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なぜ「良家」の娘たちは脱北を決心したのか? 「二度とないチャンスに人生賭け決死の選択」 脱北者が分析

石丸次郎アジアプレス大阪事務所代表
国境警備隊に検束された少年たち。脱北防止のため朝中国境は厳戒態勢が続いている。

中国の北朝鮮食堂の女性従業員の逃亡が相次いでいる。4月上旬の13人(うち男性一人)に続き、5月下旬にも陝西省の食堂に派遣されていた20代の女性従業員3人が韓国行を目指して逃亡した。北朝鮮で独身の若い女性で海外勤務ができるのは、忠誠度が高い家庭の娘に限られる。彼女たちは、なぜ、どのような心境で韓国亡命を決心したのだろうか? 日本在住の脱北者キム・スンチョルさん(仮名)は、「苦悩の末の決心があったはず」だという。キム・スンチョルさんに寄稿してもらった。(訳/整理 石丸次郎)

事件の具体的な経緯は後に明らかになるだろうが、大変なリスクを覚悟して韓国に行くために逃亡を決めた彼女たちの心の内を、北朝鮮を脱出して海外に暮らしている人間として考えてみた。

海外勤務中という、北朝鮮では極めて特殊な立場の女性たちとはいえ、逃亡の動機・理由は、他の多くの脱北者と大きな違いはないと思う。北朝鮮に戻った後に公安当局に捕まるなど身の危険を感じたり、韓国の豊かさや自由に憧れてのことである可能性が高い。言い換えると、個々の理由はどうであれ、「北朝鮮に住むのが嫌になって」逃亡を決意したのは間違いないだろう。

参考記事<北朝鮮>増える脱出支援求める連絡 ~覆う恐怖、見えぬ展望 金正恩氏から離れる民の心~

◆4月の13人逃亡を知って亡命決心か

5月下旬に発生した二回目の逃亡事件は、4月初めの一回目の13人の集団逃亡(寧波事件)の影響があったに違いないと私は見ている。つまり「ドミノ現象」だったと思うのだ。

13人集団逃亡という大事件の影響と営業不振で、海外の多くの北朝鮮食堂が店を閉め、女性従業員たちが北朝鮮に帰国させられていると聞く。彼女たちは、一度帰国させられたら再び海外に出る機会はめったにないということを知っている。

北朝鮮から直接外国に脱出するのは、食堂への派遣などで一度合法的に出国してから逃亡するより、はるかに大きな危険を覚悟しなければならない。それは、北朝鮮の人間であれば誰でもわかっていることだ。5月に逃亡した若い女性たちは、寧波の13人逃亡事件を知って、海外に出ている今こそが、北朝鮮から逃げて韓国に行くことができる絶好の、そして二度とないチャンスだと考えたに違いない。

関連記事「13人集団脱北」は金正恩式恐怖政治の副作用だ

アジアプレスが、寧波の北朝鮮食堂から13人が集団逃亡した事件についてどう思うか、北朝鮮の住民にインタビューした記事を読んだ。この中で、北部地域に住む30代の女性は「私でも、もし(中国に)出られるなら、逃げようと考えます」と話した。

脱出した13人に対しては「韓国に無事に行けると確信があるから逃げたと思う」と述べている。可能なら北朝鮮から脱出したいと願っている北朝鮮民衆の心の内をよく見せてくれるインタビューだったと思う。

参考記事<北朝鮮女性インタビュー>13人集団脱北事件を住民はどう受け取ったか? 「逃げたくない人がいるとでも?」

ショータイムに歌を披露する北朝鮮食堂の従業員。2013年7月延吉市にて
ショータイムに歌を披露する北朝鮮食堂の従業員。2013年7月延吉市にて

◆大きな葛藤があったはず

すべての脱北者が経験したはずだと思うのだが、寧波事件の13人も、5月の事件の3人も、食堂からの逃亡を決心するまで、大きな葛藤と苦しみがあったはずだ。 逃亡してから韓国にたどり着くまでの道程は、決して安全が約束されない命懸けだ。万一中国で逮捕されて北朝鮮に送還された場合、命は保障されない。

