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「スポーツ万能遺伝子」があるかどうか考える

石田雅彦サイエンスライター、編集者
photo by Masahiko Ishida

赤と白の筋肉を作る遺伝子

ブルース・リーやプロレスに影響されなくても、男の子なら運動神経のいいヤツに憧れます。男というのは単純なので、身体能力が高い人間なら誰でも簡単にほめたたえ、将来の自分に重ね合わせたりして夢を見たりする。

ところが、小学校高学年くらいになると、ほとんどの男子は自分の運動神経のなさに茫然自失し、中三の高校受験のころになると、ようやくプロスポーツ選手になるのをあきらめます。部活やったりバレエを習ったりしてた女子でも、似たような記憶があるかもしれません。

プロスポーツの世界で活躍してる選手や国際的な大会に出場するようなアスリートたちは、さすがに超人的とまで言えるような身体能力を持っています。運動音痴の当方とでは、遺伝子がまるっきり違うとしか思えません。このへん、いったいどうなっているんでしょう。

身体能力に関する遺伝子が話題になり始めたのは、2000年代に入ったあたりからでした。まず、筋肉です。筋力と運動神経は、スポーツの全てのベースです。人間の骨格筋には、大きく分けて2種類あります。それは赤と白、赤筋と白筋です。

赤筋は、ステーキやマグロの赤身のイメージ。有酸素運動でエネルギーを効率的に作り出し、代謝が高く疲れにくいので長時間の作業に向いています。ミトコンドリアが多く盛んに活動するのも特徴ですが、持久力がある反面、瞬発力はあまりありません。

白筋は、ササミとかヒラメの白身なんかを思い浮かべてもらいましょう。こちらは脂肪はあまり分解せず、代謝もあまりせず、エネルギーを作り出します。持久力はありませんが、瞬間的なパワーがある。ミトコンドリアは少なく、あまり働きません。

もちろん、筋肉を作るのも遺伝子です。ACTN(アクチニン)という第11染色体上にある遺伝子の2型と3型が、こうした人間の骨格筋、筋肉に関係してるんじゃないか、というのは、わりと前からわかっていました(*1、米国、ボストン小児病院の研究者らによる論文)。しかし、2003年にオーストラリアの研究者が、この遺伝子の違いによって運動能力に差がつくという研究を発表してから俄然、注目されるようになったのです(*2、オーストラリア、シドニーにあるウエストミード小児病院の研究者らによる論文)。

赤にせよ白にしろ、人間の筋肉には、α-アクチニンというタンパク質が必要不可欠となります。このタンパクのうち、α-アクチニン2を作るのがACTN2型、α-アクチニン3を作るのがACTN3型です。

長距離走者の遺伝子

2型の遺伝子は、赤筋と白筋の両方を作ります。一方、3型は白筋だけ。この白と赤の割合は人によってさまざまで、生涯あまり変化しません。本来なら、二つとも正常に機能しているべき遺伝子なんですが、これらの遺伝子が変異する(機能が低くなったり機能が失われてしまう)と、筋肉を作りにくくなります。

父親と母親から筋肉を作りにくい遺伝子を受け継ぐと、運動能力が落ちてしまいます。両親とも正常な遺伝子を持っていた場合、優れたアスリートになる可能性が高く、片親からだけならほどほどというわけです。

特に3型は変わりやすく、この研究をした研究者は、男女で発現のパターンが異なり、女性で変わりやすい、と考えています。つまり、この遺伝子の変異が、男女の運動能力にも影響している可能性がある。変わりやすい3型は白筋、瞬発力に優れたほうの筋肉を作ります。だから、3型の変異がない人には、優れた短距離走者が多かったんだそうです。

逆に言えば、長距離走者には、3型の変異が起きているほうが向いてる可能性がある、ということになります。実際、3型を失わせる実験をマウスにすると、白筋がなくなる代わりに赤筋やミトコンドリアが増えます。そのためか、3型の変異を両親から受け継いだ人には、長距離系のスポーツ選手が多い(*3、オーストラリア、シドニーにあるウエストミード小児病院の研究者らによる論文)。こうした短距離走者と長距離走者の違いについて、人間が生き残っていくために必要な多様性だった、と考えている研究者もいます。

