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キング・カズは、なぜ引退しないのか

一志治夫ノンフィクション作家
元横浜FCのチームメイトで昨年引退した長谷川太郎氏をパートナーにグアムを走る

専属トレーナーが選手生命を延ばす

グアム島がまだ闇に包まれている朝5時半、カズは起きだし、借りているレジデンスの部屋でひとり体幹トレーニングを始める。黙々と足を、手を、動かし続ける。

心拍計を胸につけ、腕には、GPSのついた運動計測のための時計「ガーミン」を装着する。走った距離、運動データが自身のスマートフォンに瞬時に記録される優れものだ。

6時半前にはグラウンドに向かい、走り始める。5キロのランニングのあと、軽い全身運動とダッシュ、ストレッチなどをこなして、朝食前の運動は終わる。

朝食は、2005年からずっと帯同し続けている専任の料理人石川勝則がつくる。和食中心のメニューで、3食すべてを自室でとる。

こののち、午前中にボールを使ったフィジカルトレーニング、午後に筋トレを中心にした体幹やバランストレーニング、ストレッチと続く。それぞれの練習のあとには、クールダウンを兼ねて、併設プールでゆっくりと50メートルほど泳ぐ。

グラウンドから歩いて200メートルほどのところにあるプールで
グラウンドから歩いて200メートルほどのところにあるプールで

練習後には、1999年から内外を問わずほとんどの旅に同行しているトレーナー竹内章高のマッサージを受ける。カズがいまもなお、第一線にとどまっていられる大きな理由は、この竹内の存在があるからだ。身体のセンサーが何らかの異常や違和感を感じ取ると、カズはただちにそれを竹内に伝え、その場で原因を探り、傷が広がらないうちに手当をしてきた。50代を前にして、いよいよ身体のきしみは増しているわけだが、竹内を常に帯同することで、不測の事態を回避しているのである。

練習後、トレーナーの竹内章高が身体をほぐす
練習後、トレーナーの竹内章高が身体をほぐす

「どんどん身体が研ぎ澄まされていく」

カズはこれまで、所属チームである横浜FCが始動する前の10日間をグアム合宿に当ててきた。しかし、今季は、一昨年に引き続き12月に一度グアム合宿を行い、さらに年明けの滞在も10日間ではなく2週間に延ばして実施している。

トレーナー、フィジカルコーチらの渡航滞在費用はすべてカズ自身が払っている。永らえているのは、こうした自身への莫大な投資があればこそなのだ。

カズ自身は、グアムでの自主トレの意義をこう言う。

「グアムでは人に会う必要もないし、本当に集中力が増すんです。どんどん身体が研ぎ澄まされて、余分なものがそぎ落とされていく感じ。だから、もっと長く居たいぐらいです。ここの環境はとにかくいい。気候も文句ないし、グラウンドまでも歩いてすぐだし。走ったあとには、そのままプールに入れる。筋トレルームもすぐ近くにある。ここにいれば移動時間がないし、車の運転もしなくていい。煩わしさが一切ないんです」

しかし、裏を返せば、練習は単調な繰り返しで、ガス抜きもできない退屈な環境に身を置いているということでもある。それでも倦むことなく練習を続けられることこそがカズのカズたるゆえんなのだろう。

「まあ、確かに毎日続けていくって大変なことだけど、でもみんなだっていろんな仕事を毎日続けているわけでしょ。努力してるのは、僕だけじゃない。世の中には、僕以上に努力してる人はたくさんいるんです。別に僕が特別なわけじゃないと思うけどね。僕はやっぱり恵まれてもいるんですよ。契約してくれるチームもあるし、こうやって支えてくれる人たちもいるわけで」

ようやく朝日がのぼり始めた中で体幹トレーニングを行うチーム・カズ
ようやく朝日がのぼり始めた中で体幹トレーニングを行うチーム・カズ

「願っていることすべてが可能になるんじゃないか」

スポーツ選手が引退する理由はさまざまだ。モチベーションの喪失、体力の衰え、ケガ…。カズの中では、いまはまだ引退する理由が見つからない。「ここ、2、3年は、シーズンが始まる前に本当に戦っていけるか、という不安もつきまとう」とは言うものの、サッカーに対する情熱は、15歳でブラジルに渡ったときとまったく変わらないのだという。

そして、そのモチベーションに火をつけるのが、この年頭のグアム合宿なのだ。グアムでの「ウォームアップ」が身心をリフレッシュさせ、奮い立たせるのである。引退に手をかけないのは、グアムでの自主トレがあればこそなのだ。

グラウンドを見下ろす自室のベランダでカズは、こう言った。

「もうトータルで200日以上はここに滞在しているんじゃないかな。確実にここのグラウンドも2000周は回ってると思う(笑)、グアムに来ると元気が出る。自分の年齢とかも忘れてしまうし、まだいけるんじゃないかという気持ちにもなるんです。引退とかよりも、まだなんとかなる、いけるんじゃないか、そういう気持ちの方が強くなる。筋力だってまだアップしていけるんじゃないか、先発として出られるんじゃないか、願っていることすべてが可能になるんじゃないかと、そういう気持ちにさせてくれるのがこのグアムでの合宿なんです」

1月19日にグアムから帰国したカズは、チームに合流し、いよいよ40代最後のシーズンに臨むことになっている。プロ生活は31年目に突入する。

2016年1月15日、早朝のグラウンドに立つカズ
2016年1月15日、早朝のグラウンドに立つカズ
ノンフィクション作家

1994年『狂気の左サイドバック』で第1回小学館ノンフィクション大賞受賞。環境保全と地域活性、食文化に関する取材ルポを中心に執筆。植物学者の半生を描いた『魂の森を行け』、京都の豆腐屋「森嘉」の聞き書き『豆腐道』、山形・庄内地方のレストランを核に動いていく地域社会を書いた『庄内パラディーゾ』、鮨をテーマにした『失われゆく鮨をもとめて』、『旅する江戸前鮨』など環境・食関連の書籍多数。最新刊は『美酒復権 秋田の若手蔵元集団「NEXT5」の挑戦 』。他ジャンルの著書として、、1992年より取材を続けているカズのドキュメンタリー『たったひとりのワールドカップ 三浦知良 1700日の戦い』がある。

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