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政治に委縮する官僚

伊藤伸構想日本総括ディレクター/デジタル庁参与

国会議員秘書を経験していた私にとって、3年半の霞が関生活で一番違和感を持ったのは、国会議員への対応だった。

官僚は、国会議員をとても意識する。例えば、政務三役(大臣、副大臣、政務官)への対応。

政務三役がおもむろに呟いたことなど、一挙手一投足を見逃さず、そこから導き出される選択肢をすべて用意し、どこに転がっても 答えを出せるように思考を巡らし資料を準備する。

この姿勢は、いわば自分の会社の社長や上司を支えるという意味でとても重要なことだ。ただし、それは程度も必要であり、そのためにかかる時間と労力も考慮する必要があるのではないだろうか。特に若手職員にそのしわ寄せがくる。

資料をたくさん用意する前に、政務の真意をもう少し聞いた方が準備もしやすいと思うことも多かったが、「大臣に聞く」という行為は、重大な局面になってから、という意識がある。だから、いわゆる「忖度(そんたく)」をする。

大臣等政務三役の時間を取ることができず、忖度せざるを得ない状況が多々あるし、私自身が政治任用で政務三役との距離が近かったため余計に感じるところではあるが、役人が忖度したことが実は違っていた、ということは一度や二度ではない。

また、政府の中にはいない一般の議員に対しても、伝聞情報に右往左往したり、資料要求や党の会議での発言を受けて「こんなことが考えられる」「先に抑えておいた方がいい」などの議論を重ねたりもする。

「そこを気にするよりも自分たちの組織として何が正しいかを考えた方が生産的では」と思うこともあった。

このような官僚の思考パターンは、決して今に始まったことではないと思うが、より激しくなっていると感じる。なぜかと考えてみると、官僚がことあるごとに政治(やメディア)に叩かれ続けたからではないだろうか。

議員の言っていることにおかしいと思って反論すれば叩かれ、メディアには「官僚の巻き返し」などと書かれる。議論の内容を見て書かれるならば仕方ないし実際そういうこともあったと思うが、多くは議論の中身ではなく、政治の考えに官僚が反論しているという、「構図」のみに着目される。すると官僚は委縮し、「得点」を取ることよりもいかに「失点」をしないかを優先的に考える。

特に以前の民主党政権は、官僚と一線を画すことを野党時代に政策の中心として掲げてきたことで、官僚側が政治との距離感を図りにくくなったため、より顕在化したのかもしれない。

私は多くの官僚と一緒に仕事をしてきて、能力は非常に高いことを実感した。ただ、その能力が違うベクトルに向いた時には、非効率、非生産的にもなる。全体最適ではなく、矮小化された部分最適に向くこともある。

「官僚=悪」と切り捨てることはある意味で簡単だが、なぜそのように見られるのか、その背景を考える必要があるのではないだろうか。そう考えた時、官僚だけの問題ではなく、政治やメディアや私たち国民の意識も関連しているのではないかと感じている。

構想日本総括ディレクター/デジタル庁参与

1978年北海道生まれ。同志社大学法学部卒。国会議員秘書を経て、05年4月より構想日本政策スタッフ。08年7月より政策担当ディレクター。09年10月、内閣府行政刷新会議事務局参事官(任期付の常勤国家公務員)。行政刷新会議事務局のとりまとめや行政改革全般、事業仕分けのコーディネーター等を担当。13年2月、内閣府を退職し構想日本に帰任(総括ディレクター)。2020年10月から内閣府政策参与。2021年9月までは河野太郎大臣のサポート役として、ワクチン接種、規制改革、行政改革を担当。2022年10月からデジタル庁参与となり、再び河野太郎大臣のサポート役に就任。法政大学大学院非常勤講師兼務。

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