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転校生クライシスを乗り切る8つのポイント

石渡嶺司大学ジャーナリスト

転校生と言えば、小説やドラマなどの題材や設定として使われやすく、古くは宮澤賢治の『風の又三郎』、大林宣彦映画・尾道三部作の『転校生』など、挙げていけばきりがありません。

冒頭の設定ということでは、ジブリ映画の『千と千尋の神隠し』を思い浮かべる人も多いはず。

あの千尋のふてくされ顔が、転校を象徴しています。

もちろん、転校を前向きにとらえる児童・生徒もいるでしょう。

が、その多くは、前の学校での生活や友だちから離れることの寂しさ、新しい学校でうまくやっていけるかどうかの不安感などが先立つものです。

もしも、転校先でうまく行かなかったら…。

そこで、今回は転校生が転校先でうまくやっていくためのポイントを文献ならびに私の経験談(失敗例)から、まとめました。

ちなみに私は、札幌生まれでその後、幼稚園から小学校1・2年生までが東京、3年生に札幌に転校。中学校は公立ではなく私立の中高一貫校に進学(当時はほぼ無名)。

今回の記事では、小学校の転校の個人談を含みます。

ポイント1:前の学校・地域の話をしすぎない

声を大にして言いたいのがここです。

特に、前の学校・地域で友達が多く楽しかった場合、子どもなので、前の学校が良かった、前の地域が、などなど、愚図るものです。

私がまさにそれ。

東京・大森という臨海工業地帯でわあわあ遊び、東京湾で釣りをしたこともありました。冬でも子どもは半ズボンで遊びまわるのが当たり前、という世界だったのです。

それが、札幌に転校すると、どうだったでしょうか。

忘れもしませんが、転校初日、札幌にしてはまずまず暖かく、それで半ズボンで登校。

ところが、当時の札幌は、

「夏でも子どもは長ズボン」

という掟でもあったのか、全員、長ズボン。

そこに私一人が半ズボンで行ったので、

「春なのに半ズボンを穿くヤツ」

ということで、とみに評価を落としました。

しかも、当時の札幌は、東京に比べて田舎でした。

いや、人口は100万人都市でしたが、テレビドラマの再放送は2年遅れで当たり前、子どもが遊べる公園や科学館は少ないし、子どもが入れる店も少なくて小さくて、あれもない、これもない……。

そういう話をして、当然ながら返ってくる答えは、

「だったら、東京に帰れば?」

と言うわけで、札幌の小学校時代は、なんか、いつもいじめられているような感じでした。

今、思えば、これ、私の方が10:0で悪いです。

テレビドラマの再放送は、それほど気にするポイントではないですし、公園や科学館なども十分にあります。

比肩する、とまでは言いませんが、子どもが楽しむには十分な施設でしょう。

東京で楽しかった分、その思い出を聞かれるままにバカ正直に答えてしまった、それが敗因です。

これと、同じ話を、つい最近聞きました。

採用コンサルタントの柳本周介さんに、

「転職・異動した社会人が新しい職場でポジションを掴むために」

というテーマで取材をお願いしました。

このときに出てきたことが、

「前の職場の話をしない」です。

柳本さん自身も採用コンサルタントとして独立する前、リクルートから何度か転職をしています。

しかし、そのとき、

「リクルートでは~」

と自分から話すことはなく、聞かれたらちょっと話す程度だったそうです。

「リクルートは残業手当が出ていました。が、転職先はそんなものなし。でも、その話をしたところで、『だったらリクルートに戻れば?』と嫌われるだけと最初からわかっていました」