ところで、3型の多型には人種的なバラツキがあります。父母両方から変異を受け継いだ人、つまり白筋が弱い人は、アフリカ系黒人では3%から10%以下なのに対し、白人では20%程度、アジア系では30%以上という差になるのです。

さらに興味深いのは、裸足の王様アベベを生んだマラソン王国エチオピアの場合、逆に40%にもなる。アベベ以外にもエチオピア出身の長距離走者は多いですね。これなどまさに「マラソン遺伝子」で、もしもこの遺伝子の変異が長距離走者の能力に関係しているとしたら、こんなに強力な証拠はないんじゃないでしょうか。

スポーツ関係の遺伝子は、ほかにもあります。例えば、ACE(アンギオテンシン転換酵素)遺伝子。なんてったって、エースです、エースで四番だ。アンギオテンシンというのは血圧を上げるための物質で、この遺伝子は動脈疾患や糖尿病に関係しているらしい。

ACE遺伝子にも多型があり、両親とも正常な場合は持久力が高く、両親から多型を受け継いだ人は持久力が弱い、という研究もあります。ただ、この違いについては、ACTN3型遺伝子ほどはっきりとはまだわかっていないようです。

そういえば、ACTN3型遺伝子でもミトコンドリアが活躍してましたが、このミトコンドリアの遺伝子が持久力に関係しているのではないかという研究もあります(*4、すでに事業を終了している日本、岐阜県国際バイオ研究所の研究者らによる論文)。これは、もともと高齢者に特有な病気、パーキンソン病やアルツハイマーなどとミトコンドリアの遺伝子の塩基多型の関係を調べるための研究でした。

彼らは、さまざまな年齢のさまざまな体質の人を対象に調べた中に、マラソン選手や駅伝選手がいて、彼らのミトコンドリアを調べてみました。すると、長距離走者に特有の多型が見つかった。平均的な日本人で同じミトコンドリア遺伝子の多型は6.2%だったのが、長距離走者では約50%という割合でした。これもまたマラソン遺伝子の候補です。

「ピカチュー」遺伝子とは

スポーツ関係の遺伝子で忘れてはいけないのが「ピカチュリン」という遺伝子です。これもミトコンドリアと持久力の関係と同じく日本人研究者がマウスで見つけ、ポケモンのピカチュウから名付けられた遺伝子で、ほ乳類の動体視力に関係していると考えられています(*5、日本、大阪バイオサイエンス研究所の研究者らによる論文)。

この遺伝子を失わせたマウスは、動くものを目で追う行動などに異常が出ました。なら逆に、ピカチュリン遺伝子が、動体視力に影響を与えていることがわかります。ひょっとすると、イチロー選手のような超一流のアスリートには、めちゃくちゃ活発なピカチュリンが備わっているのかもしれません。

一方、身体能力に優れた遺伝子があるのなら、逆に運動音痴の遺伝子もあるはずだ、と考えるのも当然です。例えば、運転免許の取得でも、一発で受かる人もいれば教習所に就職したんじゃないかってくらい落ち続ける人間もいます。

そんな免許取得に苦労するような遺伝子、それが「BDNF(脳由来神経栄養因子)関連遺伝子」です。BDNFというのは、運動や神経伝達、記憶、学習に関する物質です。脳のシナプスの可塑性、つまり神経伝達回路をつないだり復活させたりすることに影響を与えています。そして、これにも遺伝子の一つの塩基が異なった多型がある(*6、英国、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの研究者らによる論文)。

この遺伝的多型の場合、運動神経に問題が出たり、学習したことを忘れやすかったりします。こうした多型を持つ人は、正常な人に比べて運転免許の試験で誤った操作をする確率が、なんと20%以上も高かったのです(*7、米国、カリフォルニア大学アーバイン校メディカルセンターの研究者らによる論文)。

これまで、運動神経や身体能力に関係するいろんな遺伝子が見つかっています。それをスーパーアスリートの発掘や育成に使えば、一躍、我が国はオリンピックで向かうところ敵無しのスポーツ大国になれる。そう考える人が出てもおかしくありません。しかし、人間の才能っていうのは、遺伝的な面もあれば、環境もかなり作用します。本人のモチベーションや努力が大きく影響する分野でもあり、デザイナーズ・チャイルドみたいなキン肉マンを作ることは難しいんじゃないか、という人も少なくありません。

