テレビがつまらなくなった(本当の)わけ

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元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏が書いた「テレビがつまらなくなった訳」というコラムを読んで私は唖然とした。事の本質を全く分かってらっしゃらないと思った。

長谷川氏はコラムの中で、「テレビがつまらなくなった」ことを示す例えとして2つのエピソードを挙げている。1つは、逗子海岸における、海の家での音楽全面禁止などの条例改正を巡る問題について。もう1つは、SMAPの草なぎ剛さんについてだ。

氏は結論として「生活にもっと『のりしろ』があるべき」「もっとリラックスして生きるべき」「そこまできちきちせんでも」「今の日本が息苦しくなっている」等を、「テレビがつまらなくなった訳」として挙げている。

この点について、多くの理由の一部としては私も否定はしない。

しかし、なぜ、逗子海岸と、草なぎ剛さんがここで持ち出されるのか?そもそも、草なぎ剛さんの事件のことなど、読者の何割が知っている(記憶にある)のだろう。みんながみんな27時間テレビを視たわけではない。そうしたことを考えずに、今でも誰もが知ってるだろうという決めつけで、既存の(テレビの世界の)「常識」を押し付けてしまうことが、まさに「テレビがつまらなくなった」理由の1つなのではないかと、私は考える。

そして「テレビがつまらなくなった」ことの本質は「中途半端な知識や情報」「手抜きした取材や準備」「正確でない誤った情報」など、番組を「しっかりとした人」が「しっかりとしたリソースを使い」「しっかりとした内容」で作らなくなってきたことが多くなったからだと私は思っている。さらに、テレビがメディアの中でも絶対的優位にあった時代から、他のメディアやエンターテイメントが数多く生まれ視聴者の好みが多様化した。テレビの優位性が低下しているからだとも思う。

ここで長谷川氏の主張を"あえて"細かく吟味してみたい。

長谷川氏は逗子海岸の問題について以下のようにコメントする。

逗子海岸は今年施行された法律により、日本一、間違いなく「マナーが良く」「子供にも安心して楽しめる海岸」へと生まれ変わった。そして、大きな問題が発生した。海開きは7月1日。そこから2週間がたち、逗子海岸お訪れたお客さんは1万3千人。去年の同時期は…7万4千人だった。なんと、客が激減。7分の1の客数では周囲の海の家や旅館は立ち回らない。そう。地元の観光協会やホテルなどが逗子市を相手取って裁判を検討し始めたのだ!一体何故?(略)行政が良かれと思ってやったことは、逗子海岸が「見捨てられた海岸」となる結果をもたらした。。

私の実家は逗子海岸に隣接するエリアにある。細かいことだが、「周囲の海の家や旅館」とあるが、では逗子に「旅館」と分類される宿泊施設は何軒あるのか?「ホテル」はどれだけあるのか調べただろうか。結論として(ほとんど)ない。「立ち回らない」のは「旅館」ではない。「海の家」である。

また「地元の観光協会やホテルなどが逗子市を相手取って裁判を検討し始めたのだ」と記してある。しかし、ご存知の方も多いと思うが、「観光協会」は逗子市役所の経済観光課にある。市と一体だ。「観光協会」が逗子市を相手に裁判を検討するはずはなく、横浜地裁に提訴を行った原告は、「海の家を運営する逗子海岸営業協同組合」である。

このように長谷川氏のコラムは内容全般に渡り、一事が万事、調べれば分かる程度の事実が微妙に「いい加減」に書かれている。(テレビがつまらない理由と共通すると私は思う。)

やだよね。そりゃあ。そんな堅っ苦しい海岸。僕でもやだ。さすがに海なら酒くらい飲みたいし。なので誰も行かなくなった。可哀想だが、逗子海岸周辺の海の家やホテルは経営はもはや成り立たないだろう。いくらなんでも客数7分の1位になると…もうやってはいけないだろう。可哀想だが、たたむところが続出するだろう。そして裁判も勝てないだろう。逗子の海岸を良い方向に持っていこうと考えた行政に罪はない。事実、苦情は山ほど来ていたのだから。と、言うか、むしろ「安全な海を作りたい」の方がよっぽど正論だからだ。正論が…正論すぎて息苦しくなったのだ。

長谷川氏は逗子市が行った条例改正について「正論が…正論すぎて息苦しくなったのだ。」と指摘している。では、その一方で以下のような議論(意見)もあることはご存知だろうか?