あー、その話、30年前の小学生のときに聞きたかった…。

柳本さんと同じ話をしている方がプロ野球界にいました。

12球団全勝利を記録した、野村収氏(大洋~ロッテ~日本ハム~大洋~阪神)です。

同氏のコメントを自身も転職を繰り返した野球評論家の近藤唯之氏の著作『プロ野球 トレード光と陰』(新潮文庫、1991年)に書かれています。

野村はトレード哲学をつぎのように語っている。

「新しい球団に入ってきて、しゃべってはならないことがひとつありますね。前の球団の自慢話をしないことです」

こうなるとプロ野球の話ではなく、世間全般に通じる世渡り術だろう。いまの世の中、まだまだ、なんだかんだいっても、

「会社を変わるヤツはだめなヤツ」

といい張る男も多い。

私もそこらあたりを心得ていて、前の会社の自慢ばなしはひとことも、唇からは出さなかった。

「そんなに前の会社がよければ、前の会社にいればよかったのに―」

と思われるのがわかり切っていたからだ。

優勝請負人の江夏は、

「トレードされたら、気分を新しくして新球団にとけこむことだよ」

という。彼ほど実力があり、個性の強い男でも、そういうことに、心をくだいていたのだろう。

近藤氏も1980年代以前、報知新聞~東京新聞~夕刊フジと3社を転職。その経験が上記のコラムになっています。

繰り返しますが、こういう話、小学生のとき、知っておきたかった…。

まあ、子どもだから「前の学校は~」「前にいたところでは~」は悪気がない、とも言えます。

しかし、いくら本人に悪気がなくても、言われた方は面白いわけがありません。

ここは、親御さんが

「逆の立場になったらどう思う?」

などと、アドバイスする必要があるでしょう。

ポイント2:教科書の違いにこだわらない

転校すれば、教科書が変わるのも当たり前です。

地域・学校によっては進み方も異なります。

場合によっては、すでに1度学んだ内容をもう1度繰り返すということもあるでしょう。

これもポイント1と同じ。

「あー、ここ、前の学校でもう勉強した~」

と思わずいいそうですが、それを聞かされた相手は、だから何なんだという話です。

多少の違いは、児童・生徒の方が、そういうものだから、と飲み込む必要があります。

また、それを保護者の方がアドバイスするのも有効でしょう。

ポイント3:前の友達より、今の友達

前の学校で仲がいい友達がいると、懐かしく思うのは当たり前です。

今だと、携帯電話にSNSもあるわけで、連絡を取るのは簡単です。

完全に縁を切れ、というわけではありません。

しかし、前の友達のことを良く思いすぎて、今いるクラスで友達を作らないと、それはそれで問題でしょう。

ポイント7でも書きましたが、クラブや習い事などを始めて、クラス以外にも居場所を作り、そこでの友だちができればかなり変わるはずです。

ポイント4:方言は前より今に合わせる

違う地方に転校する場合、方言が違うと、どうしても周囲と違うことが起こり得ます。

これが同じ地域ないし隣接の地方だと、それほど違和感はありません。

しかし、遠距離の地方に転校する場合、言葉がそもそも通じない、意思疎通が図れない、ということが起こり得ます。

方言の違いなど、地方ネタを巧みに漫画化しているのが、47都道府県擬人化マンガ『うちのトコでは』(もぐら、飛鳥新社/4巻まで刊行)です。

詳しくは同書に譲りますが、方言の違いなどは俯瞰してみれば面白いものです。

が、転校生の当事者からすれば、言いたいことが伝わらない、意味不明だとバカにされる、当たり前のことを知らないなんてと言われる、などなど、なかなか深刻です。

これも、ポイント1と同じです。前の学校・地域の方言がいいか悪いかではありません。新しい学校で話されている方言に合わせる、ということしかないでしょう。

ポイント5:母親も家庭以外の居場所を見つける

転校生クライシスという点では、児童・生徒にのみ、目が行きがちです。

事実、私もこのコラムを書くまでは自身の経験からもそう思っていました。

が、保護者、特に母親が不安かどうかも大きい、と指摘しているのが、『福岡教育大学紀要 第50号』(2001年)に掲載されている論文「転校事態における転校生と母親の新環境適応」(小泉令三、江口裕美)です。

この中で、父親については、

「人間関係が大きく変わるものの、同一の企業なり組織であれば、職務内容はすでに決まっているし、仕事の手順等についてもそれなりの系統性が保たれていることが多い」

一方、母親は、

「主婦であれば、近所の人間関係はもちろんのこと、日常の買い物から交通・医療・金融機関、地域の自治組織などすべてが新しくなり、それらを生活空間として全くゼロの段階から構造化する必要がある。すなわち、母親の場合には、父親以上に新旧環境間の差が大きく、したがってその適応にはより多くの労力がともなうことも予想される」

としています。なるほど、確かにそうですね。

この論文では、母親も転校生も、環境に適応できるかどうか、お互いに影響がある(アンカーポイント)として福岡・北九州市に転校した児童・生徒の母親40人に調査しています。

