日本史必修化・「公共」新設は自殺者を出すだけ~繰り返されるカリキュラム改訂と未履修問題
日本史必修化、「公共」新設が記者会見で
日本史の必修化、「公共」科目の新設が新年早々報じられました。
今回はこの日本史必修化・「公共」新設についてです。
カリキュラム編成は失敗の山だらけ
結論から言えば、私は日本史必修化・「公共」新設には反対です。
なぜ、反対か、と言えば、これまでの履修科目編成が教育現場を混乱させるだけで実効性を伴っていないからです。
先ほどの記事では日本史について
「グローバル社会を見据え、日本のアイデンティティーを学ばせる必要がある」
「公共」については
「規範意識や社会制度などを高校生に教える新科目」
とあります。
ここで、日本史必修化については
イデオロギー色が強すぎる、
とか、「公共」新設については
「規範意識や社会制度などは高校生に教える話ではない」
と批判することも可能です。
ですが、そうした批判はこの記事ではとりあえずパスするとします。
どうせ、他の人がそういう批判をしているのでわざわざこの記事で書くこともないでしょうし。
さて、カリキュラム改訂の際には必ず「改訂する理由」がそれぞれ存在します。
1992年:世界史を必修化、家庭科が男女とも必修科目に
2003年:情報、総合的な学習の時間を導入
この4科目、それぞれ導入理由があることは言うまでもありません。
導入理由は、今月報じられた日本史・「公共」の必修化・新設理由と同じく、その時点での課題を教育によって解決するためのものでした。
現在、ある課題に対して教育ではどのような政策によって未来の日本を変えていくか、それは大切なことです。
少なくとも問題を放置せず対応策を考えて実行されるのは悪いことではありません。
しかし、日本の場合、文部科学行政にしろ、文教関連の政治家にしろ、
「教育の問題を解決するために××を実施(新規導入)する」
というところまではいいのですが、
「実施(新規導入)のために障害となる問題を解決する」
ができていません。
カリキュラム改訂で言えば未履修問題が挙げられます。
高校で未履修問題が起きる理由
未履修問題は学習指導要領で定められた必修科目を履修せず、受験指導などに振り分けていることを指します。
高校からすれば、生徒や保護者から大学受験指導の強化を求められている以上、やるしかありません。
それに今も昔も、進学校は公立も含め、進学実績が大きく注目されます。県によってはこの実績が人事にも影響しています。
2006年に発覚した未履修問題は世界史、家庭科、情報などか受験科目でないため未履修であることが日本各地で発覚しました。
高校現場が悪い?
この未履修問題が起きたとき、マスコミや文部科学省などは
「学習指導要領を守らない高校(のトップと教員)が悪い」
と批判。
この影響もあって、茨城県と愛媛県では県立高校の校長が自殺する事件まで起きてしまいました。
しかし、私は高校の校長なり教頭なり進路指導主事なりを非難すれば解決する問題ではない、とみています。
一方で、それぞれ意義があるにせよ学習指導要領を改訂しておいて、一方で生徒・保護者のリクエストがあり、さらにもう一方では難関大の大学受験は厳しいまま。
本来は、それぞれの課題を整理したうえで解決する方策を考えるのが文部科学省と文教関連の政治家の役割です。
しかし、これまでのカリキュラム改訂は、ある課題は解決したかもしれませんが、未履修問題が起きる可能性については
「高校現場でどうにかしろ」
進学校の生徒や保護者からすれば、受験指導が第一ですし、進学実績を気にする地方行政・政治も同じく、受験指導が第一。
高校側にそうした要望を止める権限がない以上、そりゃ、未履修問題は繰り返されることになります。
そもそも進学校では常態化?
2006年の未履修問題は文部科学省が救済策(補習とレポート提出で対応)を発表して一応決着します。
しかし、未履修問題はその後もくすぶり続けます。
2012年12月12日には読売新聞の記事で未履修の実態が明らかになっています。
今回、上がっている日本史と「公共」の場合、日本史は受験科目に選ぶ高校生が多いので、未履修となる可能性はそれほど高くありません。
しかし、「公共」については、内容のあいまいさも手伝って、情報、家庭科、総合的な学習の時間と同様、未履修の温床となる可能性はきわめて高いと言わざるを得ません。
日本史・「公共」を必修にするには?
日本史や「公共」、あるいはそれ以前の情報なども含めて、必修化・導入していく意義は認めます。
しかし、受験指導・対策やクラブ活動なども含めればどう考えても時間が足りず、無理があります。
日本史・「公共」に限らず、高校のカリキュラム改訂については以下の3点が解決策として考えられます。
その1:全科目を大学受験で必須科目扱いとする
その2:高校を3年制でなく4年制にする
その3:大学を秋入学制にして、高校は6月卒業にする(3.5年制)。
こういう方策を出すと、
「そんなの無理」
と言われる方もいるでしょう。
その通り。
「公共」も情報も家庭科も大学受験で必須科目なんてどう考えても無理。
※大体において、「総合的な学習の時間」、どうやって入試にするんでしょうかね?
4年制や秋入学・3.5年制化だって、導入にあたってはこれはこれで様々な問題を解決する必要があります。
高校3年制を維持したまま、大学受験で必須科目扱いも無理となると、考えられる方策は、これ。
その4:カリキュラムを現状よりも減らして最低限の必修科目は履修するように定める(履修したかどうかを確認するテストも導入)。あとは高校または自治体の自由裁量とする
もう、これしかないんじゃないですか?そうなったら、進学校は一斉に情報や家庭科などは履修しなくなりますけど。
それとも、
その5:学習指導要領は改訂して履修するよう定めるが、細かいことは高校現場任せ。何かあれば全部、高校が悪くて自殺者が出るまで批判する
というこれまでの方策を繰り返すことになるのでしょうか?
それこそ、規範意識や社会制度云々以前の問題と思う次第です。