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「氷水問題」実行する人を責めるのはいかがなものか?

神田敏晶ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント

KNNポール神田です。

「氷水問題」実行する人を責めるのはいかがなものか?

先週、指名されて氷水をかぶってきました。寄付はしていない。

日本も先週(2014/08/24/SUN)と、うって変わって、夏の終わりを感じるこの季節。この頃に、アイスバケツチャレンジの指名を受けた人は、辛いばかりだ。さらに3人指名するとなると、まさに不幸の手紙的なチェーンメールになりえる。

さらに、ALSアイスバケツチャレンジの事で、なんだか指名されてしまい氷水をかぶろうとしている人や、かぶらないといけないのかと悩んでいる人に、「おせっかいな人々」が、とやかく意見しているからさらに困惑する。氷水をかぶるのは簡単だが、そのあとの非難の声を考えると頭がいたくなる人も多いはずだ。現在では、セレブから一般人へと移行しているからなおさらだ。

「氷水をかぶって何になるんだ?」「だまって寄付すればいいだけ」「難病はALSだけじゃない」「単なる売名行為」「ふざけてる」…。批評は自由なんだけど、なんだかこのALSのアイスバケツチャレンジをするリスクの方が増える一方の状態だ。

そもそも、このチャレンジは、SNSの法則である「6ディグリー理論ケビン・ベーコン数)」で考えると3人の3人の3人のべき乗法則で考えるとたったの6つのつながりで世界70億人に達してしまうので、一過性のものということは安易に予測できる。おそらく、もうこのアイスバケツチャレンジは2014年9月初旬になると、世界中で、「今頃、氷水?」的な雰囲気になっていることも確実だろう。24時間で3人回せば、指数関数的にまたたく間に世界に伝搬するからだ。

しかし、このSNS的なバズパワーを活用したALSのキャンペーンは見事だと言える。プロモーション費用は限りなくゼロに近く世界中をバズらせている。その秘訣は、ALSの事を知ってもらいたいという「大義」があったからだ。海外ITセレブがあっという間に協力したことも記憶に新しい。

人はSNSで出来る限り、善行をおこないたいと考えている。そして、邪悪にならないように清めたいと考えている方が多い。しかし、実際は清濁あわせもつ濁流と化しているのが現状だ。

マス的な情報を、鵜呑みにしていた時代とは違い、デマかどうか、信頼に値するかどうかを個々が考え始めた時代といえるだろう。だからこそ、このALSバケツチャレンジについていろんな議論が自由に行われている。

氷水をかぶるという文化が日本にないことを考えてみたい。欧米では、氷水をかぶって祝福する文化がある。古くは「聖水」をかけ、けがれをお祓いするという行為から、ナポレオン時代からのシャンパンを浴びて祝福する「シャンパンファイト」文化が浸透している。日本でも野球界やモータースポーツ界ではビールかけやシャンパンかけは恒例となっている。このバカ騒ぎを慎め、農作物をもったいないと考える人もいるだろう。ただ、むしろそこまでして祝福したいという特別なイベントであることは理解できるのではないだろうか?

アイスバケツチャレンジも、ALSという難病に対しての理解を深めるために、連鎖的に「氷水」のバトンを回すというアクションであり、寄付も促進できるというメリットもある行為だと思う。

しかし、「社会の中で、氷水を頭からかぶり、映像をアップロードする」という行為は日本人的な感覚では、ファーストフード店の冷蔵庫に入るイタズラ的な要素でとらえられているのかもしれない。

そもそも文化という壁は、なかなか外国では理解しがたい部分がある。日本の「節分」を見たら、豆類に神々が宿る中南米の人は?な想いで、しかも、なぜ豆で鬼退治するんだろう?と考える。岩やら石とか銃ではダメなのか?また、ユダヤ人の割礼は幼児虐待にあたると考えるかもしれない。牛や豚や鶏は食べるけれども、クジラはダメだという国もいる。夏祭りに神輿を汗をかきながら担ぐ人たちも、外国人にとってはよくわからない風情に映っていることだろう。「くしゃみ」をするだけで、見知らぬ人々に、「神の祝福を…」という国々もある。それぞれの国の文化は、なんらかの習わしが残っているからこその意味があり、それは外国人には理解されにくく異質に映るものだ。

さらに、アメリカ人にとっては、寄付という行為は最も崇高な行為であり、名誉である。人生の最後は寄付をして名を残す銅像を残すくらいの成功が真のアメリカン・ドリームだと思われている。日本人にもいるかもしれないが、そこまでの大成功を残すのは難しい組織型の社会になっているからあまり巨額の寄付文化がない。税法上のメリットもでてきているが、あまり周知されていない。

つまりこの「氷水」をかぶる行為と「寄付をおこなう」という行為そのものが、外国人である我々、日本人にとっては、異質に見えること、こそが問題ではないだろうか?

「氷水」をかぶることは、この日本ではアメリカほど、安易なことではない。周囲に対して目立つ行為だし、その後のビショビショになったままの状況を考えると、単なる「お調子者」にしか見えないだろう。

しかし、考え方をかえてみるとすると、「氷水」を社会でかぶる経験なんて人生に何度もない話だ。実際に氷水をかぶった人は、氷水とバケツを見ただけで、「ALS」が常に脳裏をよぎるイニシエーションを受けたも当然であろう。

あの、被った瞬間のなんとも真っ白になる瞬間はそう体験できるものではない。勢いを決めてバケツを上段に持ち上げ、中に浮いたバケツを180度返した瞬間…。一瞬の時が止まる感覚。そして、冷たさが伝わる前の頭への衝撃。その後、すぐに頭から全身に襲ってくる冷気…。ALSという病気がどんな症例を自分に及ぶかはわからないが、この被った瞬間の自分がいかに健全であるのかを感謝せざるをえない。氷水をかぶった人は、氷水をかぶる人に対して、なんらかの共通のシンパシーを感じるのだ。

どうか、これからの悪天候の中、批判を恐れずに、氷水をかぶろうとする「お調子モノ」の行為を暖かく見守ってあげてほしい。それが、その人の考えであり、その人の文化なのである。合わない文化を批判しあってもキリがないと思う。そして、難病ではなかった、自分の身を感謝しながら、難病で悩む地球の友に想いをはせてもらいたいものだ。

ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント

1961年神戸市生まれ。ワインのマーケティング業を経て、コンピュータ雑誌の出版とDTP普及に携わる。1995年よりビデオストリーミングによる個人放送「KandaNewsNetwork」を運営開始。世界全体を取材対象に駆け回る。ITに関わるSNS、経済、ファイナンスなども取材対象。早稲田大学大学院、関西大学総合情報学部、サイバー大学で非常勤講師を歴任。著書に『Web2.0でビジネスが変わる』『YouTube革命』『Twiter革命』『Web3.0型社会』等。2020年よりクアラルンプールから沖縄県やんばるへ移住。メディア出演、コンサル、取材、執筆、書評の依頼 などは0980-59-5058まで

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