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観光列車ブームはなぜ始まったのか ~デザイナー水戸岡鋭治さんに訊く~1/2

一志治夫ノンフィクション作家
昨年運行を開始した「或る列車」

今年も続々と登場する観光列車

いま、日本全国で次々と観光列車が名乗りをあげている。

昨年だけでも、水戸岡鋭治がデザインした「或る列車」(JR九州)をはじめ、「フルーティーふくしま」(JR東日本)、「のと里山里海号」(のと鉄道)、「花嫁のれん」(JR西日本)など各地で観光列車が走り出し、今年も、「ながら」(長良川鉄道)、「えちごトキめきリゾート雪月花」(えちごトキめき鉄道)など続々と新しい観光列車が全国で誕生することになっている。

震源はJR九州の観光列車群

ここ数年巻き起こっている観光列車ブームに先鞭をつけたのは、JR九州だ。

JR九州が外部デザイナーである水戸岡鋭治を起用して、最初の観光列車「アクアエクスプレス」の運行(博多~西戸崎間)を始めたのは1988年夏。このときは、観光列車ではなくリゾート列車と称されていたが、車窓から海が見えやすいように斜めに座席を配置したりと、斬新なデザインが話題を呼んだ。

その後もJR九州と水戸岡は、1992年に787系特急「つばめ」、1999年に由布院と大分を結ぶ「ゆふいんの森」と次々とアイディアに富んだ列車を発表し、九州独自の鉄道デザイン王国を築いていく。

ではなぜJR九州だったのか。

背景には、JR九州の経営環境があった。

一般に、鉄道事業の収益は、地域人口の多寡によって左右される。人口が多い大都市圏を抱える鉄道会社が儲かる仕組みなのだ。首都圏を抱えるJR東日本、横浜、名古屋のJR東海、大阪、神戸、京都があるJR西日本の3社はもともと圧倒的に優位な利益構造を有しているのである。逆に言えば、JR北海道、JR四国、JR九州は著しく分が悪い、ということになる。

国鉄から上記6社(他にJR貨物)へと分割民営化された1987年、JR九州の初代社長となった石井幸孝は、そんな不利な状況をなんとか払拭しようと、次々と奇手を打った。そのひとつが水戸岡という新進デザイナーの起用であり、1992年に水戸岡が新たにデザインした787系特急「つばめ」だったのだ。

「つばめ」は博多~西鹿児島間を4時間10分で走る九州縦断特急だった。水戸岡は、これをネジ1本から新たにデザインし、つくり上げた。

水戸岡が当時を振り返る。

「4時間の特急の旅でも、ただA地点からB地点に正確に安全に安心して人を移動させるだけで十分という考え方もあるわけです。でも、そこにプラスアルファ、情緒をどうやったら加えられるのか、と考えた。4時間を居心地よく過ごせる空間をつくるために、色、形、素材、使い勝手をどうデザインするか。飲んで、食べて、話ができて、ちょっと車内を移動できて。沿線の文化もあり、ちゃんとした車内サービスもあるといいよね、ということでゼロから車両をつくっていったんです」

こうして世に出た「つばめ」は、国際的な鉄道の賞である「ブルネル賞」をはじめ内外のデザイン賞を総なめにした。

23年経ったいまでも、787系車両は九州内の路線を走っていて、そのデザインがいささかも古びていないことに驚かされる。

787系「つばめ」
787系「つばめ」

水戸岡デザインが観光列車時代の嚆矢

水戸岡は、「つばめ」のデザインにおいていくつかの冒険をしていた。それまでの鉄道ではほとんど使われてこなかった木やガラス、皮といった素材を多用したのだ。木を使うことは、耐火性の観点から避けられ、ガラスもまた事故が起きたときに危険ということで、仕切りなどではあまり使われてこなかった。しかし、水戸岡は、安全性を確保した上で、持ち込んだ。もちろん車両メーカーからの抵抗はあったが、譲らなかった。さらには、間接照明を設置したり、荷物棚を蓋つきにしたりと、斬新なアイディアを次々と実行した。それは従来の日本の鉄道デザインを覆すものでもあった。

水戸岡はこう振り返る。

「電車の中に木を持ち込むという発想は日本ではなかった。メンテナンスが大変だとか、ランニングコストかかるからと、天然素材が入る余地はそれまでなかったんです。石油時代で合成樹脂製品がとにかく幅を利かせていたわけです。でも、これからの鉄道は、儲かる儲からないだけじゃなくて、ファンを持たなきゃいけない、『ローカル線で、こんなに揺れて、遅いけど、こんな素材で手間暇かけてるいる』と感動してもらわなきゃいけない。そのためには、一番厄介なことに手をつけないと成功しないと思ったんです」

こうして切り拓かれた道が明らかにその後に続く観光列車群に多大な影響を及ぼすことになるのである。

九州の観光列車の集大成となった「ななつ星」

2009年に唐池恒二がJR九州の社長に就任すると、一気に観光列車化が加速していく。唐池は「デザイン&ストーリー」というタイトルを掲げ、水戸岡デザインで「SL人吉」、「あそぼーい!」、「A列車で行こう」、「指宿のたまて箱」など九州各県の観光地を走る列車を次々と発表していくのだ。

水戸岡が言う。

「九州の鉄道の文化活動、経営戦略、デザイン活動がマスコミの目にとまり、日本の端っこの小さな会社が頑張っていると応援してくれたんですよ。貧乏だけど、頑張っているし、おもしろいゲームをするよね、と。そのマスコミの力が個人に伝わって、個人が応援してくれるようになった。しかも、それまでの鉄道ファンだけでなく、女性ファンとか、一般の人たちが注目してくれた。そして、子どもたち、おじいちゃんおばあちゃんと、3世代が鉄道を楽しめる環境が少しずつ九州で広がっていったんですね」

こうして九州の観光列車は年を追うごとに増えていった。そんな中から2013年10月、観光列車のひとつの集大成とでも言うべき列車が誕生する。豪華寝台列車「ななつ星 in 九州」が華々しくデビューしたのである。その内外装、サービスに世間は度肝を抜かれた。それはまさにJR九州と水戸岡鋭治の真骨頂とでも言うべきものだった。

大分県玖珠町の丘に立つ水戸岡鋭治氏
大分県玖珠町の丘に立つ水戸岡鋭治氏
ノンフィクション作家

1994年『狂気の左サイドバック』で第1回小学館ノンフィクション大賞受賞。環境保全と地域活性、食文化に関する取材ルポを中心に執筆。植物学者の半生を描いた『魂の森を行け』、京都の豆腐屋「森嘉」の聞き書き『豆腐道』、山形・庄内地方のレストランを核に動いていく地域社会を書いた『庄内パラディーゾ』、鮨をテーマにした『失われゆく鮨をもとめて』、『旅する江戸前鮨』など環境・食関連の書籍多数。最新刊は『美酒復権 秋田の若手蔵元集団「NEXT5」の挑戦 』。他ジャンルの著書として、、1992年より取材を続けているカズのドキュメンタリー『たったひとりのワールドカップ 三浦知良 1700日の戦い』がある。

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