今では、口の内側の粘膜を送れば、格安でACTN3型のタイプを判定してくれるサービスもあります。ACTN(アクチニン)は、筋肉を作り、多型によって筋肉の質が変わる遺伝子でした。ところが、この遺伝子にしてもそうですが、多種多様な競技スポーツで特定の遺伝子が優劣を決めるのかどうかについては、まだまだはっきりとした解答は出ていません。

いずれにせよ、長い距離を「走る」という能力が、森から出てサバンナで暮らし始めた人間の祖先にとって、スゴく重要だったのは確かでしょう。こうした能力を獲得したのは、アウストラロピテクスからホモ・ハビリスへ進化した約200万年の間だったらしい(*8、米国、ユタ大学の研究者らによる論文)。ご先祖さまがサバンナを走り出してから人間の歴史が始まったとすれば、少なくとも長距離走者の遺伝子は我々の中に生きているはず。しかし、どうも私の中にはそうした遺伝子はなさそうです。

(*1:Alan H. Beggs, Timothy J. Byers, Joan H. M. Knoll, FrederickM. Boyce, GailA. P. Bruns, and Louis M.Kunkel, "Cloning and Characterization of Two Human Skeletal Muscle α-Actinin Genes Located on Chromosomes1 and 11", May 5, 1992 The Journal of Biological Chemistry, 267, 9281-9288.

(*2:Nan Yang, Daniel G. MacArthur, Jason P. Gulbin, Allan G. Hahn, Alan H. Beggs, Simon Easteal and Kathryn North, "ACTN3 Genotype Is Associated with Human Elite Athletic Performance", the Americanm Journal of Human Genetics. 2003 September; 73(3): 627-631.

(*3:Daniel G MacArthur, Jane T Seto, Joanna M Raftery, Kate G Quinlan, Gavin A Huttley, Jeff W Hook, Frances A Lemckert, Anthony J Kee, Michael R Edwards, Yemima Berman, Edna C Hardeman, Peter W Gunning, Simon Easteal, Nan Yang & Kathryn N North, "Loss of ACTN3 gene function alters mouse muscle metabolism and shows evidence of positive selection in humans", Nature Genetics 39, 1261- 1265 (2007)

(*4:MASASHI TANAKA, TAKESHI TAKEYASU, NORIYUKI FUKU, GUO LI-JUN, MIYUKI KURATA, "Mitochondrial Genome Single Nucleotide Polymorphisms and Their Phenotypes in the Japanese", Annals of the New York Academy of Sciences, Volume 1011, Mitochondrial Pathogenesis: From Genes and Apoptosis to Aging and Disease pages 7-20, April 2004

(*5:Shigeru Sato, Yoshihiro Omori, Kimiko Katoh, Mineo Kondo, Motoi Kanagawa, Kentaro Miyata, Kazuo Funabiki, Toshiyuki Koyasu, Naoko Kajimura, Tomomitsu Miyoshi, Hajime Sawai, Kazuhiro Kobayashi, Akiko Tani, Tatsushi Toda, Jiro Usukura, Yasuo Tano, Takashi Fujikado & Takahisa Furukawa, "Pikachurin, a dystroglycan ligand, is essential for photoreceptor ribbon synapse formation", Nature Neuroscience 11, 923- 931 (2008)

(*6:Binith Cheeran, Penelope Talelli, Francesco Mori, Giacomo Koch, Antonio Suppa, Mark Edwards, Henry Houlden, Kailash Bhatia, Richard Greenwood and John C. Rothwell, "A common polymorphism in the brain-derived neurotrophic factor gene (BDNF) modulates human cortical plasticity and the response to rTMS", December 1, 2008 The Journal of Physiology, 586, 5717-5725.

(*7:Stephanie A. McHughen, Paul F. Rodriguez, Jeffrey A. Kleim, Erin D. Kleim, Laura Marchal Crespo, Vincent Procaccio and Steven C. Cramer, "BDNF Val66Met Polymorphism Influences Motor System Function in the Human Brain", Cerebral Cortex (2010) 20 (5): 1254-1262. First published online: September 10, 2009

(*8:Dennis M. Bramble and Daniel E. Lieberman, "Endurance running and the evolution of Homo", Nature 432, 345-352(18 November 2004)

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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