インドを揺るがすレイプ殺人 なぜ悲劇は後をたたないのか。

伊藤 和子 | 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長

残虐極まりないレイプ殺人事件がインドを揺るがしている。

昨年12月、23歳のインドの女子学生がバスのなかで、酒に酔った6人の同乗者から次々と集団レイプされ暴行を受け、その後死亡した。

犯罪者たちは、鉄パイプで彼女を殴り、鉄の棒を用いて性的な暴行をしたのだという。この過酷な性的暴行により彼女は腸管を損傷、臓器不全に陥ったという。バスから裸同然で車外に放り出された後も、しばらくは警官や通行人も彼女を助けようとしなかったという。

彼女はその後、病院で手当てを受けたが、手術の甲斐なく入院先のシンガポールで死亡した。

インド全土で抗議デモが全土に広がり、規模を広げ、激しさを増しており、インドは騒然としている。

あまりにも残虐なレイプで怒りを禁じえない。

しかし、現実には、こうした残逆な女性に対する暴力は、インドにおいては後をたたない。そのことを人々は再認識したのだ。

夫が死んで火葬されるときに、一緒に妻も火に身を投げて殉死せよと周囲が迫り、自殺を強要させるサティという慣習は近年まで続いてきた。

持参金を支払わない嫁から持参金を絞り上げるために虐待し、支払えないと腹いせに火をつけて燃やしてしまうダウリー殺人はいまだに後をたたず、残虐なDVで妻を殺害する事件も枚挙にいとまがない。

求婚を拒絶されると顔に硫酸をかける硫酸攻撃、独身や夫に先立たれた中高年女性に「魔女」とレッテルをはり、魔女狩りと称して死ぬまで暴行を続ける暴力。

女性の権利を守る活動をする若い女性をコミュニティの男性が疎んじてレイプした上に両腕を切り落とすという暴力。

こうした女性に対する暴力はインドで繰り返され報道され、報道されることもないまま犠牲になる女性たちがどんなに多いことかと思う。

今回の事件が発生したのはインドを代表する都市ニューデリー、どこかの保守的、Exremeなコミュニティで発生したのではない。いかに残虐な暴力が蔓延しているかを改めて認識させるものだった。

NGOヒューマンライツ・ナウでは、2009年に調査報告書を公表しているが、インドにおける女性に対する暴力の残虐性は、日本人にとって想像を絶する過酷さであり、調査時には「どうしてそこまで」と絶句したものだ。

その原因はなんであろうか。

暴力の残虐性や、女性に対する差別意識の根深い浸透など、長年の慣習・気質については理解しがたく思うことがある。

その一方、よくわかる背景もある。

ひとつには不処罰の横行がある。女性がいかに残虐に虐待され、結果として死に至ったとしても、暴力をふるった者が有罪判決を受けることは本当にまれである。

捜査機関は、女性が殺されたとしても深刻に受け止めることなく、きちんとした証拠収集も行わず、多くの場合立件すらしない。証拠が保全されないため、また、裁判所が女性に対する暴力を軽視しているため、多くのケースが極めて不合理なかたちで無罪となる。そしてそもそも、インドでは慢性的に刑事裁判が滞留しているため、一つの有罪判決を勝ち取るために7年、10年とかかるのが通常である。

遺族の多くは、有罪判決を待ち続けるよりも前に、司法制度に絶望し、わずかな金で示談して事件を終結させてしまう。

昨年は、レイプの被害者の女性が警察に被害を訴えたところ、警察から加害者と結婚するよう逆に進められ、絶望して自殺してしまったという事件も起きている。

性犯罪をきちんと捜査し、適切な司法判断をし、不処罰を乗り超えようとする意志が司法関係者、捜査関係者にみられない(長い報告書ですが、よろしければお読みください。http://hrn.or.jp/activity/topic/post-37/)。

こうした不処罰の横行は、女性はどんなに残虐に虐待しても罰せられない、いくら虐待してもよい、という不処罰の文化をつくっているように思う。

社会に横行する女性差別、そしてカースト差別が結びついて、特に低カーストの女性には何をしても許される、という雰囲気が社会に充満している。こうした「何をしても許される」という意識の蔓延が、警察や通行人すら、裸同然にされ、重傷を負った被害者女性にすぐに手を差し伸べることもないという状況をつくりだしたのではないだろうか。

女性たちはこうしたこと、長年抗議し続けても全く変わらない現実にフラストレーションを募らせ、怒りを爆発させているのだ。

容疑者たちのうち、少年をのぞく5人は訴追され、7日、ニューデリーの裁判所に出頭し、これから司法が裁くことになる。

政府も性犯罪捜査の徹底をしていく考えを示した。

過熱した世論の要求は入り乱れており、性犯罪への死刑導入も含むさらなる厳罰化や、加害者への肉体的懲罰も含めた検討、少年法の改正(厳罰化)が提案されている。

しかし、必要なのはもっと基礎的なことだ。女性に対する暴力被害が全く救済されず、加害が放置され、横行している状況をきちんとやめさせることだと思う。

警察や公務員が女性を性犯罪から守る責務をきちんと果たすこと、女性を守るための適切な警察官等公務員の人員配置を行うこと、性犯罪被害に関するきちんとした捜査と証拠保全を行い、早期に判決を出すこと、裁判官や司法関係者の性的偏見をなくすためのトレーニング・教育を徹底することである。

子どもたちに対する教育も徹底する必要がある。

インドには活発な女性運動があり、NGOがある。

NGOによるトレーニングや女性を守る警察官の創設など、一部のグッド・プラクティスはこれまでもインドのあちこちであったけれど、政府や司法には解決のための政治的意思が見られず、一部の先進的な取り組みでは焼け石に水、全体にひろがっていない。

インドは法改正が得意な国であり、問題が起きるためにエリートによる審議会がつくられ、法改正をしてきたが、現実には、いかに素晴らしい法律も絵に描いた餅に終わり、明確なレイプ事件でも犯人を無罪放免にしてしまう実態に堕するということを繰り返してきた。

いかに素晴らしい法改正を繰り返しても効果がないので、これ以上法改正するならば、人権上問題がある強硬手段的法改正に踏み切らざるを得ないというプレッシャーを立法府は感じているはずだ(たとえば警察官による性犯罪については刑事裁判の原則である無罪推定原則が覆され、立証責任が転換された)。

しかし、そうした方向性は人権上の問題があると同時に、被害者救済や不処罰をなくすためには実は実効性がなく、真の解決にはならない。

それは繰り返された歴史が示している。

問題は法律を実行する執行体制、性犯罪の被害者を保護と予防の体制の構築であり、公務員の意識の抜本的転換、捜査機関・司法の機構改革であり、そのための政府の強い政治的意思なくして解決はないだろう。

サティや残虐なダウリー殺人があかるみになるたびに、インドでは、全土で抗議運動が展開された。

今回、かつてない規模に広がった抗議運動は今度こそ、インドの現実を変えることができるか、注目していきたい。

伊藤 和子

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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