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我々が「評判」を気にする理由を遺伝子から考える

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
photo by Masahiko Ishida

評判を良くすることで利益を得る

樹上生活から地上へ降りた人間の祖先は、サバンナで二足歩行を始めると、それまでより厳しい環境で生き延びていかなければなりませんでした。それは約700年前とされていますが、人間が発達させた独特の高度なコミュニケーション能力は、こうした環境変化の結果、生まれたという説があります。

人間の祖先も最初は、親子や親族などの血縁関係にある人たちが協力し、獲物を捕ったり子育てなどをやっていました。ほかの生物同様、これは今でも根強く残っていて人間関係の基本にもなっています(*1、米国、ユタ大学の研究者らによる論文)。前の記事で述べたように、こうした生物の助け合い行動は、生まれついて備わっていると考えられています。

ほかの生物でも見られる行動なので当たり前ですが、人間の場合も生まれたての赤ちゃんは、人助けをする人には好意を感じ、邪魔をする人を避けようとするようです。赤ちゃんは言葉を覚えるよりも前に、他者を社会的に評価しているわけで(*2、米国、イェール大学の研究者らによる論文)、赤ん坊だと思って安心して変な行動はできません。

見られていると言えば、人間は他人の目があると、この助け合い遺伝子が活発に動きだすようです。「目」ですが、これは絵に描いた目でもいいし、ロボットの目を意識してもいい。絵でもマシンでも視線のようなものを感じると、人間は利他的な行動を増加させる、というわけです。

この他人の視線の正体は、いわゆる「評判」です。自分の評判を良くしておけば、将来、自分に見返りが返ってくるかもしれません。

同じような行動は、ほかの生物でも見られますが、逆に言えば、評判が関係ないところでは助け合い遺伝子の働きが弱まります。たとえば、前に紹介したソウジウオの場合、掃除している依頼主と同じ仲間の視線を感じているときには正直に寄生虫を駆除しますが、見られていないのがわかると本当は食べたい粘液やウロコをかすめとる(*3、スイス、ヌーシャテル大学の動物学の研究者らによる論文)。つまり、他者の視線、つまり評判は、利他的な行動にとってかなり重要なのです。

人間の複雑なコミュニケーション進化

人間は長い時間をかけ、地球上のあちこちへ適応放散しました。その過程では、初めて会ったような赤の他人同士が助け合ったこともあったでしょう。もちろん、集団同士が戦ったり、共食いしたり、といったこともあったと考えられます。

人間に特徴的な動機のはっきりしない「道徳」のような行為の根源をたどっていけば、協力したり闘争したりという個々や集団同士の複雑な関係がその背景にあると予測することも可能でしょう。人間は、道徳や倫理観を超越した「英雄的な行動」もする。我が身の危険を顧みず、自分とは全く無関係の人間を助けたり、人間以外の動物の命を救ったりすることもあります。

直接の見返りが期待できなくても利他的な行動をとったり、溺れている仲間を自分が泳げないのに助けようとしたという行動は、チンパンジーでも報告されています(*4、日本の京都大学霊長類研究所の研究者らによる論文)。人間の英雄的な行動も動機がよくわかりませんし、チンパンジーの同様の行動もその理由はまだわかりません。

最終的には集団の利益になるからとか、自分の血縁が同じように救ってもらえるチャンスを増やすとか、いろいろ考えられます。しかし、危険に際しての衝動的な行動ですから、利益とコストを計算したり予想したりしてるわけじゃないでしょう。やはり、そう行動するように働きかける、何らかの遺伝的なプログラムがあるとしか思えない。

人間の行動については、社会心理学や行動学、経済学などの分野で盛んに研究されています。コンピュータの発達により、ゲーム理論などを使って、人間の振る舞いを理解しようとすることも進められてきました。こうした手法で有名なのは、経済学の方面からアプローチする「共有地の悲劇」やゲーム理論から分析しようとする「囚人のジレンマ」といったものです。

共有地の悲劇というのは、コモンズの悲劇ともいいます。多数が共同で管理している土地の場合、無法状態になると最後に生きのびるものだけが利益を得るというロジックです。また、囚人のジレンマは、司法取引のゲーム理論で、取調官と仲間同士の二人の囚人との駆け引きですが、単純化した場合には裏切ったほうが利益を得る結果になる。

ただ、これらの理論には必ず反証が出てくるものです。当然ですが、現実の人間社会は問題を解決するためのさまざまなシステムが混在しているので、単純化されたモデルやゲーム理論のようなものが当てはまるとは限りません。

