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舛添発言に思う。性差別主義者は都知事になってほしくない。

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

脱原発など、今後の日本の進路を問う争点が争われている東京都知事選。本当に重要な選挙である。

世論調査では、オリンピック推進等を掲げる舛添さんがトップに立っているようだが、ここにきて、「舛添候補の女性蔑視発言」が取り上げられ、一部の女性たちの間で批判が沸騰している。

最初は「ネガティブキャンペーンか? 」と思ったが、報道を見て私も唖然とした。そこで今日はこれを取り上げたい。

日刊ゲンダイによれば、過去に、

「本質的に女性は政治に向かないと思う」「女性の政界進出には基本的に非常に問題があるというのが僕の考え」という女性蔑視発言をしているという。

1989年に「マドンナ・ブーム」という女性議員の大量当選があったが、女性の国会議員が増えたことについて、

〈歴史的な例外の時代であって、だから、女ごときが出てこれる〉

〈だけど、あのオバタリアンは全部“あがった”人ばかりなんでしょう〉

と言ったそうだ。

http://gendai.net/articles/view/news/147665

これは、、、あまりにもひどい発言。あまりにも女性を馬鹿にし、愚弄し、見下している。

これほどまでひどいことを言ったのか、と驚愕した。

さらに、こんなふうにも言っているそうだ。

「僕は本質的に女性は政治に向かないと思う。たとえば、指揮者、作曲家には女はほとんどいない。女が作曲した曲に大したものがない。なぜか、と考えてみると、実は指揮者は政治家に似ていることに気づいたわけ。オーケストラを統率する能力は、女性は男性より欠けているわけです。作曲家が少ないのも、論理構成をして様々なパーツを上手にワンパッケージにまとめる能力がないから。これはシングル・イシュー・ポリティックス(単一争点政治)とも関係してくる。」「それから、体力の差ということでいえば、政治家は24時間、いつ重要な決断を下さなければいけないかわからない。そのとき、月1回とはいえ、たまたま生理じゃ困るわけです」「女は生理のときはノーマルじゃない。異常です。そんなときに国政の重要な決定、戦争をやるかどうかなんてことを判断されてはたまらない。

出典:。」(BIGMAN1989年10月号「増殖マドンナ議員は日本をダメにするか!?)福島瑞穂議員ブログから引用。

女性は生理の時はノーマルじゃないから、重要な決定が出来ないだなんて、なんという偏見であろうか、

この理屈では、国の重要な意思決定に女性は参加する資格がない、という結論になろう。

それに、国政の重要な決定として、日本では放棄したはずの「戦争をやるかどうか」というのが例示されているのもいかがなものか。

このようなことを公然という政治家が平然と許されているのが、日本の重大問題だと思う。

通常、これほどあからさまな性差別発言をすることは、環境型セクハラとして企業や大学等では絶対に許されないということになる。

欧米では、性差別主義者は選挙で到底勝つことはできない。セクシストという蔑称で呼ばれ、有権者の厳しい審判に晒され、政治生命がたたれる。

過去のこととして無視するのでなく、メディアなども追及して姿勢を正してもらいたい。私たちも「まあいっか」と多数に流れて投票してしまうのでなく、きちんと追及し、現在の政治姿勢を問いただすことが必要なのではないか。

ところが舛添氏は世論調査ではトップである。

今に始まったことではないが、日本の女性は、自分たちを蔑視したり馬鹿にする発言を男性がしても、きちんと怒らずに笑って許してしまうことが多い。セクハラ的な発言、自分を傷つける馬鹿にした発言をする上司や、男性政治家に対し、きちんと抗議せずに、支持したりサポートしてしまうことがしばしばある。身近な存在である夫に対してもきちんと抗議しない。

私はこういうことが大変悔しい。特に投票は、職場でセクハラに抗議するほどの勇気も必要なく、ただ投票所に行って書けばよいだけなのに、なぜか女性差別的な言動をしている人に投票してしまう。そんなことでは、女性蔑視は続き、セクハラは横行し、女性たちの自己評価は低いまま、女性はプライドと尊厳をもって生きていくのが難しい。

あまり争点になっていないが、重要な問題として、きちんと釈明してほしいものだ。

あるいは、舛添氏も今ではこのような考えを改心したのかもしれない(不明)が、少なくとも過去の発言を謝罪し、撤回・訂正しない限り、知事の資格は疑わざるを得ない(ゲンダイによれば、コメントも出していないようだが、チェックしていきたい)。

そして、性差別的感覚を持っている人と言うのは、他の差別についても根深い意識を持っていたりするので、要注意だ。

ある類型の自分とは異なる人間をひとつの枠にくくり、「だから●●はだめだ」という差別的な評価をし、それを公言する傾向。

それは女性差別にとどまらず、レイシズムなどあらゆる差別に通底する。

今、東京では、ヘイトスピーチ、外国人排外の気分で満ちている。「殺せ」と叫ぶようなデモが続く中、

ずっと日本に住み続けて、日本を故郷としている在日外国人皆さんは恐怖の中を生きているという。

事態を放置すれば事態はもっと深刻になっていくであろう(しかし、在日外国人の方には投票権がなく、都知事選に参加すらできないのだ)。

東京オリンピックを積極的に持ち出すつもりはないけれど、国際的なスポーツの祭典であるオリンピックを迎える東京の都知事が、性差別主義者であり、表面上はいんぎんでも実は根深い女性蔑視の差別主義ということではどうだろうか。

また、外国人が恐怖を覚えるような差別・排外の横行する首都として、オリンピックをホストするようなことになれば、世界各国からは到底受け入れられないことであろう。

私は差別をしない、人権感覚のある人に知事になってほしい。

主要紙すべてを購読していないのであるが、ネットで見る限りでは、この問題、主要メディアではきちんと取り上げられていないようにみえる。主要メディアが女性蔑視発言をあまり取り上げず、争点化もしないのは、メディアを構成する人間のマジョリティが、マイノリティとして差別されたことのないエリートだからだろうか。

それとも、相次ぐ人権を軽視した政治家等の発言のなかで、人権感覚が麻痺しているのだろうか。

是非、重要な選択の視点として、有権者の方、特に女性には、考えていただきたい。

私たちもいつか、洪水のような不見識な発言のなかで、人権感覚が麻痺し、差別が横行する東京(日本)で心の痛みもなく平然と生きていく、ということにならないように。

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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