韓国に定着した脱北者で、北朝鮮に送還された経験のある複数の知人は、送還された時のことを思い出すだけで胸がどきどきすると言う。送還された脱北者らが拘禁施設で経験する屈辱と飢え、暴行や殺人的な強制労働などは、人間の想像を超越する地獄のようなものだった、と彼らは言う。

しかし、脱北を決心する上で最も悩ましいのは、自分の逃亡によって無実の家族や知人たちが被害を受けることだと思う。

北朝鮮から脱出した後の経験を述べておきたい。自分の脱出後、残された職場の同僚たちは、保安署(警察)、保衛部(秘密警察)などから厳しい尋問を受けたと聞いた。私の脱北の動きを事前に知っていたと見なされたら、それは過酷な処罰を受けたはずだ。

脱北した者が勤務していた機関や企業、居住地域では、脱北者を「背信者」「裏切り者」と罵倒し、同僚や所属の責任者を批判する集会が行われる。脱北とは無関係な人間が、大変な精神的苦痛を受けることになる。

脱北と無関係な周囲の人の被害がこれ程なのだから、脱北した者の家族に加えられる処罰の過酷なことは言うまでもない。脱北した者の地位、職種、脱出経緯によって受ける処罰には差があるが、残された家族、親戚は、酷い場合は政治犯収容所に連行されたり、山間地域に追放されたりする。

そこまで厳しくない場合でも、昇進や労働党入党が許されないなど、疎外された人生を歩まなければならなくなる。家族と周囲の者に降りかかるであろう不孝を想像して、脱北を考える者は皆、胸をえぐられるような苦悩を経験するのである。

参考記事<北朝鮮>「脱北者の家族は3代絶滅させる」秘密警察が住民対象の講演会 恐怖政治続く

秘密警察が「脱北者は韓国で仕事 なく飢えている」と映像で宣伝 「嘘だ」と看 破する住民も

前出のアジアプレスのインタビューで、北朝鮮に住む女性は次のように心情を吐露していた。

「10人いたら10人が、100人いたら100人が、1万人いたら1万人が、韓国に行きたくない人がどこにいますか? 電気、水道も出ないところで誰が暮らしたいと思いますか? 皆、親がいるから、行けないだけです」

北朝鮮脱出を簡単に決心できない理由をよく表していると思う。

◆韓流ドラマ見て韓国に憧れる若者急増

しかし、中国に派遣されていた20代の若い女性たちは、これらの葛藤と苦難をすべて乗り越えて、韓国行きを決断した。悲しみと喜びが交差する路程だったはずだが、韓国に行っても、また多くのことを克服しなければならないだろう。

私が知っている何人かの20代の女性脱北者は、北朝鮮にいた時に韓国ドラマを見て、韓国に対する憧れを肥大させて韓国に向かった。しかし、韓国での定着生活はドラマとは違う。ドラマで見た韓国の華麗さと現実の暮らしの大きなギャップは、若い脱北者に大きな失望を感じさせることになる。

北朝鮮食堂から勇気を振り絞って逃亡した女性たちにも、これからの韓国定着過程で様々な難関が生じるだろう。けれど、逃亡を決めた時の大きな心理的苦痛に比べると、それはいつか克服できる小さな障害に過ぎないはずだ。彼女たちをはじめ、北朝鮮から自由な世界に向けて脱出しようとする人たちの旅路が、無事に終わることを祈りたい。

参考記事 【アーカイブ】<脱北者に聞く北朝鮮>リ・ハナさんインタビュー1 北朝鮮では「戦争」が頭から離れない (全7回)

日本に暮らす脱北者200人、身元明かせず孤独募らせる

アジアプレス大阪事務所代表

1962年大阪出身。朝鮮世界の現場取材がライフワーク。北朝鮮取材は国内に3回、朝中国境地帯には1993年以来約100回。これまで900超の北朝鮮の人々を取材。2002年より北朝鮮内部にジャーナリストを育成する活動を開始。北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」 の編集・発行人。主な作品に「北朝鮮難民」(講談社新書)、「北朝鮮に帰ったジュナ」(NHKハイビジョンスペシャル)など。メディア論なども書いてまいります。

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