(2013年)7月14日に逗子で起きた殺人事件は、海岸に近い路上で30代とみられる男性が一人が死亡し、その近くでも20代とみられる男性が腹部などを刺されて負傷していたらしい。県警によると、この二人は暴力団員の可能性がある(略)逗子市が「海の家のクラブイベント自粛の徹底や警察によるパトロールを強化する」ことを決め、逗子海岸営業協同組合もタトゥーを入れた客の出入り禁止などの対策を自主的に行う(略)行政が風営法をタテにして「若者のクラブ文化をつぶそうとしている」という単純な話じゃない。

出典:海水浴場は誰のものか

入れ墨をした男が酒に酔って騒ぎ、その周囲でボディーガード風の屈強な男性が目を光らせる-。8月下旬の夕刻、「夜の東京・六本木」をほうふつさせる光景が、由比ガ浜海水浴場(神奈川県鎌倉市)で繰り広げられていた。家族連れでこの海水浴場を訪れていた市内の男性会社員(47)は「砂浜では、入れ墨の“品評会”を行っているのかと見まがうほど。これではとても家族で楽しむことはできない」と顔をしかめ、「今度からは(安全な)葉山町のビーチに行く」と立ち去った。

出典:海の家「クラブ化」問題 ビーチが危険地帯に…湘南ブランド復活なるか

昨年には殺人事件まで起きた。こうした様々な事件の積み重ねが伏線となり、市による条例改正に至っている。賛否については両論あるのは当然だ。どちらを支持するも良い。しかし、昨年、殺人事件まであったことを知らずにコラムを書いたのであれば、いくらなんでも調査不足だ。逆に知っていてあえて触れずに書いたのであれば、あまりに一方的(これもテレビがつまらない理由の1つだと思う。)である。

そして、なぜかSMAPの草なぎ剛さんの話が引用される。

草なぎ君はストレスでお酒をかなりの量を飲むようになった。そらそうだ。国民的アイドルグループの一員の重圧ってきっと並みの神経じゃ耐えられないはずだ。で、酒に酔った草なぎ君は酔っ払い、あくまで彼が住んでいたマンションの「プライベートガーデン」内で素っ裸になったとのこと。で、おまわりさんに怒られたってだけの話だ。僕はこれが大きく報じられた時にどう考えても「何が悪いのか分からなかった」のだ。

まず、現場は東京港区・赤坂の檜町公園である。長谷川氏は「プライベートガーデン」と記している。一般的には檜町公園は港区立公園として知られている。これはあくまで単純な勘違い(ミス)なのか、あるいは何らかの配慮をして意図的に読者を誘導しようとした結果なのか?(このような「不信感」を与えるような恣意的とも取られかねない表現も、テレビがつまらないくなる要素の1つだと私は思う。これは誠実さの問題である。)

30分が過ぎたころ、手をあげて、思いっきりその流れを断ち切ってやった。「早く復帰してほしい、と願ってるファンが沢山いますよ。ファンのために早く復帰しないとですね」40分間ほどの会見で、草なぎ君が唯一、微笑んで答えてくれた瞬間だった。他局、全部僕の質問の答えの所を使ってたけど、今度から使用料もらうからね。フリーになったのだし。

逮捕後に「証拠隠滅や逃亡の恐れがない」として釈放され、謝罪記者会見の最中である。事実を伝えるべき報道取材の場で、メディアを通じてファンに謝罪しようとする者を、取材者が「激励」したのか?なぜ、それを誇らしげに語るのか?「取材(報道)の客観性」について考えたことはないのだろうか。何より視聴者は「テレビ局と芸能事務所との癒着」を少なからず感じたのではないだろうか。(これもテレビがつまらない理由の1つであると私は思う。)そして、真摯にファンに対して謝罪しようとするタレント本人に対しても失礼である。タレントを「激励」するとすれば、それはテレビの先にいるファンたちである。決して取材者の役目ではない。「途方もなく大きな勘違い」としか、私には思えなかった。

