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「競走馬の遺伝子」を考える

石田雅彦サイエンスライター、編集者
photo by Masahiko Ishida

勝てるウマとはどんなウマか

競馬好きは、5月31日に迫る第82回日本ダービー(東京優駿、東京競馬場、芝2400メートル)が楽しみでしょう。私はギャンブルをほとんどしません。宝くじにしても「タヌキ(タという字をタカラから抜く)クジ」ですし、公営ギャンブルはもちろんパチンコでも、賭け事というのは胴元が絶対に勝つようにできているからです。負けず嫌いというより、単にケチなんですね。

もちろん、他人の趣味までとやかくは言いません。知り合いに競馬が大好きな人間がいますが、東京から九州の小倉競馬まで通ったりして、そのエネルギーとパッションをいつも呆れつつ感心して眺めております。競馬好きは、もう四六時中ありとあらゆる情報をインプットしようとしている。

競馬に詳しくない私でも、こうした情報の中でウマの「血統」が重要ということくらいは知っています。血統と言えば遺伝子です。勝てるウマ、速いウマの遺伝子を見抜くことができれば、競馬好きにとって役立つ情報になるんでしょう。

もちろん、競走馬の血統について私風情が語るのは本当に恐れ多い。そう思いつつ気を取り直してちょっと調べてみると、こんなことは競馬通には常識なんでしょうけれど、どうも速いウマが、すなわち強いウマ、賭けるに値するウマ、というわけではないんだそうです。

では、どういうウマが、強いウマ、勝てるウマの遺伝子を持っているのでしょうか。

すでに解読されているウマの遺伝情報

競走馬の遺伝的な研究といえば、かなり昔から盛んに行われてきました。サラブレッドの祖先が英国に入った最初の3頭、いわゆる三大始祖のアラブ種だったという「定説」が遺伝的に明らかになったり、サラブレッド母系由来のミトコンドリアDNAを調べてみたら正式な血統書通りのウマは1頭もいなかったという報告が話題になったりしたそうです。

なにしろ、サラブレッドを商取引する世界では、とてつもない金額がやりとりされます。そうしたニーズを知れば、研究者が興味を持たないはずはありません。

ヒトゲノム計画に代表されるように、これまで数多くのゲノム(遺伝情報)が解読されてきましたが、ウマも例外ではありません。2009年には、国際的な研究チームが連携し、ウマのDNAから全ての遺伝情報を解読しています(*1、ウマゲノム計画、米国、ケンブリッジセンターのブロード研究所の発表)。この遺伝子解析のための遺伝子を提供したウマは、トワイライトという名前の米国産のメスのサラブレッドだったそうですが、約3年をかけ、世界の約30の研究機関が共同して彼女の遺伝子を調べた。

これによると、特定の機能が予想される遺伝子が2万322個がわかったようです。全ての遺伝情報が正確にわかれば、馬の走る能力や持久力、瞬発力などに関係する遺伝子が見つかるかもしれません。

タイプ別走力に関係する遺伝子

また、ゲノム解読とは別に、サラブレッドの走力について調べた遺伝子レベルでの研究があります(*2、アイルランド、ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンの獣医学の研究者らによる論文)。この研究では、ミオスタチンという筋肉に関係する遺伝子の違いを調べたそうです。

約5000個の塩基から構成されるミオスタチン遺伝子では、その中のたった2つの塩基がないとその機能を失ってしまいます。ミオスタチンは、筋肉を作り出すことを抑制している遺伝子です。

ウマではなく、筋肉が格段に発達したウシの品種からミオスタチンの変異が見つかっていますが、この遺伝子が働かないと、筋肉が過剰に作られることで代謝機能がコントロールできず、体脂肪の貯えが阻害され、特に成長期の発達などに大きな影響を与える、と考えられています。つまり、ミオスタチンの働きが弱まったり、なくなったりすると、筋肉がどんどん作られてムキムキになってしまうことになる。

この遺伝子を意図的に抑えつけることで、極端に筋肉質のニジマスが作られたりしています。また、人間でもごくまれにミオスタチンの異常が見つかりますが、そうした遺伝的な問題を持つ人は筋肉が異常にムキムキになってしまいます。

さて、サラブレッドのミオスタチン遺伝子の研究では、1998年から2009年の間に生まれたサラブレッド148頭を調べたそうです。それらを、両親が両方とも変異(筋肉ムキムキになる遺伝子)を持っていてそれを受け継いだウマ、ここで仮にグループAとしましょう。それから、片方の親だけが変異を持っていたグループBのウマ、両親とも正常で変異がないグループCのウマの三種類に分けました。

この148頭のウマそれぞれについて、優勝した中でもっとも格付けの高かったレースの距離との関係を調べた、というわけです。すると、ミオスタチンの変異を両親から受け継いだグループAが短距離で強く、どちらからも変異を受け継がないグループCが長距離で強く、片方からだけ変異を受け継いだグループBがその中間という傾向がわかりました。

特に、グループA(両親から筋肉ムキムキ遺伝子をもらった子ども)のウマは、短距離型にしかいなかったそうです。このグループの馬は、筋肉が発達してるので瞬発力があり短距離に強い。ちなみに、研究で当てはめたそれぞれの適正距離は、短距離が1200メートル前後、中距離が1800メートル前後、長距離が2000メートル前後となります。これからみると、日本ダービーはかなりの長距離です。

無事これ名馬の幸福とは

これは当然と言えば当然の結果ですが、競走馬が改良に改良を重ねられてきたこの約300年の間、短距離型、中距離型、長距離型のウマが作られてきました。遺伝的な情報がないまま、経験と勘だけでこれまでやってきたのは、まったくスゴいことです。

上記、アイルランドの獣医学の研究者らによる研究では、ちょうどレースデビューする二歳馬の場合、ミオスタチンの変異を両親から受け継がなかったウマより、ほかの2グループのウマのほう、つまりミオスタチンの変異があるウマに成功する傾向が強かったそうです。逆に考えてみれば、二歳馬の時点で速いウマ、強いウマというのは、将来、長距離での活躍はあまり期待できないのかもしれません。

競馬に詳しくない私なのでこれくらいにしておきますが、私の家の近所には引退した競走馬が集まる厩舎があります。そこではどのウマものんびり過ごしているように見える。

そのウマの得意な距離が遺伝的にあらかじめわかっていれば、不得意なレースに無理な出走を強いることはなくなり、怪我や故障も少なくなるでしょう。走れなくなったウマの末路というのは、私も小耳に挟んで聞いてはいます。

これからもっとウマの遺伝子が解明されていけば、レースに賭ける傾向も変わるかもしれませんし、「無事これ名馬」という言葉もあるように、かわいそうなウマが少しでも減ることにつながるわけです。さて、日本ダービーですが、リアルスティールが血統的に「日本近代競馬の結晶」と言われるドゥラメンテにどう挑むのか、興味津々。ドゥラメンテは、父系母系両方から長距離に強い「血」を受け継いでいるようです。

(*1:C. M. Wade et al., "Genome Sequence, Comparative Analysis, and Population Genetics of the Domestic Horse", Science 6 November 2009: Vol. 326 no. 5954 pp. 865-867

(*2:Hill EW, Gu J, Eivers SS, Fonseca RG, McGivney BA, et al., "A Sequence Polymorphism in MSTN Predicts Sprinting Ability and Racing Stamina in Thoroughbred Horses", PLoS ONE 5(1): e8645. doi:10.1371/journal.pone.0008645 (2010)

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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