「転校によって不適応にならなかった転校生の母親だけが面接を承諾している可能性がある」

としていますが、それでもなかなか読みごたえがあります。

「不適応にならなかった」、つまり、どうにか、転校生クラスを乗り切った母親でも、学校教員に対しては、配慮を求める、あるいは不満を述べる回答が「相当数あった」との記載があります。

クラス担任などが細かく配慮したことに感謝を述べる回答もあるのですが、逆に言えば、学校への配慮が求められている結果、と言えます。

それはさておき、母親が安定することも大切。専業主婦の方であれば、あえて学校PTAの役員に参加する、あるいは、パートでも、趣味の会でも何でもいいですが、家庭以外の居場所は作った方がいいでしょう。

ポイント6:学校教員と連絡を密にする、相談する

何かにつけバッシングされやすい学校教員ですが、転校生クライシスを分かっている教員は少なくありません。

不信感からではなく、まずは相談することで人間関係を作っていくことが大事でしょう。

一つ例を。

『上越教育大学心理教育相談研究第6巻第1号』(上越教育大学心理教育相談室、2007年3月)には、『担任教師カウンセラーを中心とした校内支援体制のあり方 転校により不登校となった生徒の事例を通して』(田口圭、宮下敏恵)が掲載されています。

なお、第一筆者の田口氏は中学校教員です。

この論文に掲載された不登校とその支援事例は、学校教員の苦労が良く分かります。

県外から転校してきたA子は入学式には参加、それ以降は不登校になります。

A子は、前の学校の友人と離れたことに落ち込み、連絡を取っていること、前の学校では神経質で完ぺき主義の傾向があったことを教員は前の学校や両親などから情報を収集します。

そのうえで、

「完璧主義という性格から、A子自身が不登校になっている自分を責めていることが考えられた。したがって、直接投稿を促すような言葉かけなどの刺激は与えないことにした」

さらに、

「学校全体で支援を行っていることを前面に出し過ぎるとA子自身にプレッシャーがかかることも考えられるため」

として、担任に窓口を一本化します。

とは言え、担任以外に、生徒指導主任(教育相談兼務)、養護教諭、校長、教頭とそれぞれ役割分担をします。

以降、家庭訪問をしていくのですが、

「登校意欲はあり、毎朝制服に着替えて、通学用の自転車を準備するが、一歩も進むことができない」

と話すA子に、

「ゆっくり待とう」

と声をかけます。

一方で、クラスにもA子の様子を伝え、クラスメイトからのビデオレターを作成するなど、A子の学級に対する所属感を高めていきます。

生徒が自主的に連絡を取るようになり、登校はしないものの、休日には買い物に行くようになっていきます。

6月には、

「登校時間をずらし、学校の敷地端まで母親とともに登校する練習を行う」

7月には、

「学年主任はA子が自宅で実施した定期テストの結果に順位をつけ、その結果をA子に渡し、学習意欲を維持するようにした」

9~12月には、校門までは登校、3学期修了式には制服姿で校長室に訪問できるようになります。

欠席日数は1年間合計で185日。しかし、2年次以降は「病気で数日欠席した以外はすべて登校」まで変わります。

ここまで見守ることができた保護者もしんどかったと思いますし、学校に行きたくても行けなかった生徒の心情も察するに余りあります。

が、この生徒と保護者を1年がかりでサポートした教員も私は素晴らしいと思います。

ここまで長丁場になるかどうかは分かりません。

いずれにしても、まず、転校前に学校に挨拶に行き、保護者の方が相談しやすいようにする、ということも大事でしょう。

ポイント7:転校1週間後、1か月後も要注意

転校直後は、世話好きな生徒・児童が面倒を見ようとしたり、関心を持つ生徒・児童も少なくありません。

直後だけみれば、溶け込めた、と取ることもできます。

が、物珍しさから集まるのは1週間か1か月程度。しばらくすると無関心になる、あるいは、いじめの対象になってしまう、ということも。

『児童心理 2012年6月号臨時増刊』(金子書房)に掲載の「子どもたちが納得する学習ルールをつくる」(東風安生/早稲田大学系属早稲田実業学校初等部教頭)では、20年以上前に5年生を担任していたときのエピソードを紹介しています。