逗子の海岸もそう。みんな、そこまでの正論、期待してないし。そこまで言われたら…もう、堅苦しいんだよね。草なぎ君もそう。みんな、全然怒ってなかったし。怒る訳ないし。酒飲んでの失敗くらい、みんなやってるだろ。僕、何回失敗したか分からんわい。でも、あれで何か月も謹慎させられるんだよね。最近はテレビだけじゃなく、行政も何もかも、「そこまで怒らんでも」ってことに対して、怒りすぎ、「そこまできちきちせんでも」ってことで、きちきちしすぎなんです。

長谷川氏より草なぎ剛さんは2つ年上である。草なぎさんはメディアの世界での活動歴も、長谷川氏より長い。なぜ「草なぎ君」なのだろう?素朴に疑問に思った。私は仕事上何度かお会いしても年上や活動歴の長い方や、あまり親しくない年下の方のことは「さん」付けて呼ぶ。よほど親しい中なのか。あるいはテレビの世界独特の、何か「壮大な勘違い」をされているのか?例えば「テレビ局員はエラい」といった。(こうしたテレビ業界内の「勘違い」が未だにあるとするならば、テレビがつまらない要因の1つだと私は思う。)

人間ってもっともっとリラックスして生きてます。本当はいろんなこと出来るのに、なんだか形上の「正論」にあぐらをかいて、単に決まりを作って、単にあれもこれも辞めるって決めて安心することに甘えて。テレビがつまらなくなったのも、今の日本が息苦しくなっているのも、原点は同じだと思う。なので、僕は今いる職場でそこを叩き潰してやろうと思う。

リラックスして生きるのは良いことだと思う。この点については私も長谷川氏に賛成である。では過去の先人たちのヒット番組(多くの視聴者に人気があり支持された番組)が、どのような番組だったかを見てみよう。

芸能・バラエティ高世帯視聴率番組

クイズ・ゲーム高世帯視聴率番組

報道・スポーツの類ではなく、あえて「軟派」とされる「バラエティー」「クイズ」を引用した。上位にくる番組は、どの番組も決して「リラックス」した気分などで作られた番組ではないことは、番組を知る人には分かると思う。「しっかりとした人」が「しっかりとしたリソースを投入し」「しっかりとした内容」で創っている。ある意味「堅苦しい」くらいに周到に、あるいは作り手が追い詰められて苦しみながら、命を削って創られた番組ばかりだ。

長谷川氏は「逗子海岸」と「草なぎ剛」さんのエピソードを用いて最後にこう結んでいる。

テレビって、なんでつまらなくなったのか。 この二つを見ると、良く分かります。

出典:テレビがつまらなくなった訳

大変申し訳ないのですが、私にはよくわかりませんでした。

もう少し逗子海岸のことも、草なぎさんの事件のことも、テレビ番組のことも、しっかり調べた方が良い。テレビを「つまらなくする」ものが何かはともかく、テレビを「おもしろくする」ものは、掴み所のない「ふわっ」とした社会の雰囲気や空気などではない。「当たり前のことを当たり前にやる『きっちり』さ」と「ここ一番で命を削ってでも創造に『没頭』しリソースを投入する集中力」など、むしろ作り手側の「職人性」や「プロフェッショナリズム」の要因が多いのではないか?

素人ながらも、そう感じてしまいました。

最後に、テレビはメディア特性として「双方向性」が弱い。その一方で、このYahoo!ニュースもBLOGOSも読者などが、様々なフィードバックを寄せることができる。これはネットメディアがテレビに勝る強みである。ネットメディアを利用しながら、あえて「双方向性」を閉ざし、一方的に私見を開陳するというのは、事情はともあれ、いかにも「つまらない」と思う。これは自身が言われる、極めて「つまらないテレビ」的なる発想である。