、前出の米国、フロリダ大学自然史博物館の研究者らによる論文)。当然、原人に寄生していたヒトジラミの系統は、原人が絶滅することで一緒にいなくなった。しかし、この系統を調べれば人類の祖先の生活や移動についてわかるのではないか、とも言われています。

人類が衣服を着始めたのは約7万2千年前?

ところで、アタマジラミからコロモジラミが分かれたときに人間が衣服を着始めたのではないか。そう考えた研究者が、2種類のシラミの遺伝子を調べてみたそうです(*3、ドイツ、マックス・プランク進化人類学研究所の研究者による論文)。すると、コロモジラミが出現するのは、約7万2千年前だということがわかりました。

アフリカ起源の今の人間の祖先は、約10万年前から徐々に世界へ散らばり、移住を始めたと考えられています。暑いアフリカから出て、様々な気候帯に順応するために、衣服は絶対に必要なものだったでしょう。コロモジラミが出現した年代は、こうした人間の適応拡散の歴史にも当てはまっています。

ケジラミに話を戻すと、人間とゴリラの共通祖先が分かれたのは、900万年前から700万年前と考えられていますが、人間とゴリラのケジラミの共通祖先が分かれたのは約330万年前です。想像力をたくましくすれば、ケジラミの寄生が人類の祖先に何らかの悪影響を及ぼし、それを体毛を薄くし、寄生する面積を少なくすることで防いだのかもしれません。

逆にゴリラの祖先は、そうしたシラミ類への耐性があった、とも考えられます。もしそうなら、類人猿とシラミ類との関係をもっと深く調べてみる必要がありそうです。

シラミ類は寄生する宿主にしがみついて離れません。それが別の種類の生物に乗り移るためには、かなり密接な接触が必要になります。こうしたシラミの習性から、我々の祖先の進化や生活についてわかってくるかもしれません。

人間の場合、全身の体毛の代わりに産毛を生やしています。頭髪や陰毛以外に、濃くて太い毛の部分もある。すね毛は藪などを歩くときに、脚を傷つけないために生えていたものの痕跡でしょう。

女性ではUゾーンにニキビや吹き出物が出やすい人がいますが、この部分は男性でヒゲが生えてくる部分だから毛根が活発でニキビなどの原因になることがある。ホルモンのバランスが崩れている可能性がありますね。

遺伝子は、何万年もかけて人間の体毛を薄い産毛にしてきました。おそらく今はその過程にいるんでしょう。では、いつかはまったく体毛がなくなるんでしょうか。

体の産毛は、センサーの役割もしています。まだ目が開かない生まれたての赤ちゃんは、毳毛が抜け落ちた後の体毛なども使って外界をセンシングしている。だから、脱毛遺伝子によって体毛が薄くなっても、おそらく完全になくなることはないでしょう。女性と毛との戦いは、どうやらこれからもずっと続きそうです。

(*1:David L Reed, "Pair of lice lost or parasites regained: the evolutionary history of anthropoid primate lice", BMC Biology, 7, March, 2007, 5:7doi:10.1186/1741-7007-5-7

(*2:David L Reed, Vincent S Smith, Shaless L Hammond, Alan R Rogers, Dale H Clayton, "Genetic Analysis of Lice Supports Direct Contact between Modern and Archaic Humans", PLOS, October 5, 2004 DOI: 10.1371/journal.pbio.0020340

(*3:Kittler, R., Kayser, M. & Stoneking, M. "Molecular Evolution of Pediculus humanus and the Origin of Clothing", Current Biology, Volume 13, Issue 16, 1414-1417, 19 August 2003

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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