台湾から来て、背の高い女の子が夏休み明け、二学期に転校してきました。

転校当初は、興味を持たれます。

教員は世話好きの子の隣の席にもしました。

しかし、9月下旬ごろから、クラスメイトは興味が薄れ、転校生から離れていきます。

世話好きということで隣席にした児童も、いじめというわけではないですが、面倒と思い始めます。

10月中旬には、保健室で休むか、欠席が増え、11月中旬には不登校状態になってしまいます。

ここで紹介されているケースは台湾からの転校生で、日本語もうまくなかった、という事情があります。

不登校になったきっかけも、日本語が下手と笑われたことでした。

しかし、この「最初は興味を持つ→1週間~1か月で興味を持たなくなる」というプロセスは、転校生にはありがちです。

この間に、クラブ・部活動に入る、習い事を始める、塾に通うなど、クラスの中だけでなく、クラスの外でも居場所を作ることを意識した方がいいでしょう。

ポイント8:「大規模校→小規模校」だとリスク低く、その逆だとリスク高いので学外利用も

「大規模校→小規模校」だと転校生クライシスはそれほど起こりません。

と言うのも、小規模校だと、教員と生徒・児童の距離が近く、ケアをしやすいからです。

『へき地教育研究 第57号』(北海道教育大学へき地教育研究施設、2002年12月)には論文「へき地・小規模校における不登校へのアプローチ2」(久能弘道、佐藤美鶴)が掲載されています。

この論文では、へき地・小規模校は「全教職員が担任であるという意識」があり、

「職員室で常日頃から児童の話をし、家庭の状況についても全教職員が知っており、予防的な対応に心がけている」

とあります。

それだけ人間関係が固まっているとも言えますが、どうしても生徒・児童数が多くケアしづらい大規模校よりはメリットがある、と言えるでしょう。

一方、「小規模校→大規模校」の場合、ケアしづらい可能性が高いことは否定できません。

ただし、大規模校の場合、学校教員だけでなく、学校カウンセラーなどが配置されていることもあります。

また、大規模校のある地域だと、不登校児のためのフリースクールなどもあるでしょう。そうしたところを利用する手もあります。

ここまで、転校生クライシスを乗り切る8つのポイントをご紹介しました。

もちろん、学校教員やカウンセラーなど専門家からすれば、もっと別のポイントもあるかもしれません。

ところで、単なる設定でしかありませんが、冒頭でご紹介した『千と千尋の神隠し』、あれ、転校後の世界、と考えてみると、ちょっと面白いと思います。

最初、ふてくされている→挨拶もできない→怒られまくる→段々と居場所ができる……

まあ、牽強付会であることは百も承知。

ただ、異世界から現実世界に戻った千尋が、その後、転校先でどう行動するのか、というのはちょっと興味のあるところです。

最後に、『児童心理』2011年12月号(金子書房)の「子どもの悲しみへの理解とかかわり 転校で親友と離ればなれになった」(輿水かおり)から、転校生の心境の変化をご紹介しましょう。

細かい事情などは省略しますが、転校直後は、

「一番つらかったのは、自分のことをわかってくれる友だちがいなくなったこと。一緒にいるだけでほっとしていた友だち、しゃべっていたらいやなことを忘れられる友だちが前の学校にはいた。なんだか本当に独りぼっちになったようで……自分がいなくなったような気がした」

しかし、教員のサポートなどもあって、大きく変わります。

「自分は失ったのではなく、新しく何かを増やしていくことができるのではないか」

これを読んでくれた、転校生とその保護者の方が、転校生クライシスを乗り切り、こう思えるようになることを願います。

(石渡嶺司)

大学ジャーナリスト

1975年札幌生まれ。北嶺高校、東洋大学社会学部卒業。編集プロダクションなどを経て2003年から現職。扱うテーマは大学を含む教育、ならびに就職・キャリアなど。 大学・就活などで何かあればメディア出演が急増しやすい。 就活・高校生進路などで大学・短大や高校での講演も多い。 ボランティアベースで就活生のエントリーシート添削も実施中。 主な著書に『改訂版 大学の学部図鑑』(ソフトバンククリエイティブ/累計7万部)など累計31冊・65万部。 2023年1月に『ゼロから始める 就活まるごとガイド2025年版』(講談社)を刊行予定。

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