人間の特徴は「共感の遺伝子」

実際、助けたり裏切ったりという従来のシンプルな要素に、休息したり食欲を満たしたりセックスしたり誰かにケンカをふっかけるというような多様な項目を加え、より現実の世界に近い複雑で駆け引きがあるモデルを使ったシミュレーションでは、ずっと多様な結果になったそうです。従来のモデルでは、攻撃的なタカ派と平和を愛するハト派という2種類しか現れませんでしたが、さらにカラス的な行動(カラス同士は仲良くやり、ほかの鳥は攻撃する)やムクドリ的な行動(群を作って助け合う)をするタイプなどが出てきて、それぞれの関係はさらに複雑になりました(*5、ロシア、科学アカデミーの研究者らによる論文)。

また、有名な囚人のジレンマでも、価値観や個性の多様な人が加われば、利他的な行動が引き起こされるという研究もありますし(*6、ベルギー、ブリュッセル大学のコンピュータサイエンスの研究者らによる論文)、共生のネットワークこそが競争を抑制し、多様性を高めていくという意見もあります(*7、スペイン、マドリード自治大学の研究者らによる論文)。さらに、人間の場合、社会的な評価や偏見が、利他的な行動にかなり影響を与えているようですし(*8、米国、ハーバード大学の進化生物学の研究者らによる論文)、政治や行政、法律といった社会システムやメディア、インターネットといった情報の共有も広く活発に行われている。

もちろん、人間の「助け合い遺伝子」も動物と同様に働いていると考えられますが、人間は動物よりもさらに個体の個性が複雑かつ多様で、状況に応じて「助け合い遺伝子」が「ただ乗り遺伝子」を説得したり、逆に自分勝手な人が世話焼きな人を誘導したりしているわけです。

人間が持っているほかの動物にない能力は、他人の気持ちや体験を理解できる想像力です。それが赤の他人でも、喜びや悲しみ、気持ちよさや苦しみをあたかも自分のことのように共有できる(*9、米国、カリフォルニア大学バークレー校の研究者らによる論文)。これは「共感の遺伝子」とも言えるものですが、こうした能力を育てるのは、家庭環境や社会、教育でしょう。利己的な遺伝子と助け合い遺伝子に加え、共感の遺伝子を持っているのが人間の素晴らしいところでもあり、また逆に他人の気持ちがわかるだけにモツレたりコジレたりヨジレたりする原因にもなる。

いずれにせよ、情けは人のためならず。自分の行動は巡り巡って自分に返ってきます。助け合い遺伝子と共感の遺伝子にしたがって、利他的な行動を続けていればハッピーになれるかもしれません。

(*1:JONES Doug, BARKOW Jerome H., FOX Robin, ROGERS Alan, SMITH Eric Alden, TOOBY John, COSMIDES Leda, VAN DEN BERGHE Pierre L, "Group nepotism and human kinship. Commentary", University of Chicago Press, 2000, vol. 41, no5, pp. 779-809

(*2:J. Kiley Hamlin, Karen Wynn & Paul Bloom, "Social evaluation by preverbal infants", Nature 450, 557-559 (22 November 2007)

(*3:Redouan Bshary & Alexandra S. Grutter, "Image scoring and cooperation in a cleaner fish mutualism", Nature 441, 975-978 (22 June 2006)

(*4:Shinya Yamamoto, Tatyana Humle, Masayuki Tanaka, "Chimpanzees Help Each Other upon Request", PLoS ONE 4(10): e7416.

(*5:Mikhail Burtsev & Peter Turchin, "Evolution of cooperative strategies from first principles", Nature 440, 1041-1044 (20 April 2006)

(*6:Francisco C. Santos, Marta D. Santos & Jorge M. Pacheco, "Social diversity promotes the emergence of cooperation in public goods games", Nature 454, 213-216 (10 July 2008)

(*7:Ugo Bastolla, Miguel A. Fortuna, Alberto Pascual-Garcia, Antonio Ferrera, Bartolo Luque & Jordi Bascompte, "The architecture of mutualistic networks minimizes competition and increases biodiversity", Nature 458, 1018-1020 (23 April 2009)

(*8:Martin A. Nowak & Karl Sigmund, "Evolution of indirect reciprocity", nature, Vol 437|27 October 2005|doi:10.1038/nature04131

(*9:Yasmin Anwar, Media Relations, "Social scientists build case for'survival of the kindest'", CUBerkeley News, 08 December 2009

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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